18 松風(大島本)


MATUKAZE


光る源氏の内大臣時代
三十一歳秋の大堰山荘訪問の物語



Tale of Hikaru-Genji's Nai-Daijin era, to visit Ohoi-villa in fall at the age of 31

3
第三章 明石の物語 桂院での饗宴


3  Tale of Akashi  Banquet at Katsura-villa

3.1
第一段 大堰山荘を出て桂院に向かう


3-1  Genji goes to his Katura-villa from Ohoi-villa

3.1.1   またの日は京へ帰らせたまふべければ、すこし大殿籠もり過ぐして、やがてこれより出でたまふべきを、桂の院に人びと多く参り集ひて、ここにも殿上人あまた参りたり。 御装束などしたまひて、
 次の日は京へお帰りあそばすご予定なので、少しお寝過ごしになって、そのままこの山荘からお帰りになる予定であるが、桂の院に人々が多く参集して、こちらにも殿上人が大勢参上した。ご装束などをお付けになって、
 三日目は京へ帰ることになっていたので、源氏は朝もおそく起きて、ここから直接帰って行くつもりでいたが、桂の院のほうへ高官がたくさん集まって来ていて、この山荘へも殿上役人がおおぜいで迎えに来た。源氏は装束をして、
  Mata no hi ha Kyau he kahera se tamahu bekere ba, sukosi ohotono-gomori sugusi te, yagate kore yori ide tamahu beki wo, Katura-no-win ni hito-bito ohoku mawiri-tudohi te, koko ni mo Tenzyau-bito amata mawiri tari. Ohom-syauzoku nado si tamahi te,
3.1.2  「 いとはしたなきわざかな。かく見あらはさるべき隈にもあらぬを
 「ほんとうにきまりが悪いことだ。このように発見されるような秘密の場所でもないのに」
 「きまりの悪いことになったものだね、あなたがたに見られてよいうちでもないのに」
  "Ito hasitanaki waza kana! Kaku mi arahasa ru beki kuma ni mo ara nu wo."
3.1.3  とて、騒がしきに引かれて出でたまふ。心苦しければ、 さりげなく紛らはして立ちとまりたまへる戸口に、乳母、若君抱きてさし出でたり。あはれなる御けしきに、かき撫で たまひて
 と言って、騒がしさにひかれてお出になる。気の毒なので、さりげないふうによそおって立ち止まっていらっしゃる戸口に、乳母が、若君を抱いて出て来た。かわいらしい様子なので、ちょっとお撫でになって、
 と言いながらいっしょに出ようとしたが、心苦しく女を思って、さりげなく紛らして立ち止まった戸口へ、乳母めのとは姫君を抱いて出て来た。源氏はかわいい様子で子供の頭をでながら、
  tote, sawagasiki ni hika re te ide tamahu. Kokoro-gurusikere ba, sarigenaku, magirahasi te tati-tomari tamahe ru to-guti ni, menoto, Waka-Gimi idaki te sasi-ide tari. Ahare naru mi-kesiki ni, kaki-nade tamahi te,
3.1.4  「 見では、いと苦しかりぬべきこそ、いとうちつけなれ。いかがすべき。いと 里遠しや
 「見ないでいては、とてもつらいだろうことは、まったく現金なものだ。どうしたらよかろうか。とても里が遠いな」
 「見ないでいることは堪えられない気のするのもにわかな愛情すぎるね。どうすればいいだろう、遠いじゃないか、ここは」
  "Mi de ha, ito kurusikari nu beki koso, ito utituke nare. Ikaga su beki? Ito sato tohosi ya!"
3.1.5  とのたまへば、
 とおっしゃると、
 と源氏が言うと、
  to notamahe ba,
3.1.6  「 遥かに思ひたまへ絶えたりつる年ごろよりも、今からの御もてなしの、おぼつかなうはべらむは、心尽くしに」
 「遥か遠くに存じておりました数年前よりも、これからのお持てなしが、はっきりしませんのは、気がかりで」
 「遠い田舎の幾年よりも、こちらへ参ってたまさかしかお迎えできないようなことになりましては、だれも皆苦しゅうございましょう」
  "Haruka ni omohi tamahe taye tari turu tosi-goro yori mo, ima kara no ohom-motenasi no, obotukanau habera m ha, kokoro-dukusi ni."
3.1.7  など聞こゆ。若君、手をさし出でて、 立ちたまへるを慕ひたまへば、ついゐたまひて
 などと申し上げる。若君、手を差し出して、お立ちになっている後をお慕いなさると、お膝をおつきになって、
 など乳母は言った。姫君が手を前へ伸ばして、立っている源氏のほうへ行こうとするのを見て、源氏はひざをかがめてしまった。
  nado, kikoyu. Waka-Gimi, te wo sasi-ide te, tati tamahe ru wo sitahi tamahe ba, tui-wi tamahi te,
3.1.8  「 あやしう、もの思ひ絶えぬ身にこそありけれ。しばしにても苦しや。いづら。など、もろともに出でては、惜しみたまはぬ。さらばこそ、人心地もせめ」
 「不思議と、気苦労の絶えないわが身であるよ。少しの間でもつらい。どこか。どうして、一緒に出て来て、別れを惜しみなさらないのですか。そうしてこそ、人心地もつこうものよ」
 「もの思いから解放される日のない私なのだね、しばらくでも別れているのは苦しい。奥さんはどこにいるの、なぜここへ来て別れを惜しんでくれないのだろう、せめて人心地ひとごこちが出てくるかもしれないのに」
  "Ayasiu, mono-omohi taye nu mi ni koso ari kere. Sibasi ni te mo kurusi ya! Idura? Nado, morotomoni ide te ha, wosimi tamaha nu? Saraba koso, hito-gokoti mo seme."
3.1.9  とのたまへば、うち笑ひて、女君に「かくなむ」と聞こゆ。
 とおっしゃるので、ふと笑って、女君に「これこれです」と申し上げる。
 と言うと、乳母は笑いながら明石の所へ行ってそのとおりを言った。
  to notamahe ba, uti-warahi te, Womna-Gimi ni "Kaku nam" to kikoyu.
3.1.10  なかなかもの思ひ乱れて臥したれば、とみにしも動かれず。あまり上衆めかしと思したり。人びともかたはらいたがれば、しぶしぶにゐざり出でて、几帳にはた隠れたるかたはら目、いみじうなまめいてよしあり、たをやぎたるけはひ、 皇女たちといはむにも足りぬべし
 かえって、物思いに悩んで伏せっていたので、急には起き上がることができない。あまりに貴婦人ぶっているとお思いになった。女房たちも気を揉んでいるので、しぶしぶといざり出て、几帳の蔭に隠れている横顔、たいそう優美で気品があり、しなやかな感じ、皇女といっても十分である。
 女はった喜びが二日で尽きて、別れの時の来た悲しみに心を乱していて、呼ばれてもすぐに出ようとしないのを源氏は心のうちであまりにも貴女きじょぶるのではないかと思っていた。女房たちからも勧められて、明石あかしはやっと膝行いざって出て、そして姿は見せないように几帳きちょうかげへはいるようにしている様子に気品が見えて、しかも柔らかい美しさのあるこの人は内親王と言ってもよいほどに気高けだかく見えるのである。
  Naka-naka mono omohi midare te husi tare ba, tomi ni si mo ugoka re zu. Amari zyauzu mekasi to obosi tari. Hito-bito mo kataharaitagare ba, sibu-sibu ni wizari-ide te, kityau ni hata kakure taru katahara-me, imiziu namamei te yosi ari, tawoyagi taru kehahi, Miko-tati to iha m ni mo tari nu besi.
3.1.11  帷子引きやりて、こまやかに 語らひたまふとて、とばかり返り見たまへるに、さこそ静めつれ、見送りきこゆ。
 帷子を引きのけて、愛情こまやかにお語らいになろうとして、しばらくの間振り返って御覧になると、あれほど心を抑えていたが、お見送り申し上げる。
 源氏は几帳のれ絹を横へ引いてまたこまやかにささやいた。いよいよ出かける時に源氏が一度振り返って見ると、冷静にしていた明石も、この時は顔を出して見送っていた。
  Katabira hiki-yari te, komayaka ni katarahi tamahu tote, tobakari kaheri-mi tamahe ru ni, sa koso sidume ture, mi-okuri kikoyu.
3.1.12   いはむかたなき盛りの御容貌なり。 いたうそびやぎたまへりしが、すこしなりあふほどになりたまひにける御姿など、「 かくてこそものものしかりけれ」と、御指貫の裾まで、なまめかしう愛敬のこぼれ出るぞ、 あながちなる見なしなるべき
 何とも言いようがないほど、今がお盛りのご容貌である。たいそうすらっとしていらっしゃったが、少し均整のとれるほどにお太りになったお姿など、「これでこそ貫祿があるというものだ」と、指貫の裾まで、優美に魅力あふれて思えるのは、贔屓目に過ぎるというものであろう。
 源氏の美は今が盛りであると思われた。以前はせて背丈せたけが高いように見えたが、今はちょうどいいほどになっていた。これでこそ貫目のある好男子になられたというものであると女たちがながめていて、指貫さしぬきすそからも愛嬌あいきょうはこぼれ出るように思った。
  Ihamkatanaki sakari no ohom-katati nari. Itau sobiyagi tamahe ri si ga, sukosi nari-ahu hodo ni nari tamahi ni keru ohom-sugata nado, "Kakute koso mono-monosikari kere." to, ohom-sasinuki no suso made, namamekasiu aigyau no kobore iduru zo, anagati naru mi-nasi naru beki.
3.1.13   かの、解けたりし蔵人も、還りなりにけり。靭負尉にて、今年かうぶり得てけり。昔に改め、心地よげにて、御佩刀取りに寄り来たり。人影を見つけて、
 あの、解任されていた蔵人も、復官していたのであった。靭負尉になって、今年五位に叙されたのであった。昔とは違って、得意気なふうで、御佩刀を取りに近くにやって来た。人影を見つけて、
 解官されて源氏について漂泊さすらえた蔵人くろうどもまたもとの地位にかえって、靫負尉ゆぎえのじょうになった上に今年は五位も得ていたが、この好青年官人が源氏の太刀たちを取りに戸口へ来た時に、御簾みすの中に明石のいるのを察して挨拶あいさつをした。
  Kano, toke tari si Kuraudo mo, kaheri nari ni keri. Yugehi-no-Zyou nite, kotosi kauburi e te keri. Mukasi ni aratame, kokoti-yoge ni te, mi-hakasi tori ni yori-ki tari. Hito-kage wo mituke te,
3.1.14  「 来し方のもの忘れしはべらねど、かしこければ えこそ。浦風おぼえはべりつる暁の寝覚にも、おどろかしきこえさすべきよすがだになくて」
 「昔のことは忘れていたわけではありませんが、恐れ多いのでお訪ねできずにおりました。浦風を思い出させる今朝の寝覚めにも、ご挨拶申し上げる手だてさえなくて」
 「以前の御厚情を忘れておりませんが、失礼かと存じますし、浦風に似た気のいたしました今暁の山風にも、御挨拶を取り次いでいただく便びんもございませんでしたから」
  "Kisi-kata no mono wasure si habera ne do, kasikokere ba, e koso. Ura-kaze oboye haberi turu akatuki no ne-zame ni mo, odorokasi kikoye sasu beki yosuga dani naku te."
3.1.15  と、けしきばむを、
 と、意味ありげに言うので、

  to, kesikibamu wo,
3.1.16  「 八重立つ山は 、さらに 島隠れにも劣らざりけるを、 松も昔のと、たどられつるに、忘れぬ人もものしたまひけるに、頼もし」
 「幾重にも雲がかかる山里は、まったく島隠れの浦に劣りませんでしたのに、松も昔の相手はいないものかと思っていたが、忘れていない人がいらっしゃったとは、頼もしいこと」
 「山に取り巻かれておりましては、海べの頼りない住居すまいと変わりもなくて、松も昔の(友ならなくに)と思って寂しがっておりましたが、昔の方がお供の中においでになって力強く思います」
  "Yahe-tatu yama ha, sarani sima-gakure ni mo otora zari keru wo, matu mo mukasi no to, tadorare turu ni, wasure nu hito mo monosi tamahi keru ni, tanomosi."
3.1.17  など言ふ。
 などと言う。
 などと明石は言った。
  nado ihu.
3.1.18  「 こよなしや。我も思ひなきにしもあらざりしを
 「ひどいもんだ。自分も悩みがないわけではなかったのに」
 すばらしいものにこの人はなったものだ、自分だって恋人にしたいと思ったこともある女ではないかなどと思って、
  "Koyonasi ya! Ware mo omohi naki ni simo ara zari si wo."
3.1.19  など、あさましうおぼゆれど、
 などと、興ざめな思いがするが、
 驚異を覚えながらも蔵人くろうどは、
  nado, asamasiu oboyure do,
3.1.20  「今、ことさらに」
 「いずれ、改めて」
 「また別の機会に」
  "Ima, kotosara ni."
3.1.21  と、 うちけざやぎて、参りぬ。
 と、きっぱり言って、参上した。
 と言って男らしく肩を振って行った。
  to, uti-kezayagi te, mawiri nu.
注釈134またの日は京へ帰らせたまふべければ翌日、源氏は京の二条院へ帰る。「せ」尊敬の助動詞。「たまふ」尊敬の補助動詞、最高敬語表現。源氏と明石との身分の格差を強調した表現。3.1.1
注釈135いとはしたなきわざかなかく見あらはさるべき隈にもあらぬを源氏の詞。『集成』は「色恋沙汰ではないという家庭的な気持から言ったもの」と注す。3.1.2
注釈136さりげなく紛らはして立ちとまりたまへる『完訳』は「身分低い女と別れを惜しむのを気づかれまいと、無表情を装う」と注す。3.1.3
注釈137見ではいと苦しかりぬべき以下「いと里遠しや」まで、源氏の詞。3.1.4
注釈138里遠しや「里遠みいかにせよとかかくのみはしばしも見ねば恋しかるらむ」(元真集)を踏まえる。3.1.4
注釈139遥かに思ひたまへ絶えたりつる以下「心尽くしに」まで、乳母の詞。3.1.6
注釈140立ちたまへるを慕ひたまへば、ついゐたまひて「立ちたまへる」と「ついゐたまひて」の主語は源氏。「慕ひたまへば」の主語は明石の姫君。3.1.7
注釈141あやしうもの思ひ絶えぬ身にこそ以下「人心地もせめ」まで、源氏の詞。明石の君に姫君と一緒に見送るよう促す。3.1.8
注釈142皇女たちといはむにも足りぬべし『完訳』は「語り手の推称の言辞。源氏の「あまり上衆」の評と照応」と注す。3.1.10
注釈143語らひたまふとてかたらひ給いて給ふとて肖−かたらひ給ていてたまふとて証 河内本は「女かたらいたまふ御せんなとたちかはりさわきてやすらへはいてたまふとて」(御)、「かたらひ給御せんなと立さはきてやすらへはいて給とて」(七保冷大国)とある。『集成』は「かたらひたまふ。御前など、立ち騷ぎてやすらへば、出でたまふとて」と校訂。3.1.11
注釈144いはむかたなき盛りの明石の君から源氏の姿を見る目に視点が移る。3.1.12
注釈145いたうそびやぎたまへりしが「し」過去の助動詞。明石の地にあった時の源氏の姿態を思い起こした表現。3.1.12
注釈146かくてこそものものしかりけれ明石の君の感想。「けれ」過去の助動詞、詠嘆の意。3.1.12
注釈147あながちなる見なしなるべき『集成』は「「あながち」以下草子地」。『完訳』は「源氏を褒めすぎる彼女を軽く揶揄し、話に現実性を与える語り口」と注す。3.1.12
注釈148かの解けたりし蔵人も「須磨」に初出。「澪標」「関屋」にも登場。空蝉の夫伊予介(後、常陸介)の子で河内守の弟。3.1.13
注釈149来し方の以下「よすがだになくて」まで、靫負尉の詞。女房に今まで御無沙汰していた言い訳。「浦風」「暁の寝覚め」という歌語を使用。3.1.14
注釈150八重立つ山は以下「頼もし」まで、女房の返事。引歌を多用。「白雲の八重立つ山の峯にだに住めば住まるる世にこそありけれ」(源氏釈所引)「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ」(古今集羈旅、四〇九、読人しらず)「誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに」(古今集雑上、九〇九、藤原興風)。3.1.16
注釈151こよなしや我も思ひなきにしもあらざりしを靫負尉の心中。『完訳』は「靫負の尉の心語。「こよなし」は、自分の期待とはかけ離れている感じ。古歌を多用する女房の気どった態度に応対しかねる気持」と注す。3.1.18
注釈152うちけざやぎて『集成』は「きちんと挨拶して」。『完訳』は「きっぱり言い捨てて」と訳す。3.1.21
出典10 里遠しや 里遠みいかにせよとかかくのみはしばしも見ねば恋しかるらむ 元真集-二七三 3.1.4
出典11 八重立つ山 身を憂しと人知れぬ世を尋ね来し雲の八重立つ山にやはあらぬ 後撰集雑二-一一七三 読人しらず 3.1.16
出典12 島隠れ ほのぼのと明石の浦の朝霧に島隠れ行く舟をしぞ思ふ 古今集羈旅-四〇九 読人しらず 3.1.16
出典13 松も昔の 誰をかも知る人にせむ高砂の松も昔の友ならなくに 古今集雑上-九〇九 藤原興風 3.1.16
校訂16 御装束 御装束--御さうす(す/=そイ)く 3.1.1
校訂17 たまひて たまひて--たま(ま/+ひ)て 3.1.3
校訂19 たまひて たまひて--たま(ま/+ひ)て 3.1.7
校訂20 えこそ えこそ--(/+え<朱>)こそ 3.1.14
3.2
第二段 桂院に到着、饗宴始まる


3-2  Genji gives a banquet at his Katsura-villa

3.2.1   いとよそほしくさし歩みたまふほど、かしかましう追ひ払ひて、御車の尻に、頭中将、兵衛督乗せたまふ。
 たいそう威儀正しくお進みになる間、大声で御前駆が先払いして、お車の後座席に、頭中将、兵衛督をお乗せになる。
 りっぱな風采ふうさいの源氏が静かに歩を運ぶかたわらで先払いの声が高く立てられた。源氏は車へ頭中将とうのちゅうじょう兵衛督ひょうえのかみなどを陪乗させた。
  Ito yosohosiku sasi-ayumi tamahu hodo, kasikamasiu ohi-harahi te, mi-kuruma no siri ni, Tou-no-Tyuuzyau, Hyauwe-no-Kami nose tamahu.
3.2.2  「 いと軽々しき隠れ家、見あらはされぬるこそ、ねたう」
 「たいそう軽々しい隠れ家、見つけられてしまったのが、残念だ」
 「つまらない隠れ家を発見されたことはどうも残念だ」
  "Ito karu-garusiki kakurega, mi-arahasa re nuru koso, netau."
3.2.3  と、いたうからがりたまふ。
 と、ひどくお困りのふうでいっらっしゃる。
 源氏は車中でしきりにこう言っていた。
  to, itau karagari tamahu.
3.2.4  「 昨夜の月に、口惜しう御供に後れはべりにけると思ひたまへられしかば、今朝、霧を分けて参りはべりつる。 山の錦は、まだしうはべりけり。野辺の色こそ、盛りにはべりけれ。 なにがしの朝臣の、小鷹にかかづらひて、立ち後れはべりぬる、いかがなりぬらむ」
 「昨夜の月には、残念にもお供に遅れてしまったと存じましたので、今朝は、霧の中を参ったのでございます。山の紅葉は、まだのようでございます。野辺の色は、盛りでございました。某の朝臣が、小鷹狩にかかわって遅れてしまいましたが、どうなったことでしょう」
 「昨夜はよい月でございましたから、嵯峨さがのお供のできませんでしたことが口惜くちおしくてなりませんで、今朝けさは霧の濃い中をやって参ったのでございます。嵐山あらしやま紅葉もみじはまだ早うございました。今は秋草の盛りでございますね。某朝臣ぼうあそんはあすこで小鷹狩こたかがりを始めてただ今いっしょに参れませんでしたが、どういたしますか」
  "Yobe no tuki ni, kutiwosiu ohom-tomo ni okure haberi ni keru to omohi tamahe rare sika ba, kesa, kiri wo wake te mawiri haberi turu. Yama no nisiki ha, madasiu haberi keri. Nobe no iro koso, sakari ni haberi kere. Nanigasi-no-Asom no, kotaka ni kakadurahi te, tati-okure haberi nuru, ikaga nari nu ram?"
3.2.5  など言ふ。
 などと言う。
 などと若い人は言った。
  nado ihu.
3.2.6  「今日は、なほ桂殿に」とて、そなたざまにおはしましぬ。にはかなる 御饗応と騷ぎて 、鵜飼ども召したるに、海人のさへづり思し出でらる。
 「今日は、やはり桂殿で」と言って、そちらの方にいらっしゃった。急な御饗応だと大騷ぎして、鵜飼たちを呼び寄せると、海人のさえずりが自然と思い出される。
 「今日はもう一日かつらの院で遊ぶことにしよう」と源氏は言って、車をそのほうへやった。桂の別荘のほうではにわかに客の饗応きょうおう仕度したくが始められて、飼いなども呼ばれたのであるがその人夫たちの高いわからぬ会話が聞こえてくるごとに海岸にいたころの漁夫の声が思い出される源氏であった。
  "Kehu ha, naho Katura-dono ni." tote, sonata zama ni ohasimasi nu. Nihakanaru ohom-aruzi to sawagi te, u-kahi-domo mesi taru ni, ama no saheduri obosi-ide raru.
3.2.7  野に泊りぬる君達、小鳥しるしばかりひき付けさせたる荻の枝など、苞にして参れり。大御酒あまたたび順流れて、川のわたり危ふげなれば、酔ひに紛れておはしまし暮らしつ。
 野原に夜明かしした公達は、小鳥を体裁ばかりに付けた荻の枝など、土産にして参上した。お杯が何度も廻って、川の近くなので危なっかしいので、酔いに紛れて一日お過ごしになった。
 大井の野に残った殿上役人が、しるしだけの小鳥をはぎの枝などへつけてあとを追って来た。杯がたびたび巡ったあとで川べの逍遥しょうようあやぶまれながら源氏は桂の院で遊び暮らした。
  No ni tomari nuru kimdati, kotori sirusi bakari hiki-tuke sase taru wogi no yeda nado, tuto ni si te mawire ri. Ohomiki amata tabi zum nagare te, kaha no watari ayahuge nare ba, wehi ni magire te ohasimasi kurasi tu.
注釈153いとよそほしくさし歩みたまふほど主語は源氏。内大臣にふさわしく、ものものしく先払いをして車に向かう。3.2.1
注釈154いと軽々しき隠れ家以下「ねたう」まで、源氏の詞。3.2.2
注釈155昨夜の月に以下「いかがなりぬらむ」まで、頭中将たちの詞。3.2.4
注釈156なにがしの朝臣の実名を言ったのを「某朝臣」と語り手が言い換えたもの。3.2.4
注釈157御饗応と騷ぎて御あるしと(と補入)し(し朱ミセケチ)さはきて大−御あるししさはきて横為陽池肖三−御あるしさはきて氏−御あるししさわきて証 『集成』『完訳』は「御饗応し騷ぎて」と整定。3.2.6
出典14 山の錦は 霜のたて露のぬきこそ弱からし山の錦の織ればかつ散る 古今集秋下-二九一 藤原関雄 3.2.4
校訂21 御饗応と 御饗応と--御あるし(し/+と)し(し/$<朱>) 3.2.6
3.3
第三段 饗宴の最中に勅使来訪


3-3  A messenger of Mikado comes to Katsura-villa

3.3.1  おのおの絶句など作りわたして、月はなやかにさし出づるほどに、大御遊び始まりて、いと今めかし。
 各自が絶句などを作って、月が明るく差し出したころに、管弦のお遊びが始まって、まことに華やかである。
 月がはなやかに上ってきたころから音楽の合奏が始まった。
  Ono-ono zekku nado tukuri watasi te, tuki hanayaka ni sasi-iduru hodo ni, ohomi-asobi hazimari te, ito imamekasi.
3.3.2  弾きもの、琵琶、和琴ばかり、笛ども上手の限りして、折に合ひたる調子吹き立つるほど、川風吹き合はせておもしろきに、月高くさし上がり、よろづのこと澄める夜のやや更くるほどに、殿上人、四、五人ばかり連れて参れり。
 弾楽器は、琵琶、和琴ぐらいで、笛は上手な人だけで、季節にふさわしい調子を吹き立てるほどに、川風が吹き合わせて風雅なところに、月が高く上り、何もかもが澄んで感じられる夜がやや更けていったころに、殿上人が、四、五人ほど連れだって参上した。
 絃楽のほうは琵琶びわ和琴わごんなどだけで笛の上手じょうずが皆選ばれて伴奏をした曲は秋にしっくり合ったもので、感じのよいこの小合奏に川風が吹き混じっておもしろかった。月が高く上ったころ、清澄な世界がここに現出したような今夜の桂の院へ、殿上人がまた四、五人連れで来た。
  Hiki-mono, biha, wagon bakari, hue-domo zyauzu no kagiri si te, wori ni ahi taru teusi huki-taturu hodo, kaha-kaze huki-ahase te omosiroki ni, tuki takaku sasi-agari, yorodu no koto sume ru yo no yaya hukuru hodo ni, Tenzyau-bito, si, go-nin bakari ture te mawire ri.
3.3.3  上にさぶらひけるを、御遊びありけるついでに、
 殿上の間に伺候していたのだったが、管弦の御遊があった折に、
 殿上に伺候していたのであるが、音楽の遊びがあって、みかどが、
  Uhe ni saburahi keru wo, ohom-asobi ari keru tuide ni,
3.3.4  「 今日は、六日の御物忌明く日にて、かならず参りたまふべきを、いかなれば
 「今日は、六日の御物忌みの明ける日なので、必ず参内なさるはずなのに、どうしてなのか」
 「今日は六日の謹慎日が済んだ日であるから、きっと源氏の大臣おとどは来るはずであるのだ、どうしたか」
  "Kehu ha, muyi-ka no ohom-monoimi aku hi nite, kanarazu mawiri tamahu beki wo, ika nare ba?"
3.3.5  と仰せられければ、ここに、かう泊らせたまひにけるよし聞こし召して、御消息あるなりけり。御使は、 蔵人弁なりけり。
 と仰せになったところ、ここに、このようにご滞留になった由をお聞きあそばして、お手紙があったのであった。お使いは蔵人弁であった。
 と仰せられた時に、嵯峨へ行っていることが奏されて、それで下された一人のお使いと同行者なのである。
  to ohose rare kere ba, koko ni, kau tomara se tamahi ni keru yosi kikosimesi te, ohom-seusoko aru nari keri. Ohom-tukahi ha, Kuraudo-no-Ben nari keri.
3.3.6  「 月のすむ川のをちなる里なれば
 「月が澄んで見える桂川の向こうの里なので
  「月のすむ川のをちなる里なれば
    "Tuki no sumu kaha no woti naru sato nare ba
3.3.7   桂の影はのどけかるらむ
  月の光をゆっくりと眺められることであろう
  桂の影はのどけかるらん
    katura no kage ha nodokekaru ram
3.3.8   うらやましう
 羨ましいことです」
 うらやましいことだ」
  Urayamasiu."
3.3.9  とあり。かしこまりきこえさせたまふ。
 とある。恐縮申し上げなさる。
 これが蔵人弁くろうどのべんであるお使いが源氏に伝えたお言葉である。
  to ari. Kasikomari kikoye sase tamahu.
3.3.10  上の御遊びよりも、なほ所からの、すごさ添へたるものの音をめでて、また酔ひ加はりぬ。ここにはまうけの物もさぶらはざりければ、大堰に、
 殿上の御遊よりも、やはり場所柄ゆえに、ひとしお身にしみ入る楽の音を賞美して、また酔いも加わった。ここには引き出物も準備していなかったので、大堰に、
 源氏はかしこまって承った。清涼殿での音楽よりも、場所のおもしろさの多く加わったここの管絃楽に新来の人々は興味を覚えた。また杯が多く巡った。ここには纏頭てんとうにする物が備えてなかったために、源氏は大井の山荘のほうへ、
  Uhe no ohom-asobi yori mo, naho tokoro kara no, sugosa sohe taru mono no ne wo mede te, mata wehi kuhahari nu. Koko ni ha mauke no mono mo saburaha zari kere ba, Ohowi ni,
3.3.11  「 わざとならぬまうけの物や
 「ことごとしくならない引き出物はないか」
 「たいそうでない纏頭の品があれば」
  "Wazato nara nu mauke no mono ya?"
3.3.12  と、言ひつかはしたり。取りあへたるに従ひて参らせたり。衣櫃二荷にてあるを、御使の弁はとく帰り参れば、女の 装束かづけたまふ。
 と言っておやりになった。有り合わせの物を差し上げた。衣櫃二荷に入っているのを、お使いの蔵人弁はすぐに帰参するので、女の装束をお与えになる。
 と言ってやった。明石あかしは手もとにあった品を取りそろえて持たせて来た。衣服箱二荷であった。お使いの弁は早く帰るので、さっそく女装束が纏頭に出された。
  to, ihi-tukahasi tari. Tori-ahe taru ni sitagahi te mawira se tari. Kinu-bitu huta-kake nite aru wo, ohom-tukahi no Ben ha toku kaheri mawire ba, womna no syauzoku kaduke tamahu.
3.3.13  「 久方の光に近き名のみして
 「桂の里といえば月に近いように思われますが
  久方の光に近き名のみして
    "Hisakata no hikari ni tikaki na nomi si te
3.3.14   朝夕霧も晴れぬ山里
  それは名ばかりで朝夕霧も晴れない山里です
  朝夕霧も晴れぬ山ざと
    asa-yuhu kiri mo hare nu yama-zato
3.3.15   行幸待ちきこえたまふ心ばへなるべし。「 中に生ひたる」と、うち誦んじたまふついでに、かの淡路島を思し出でて、躬恒が「 所からか」とおぼめきけむことなど、のたまひ出でたるに、 ものあはれなる酔ひ泣きどもあるべし
 行幸をお待ち申し上げるお気持ちなのであろう。「月の中に生えている」と朗誦なさる時に、あの淡路島をお思い出しになって、躬恒が「場所柄からであろうか」といぶかしがったという話などを、おっしゃり出したので、しみじみとした酔い泣きする者もいるのであろう。
 というのが源氏の勅答の歌であった。帝の行幸を待ち奉る意があるのであろう。「中にひたる」(久方の中におひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる)と源氏は古歌を口ずさんだ。源氏がまた躬恒みつねが「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵こよひはところがらかも」と不思議がった歌のことを言い出すと、源氏の以前のことを思って泣く人も出てきた。皆酔ってもいるからである。
  Gyaugau mati kikoye tamahu kokorobahe naru besi. "Naka ni ohi taru" to, uti-zyun-zi tamahu tuide ni, kano Ahadi-sima wo obosi-ide te, Mitune ga "Tokoro kara ka" to obomeki kem koto nado, notamahi-ide taru ni, mono ahare naru wehi-naki-domo aru besi.
3.3.16  「 めぐり来て手に取るばかりさやけきや
 「都に帰って来て手に取るばかり近くに見える月は
  めぐりきて手にとるばかりさやけきや
    "Meguri-ki te te ni toru bakari sayakeki ya
3.3.17   淡路の島のあはと見し月
  あの淡路島を臨んで遥か遠くに眺めた月と同じ月なのだろうか
  淡路の島のあはと見し月
    Ahadi-no-sima no aha to mi si tuki
3.3.18  頭中将、
 頭中将、
 これは源氏の作である。
  Tou-no-Tyuuzyau,
3.3.19  「 浮雲にしばしまがひし月影の
 「浮雲に少しの間隠れていた月の光も
  浮き雲にしばしまがひし月影の
    "Ukigumo ni sibasi magahi si tuki-kage no
3.3.20   すみはつる夜ぞのどけかるべき
  今は澄みきっているようにいつまでものどかでありましょう
  すみはつるよぞのどけかるべき
    sumi-haturu yo zo nodokekaru beki
3.3.21   左大弁、すこしおとなびて、故院の御時にも、むつましう仕うまつりなれし人なりけり。
 左大弁、少し年がいって、故院の御代にも、親しくお仕えしていた人なのであった。
頭中将とうのちゅうじょうである。右大弁は老人であって、故院の御代みよにもむつまじくお召し使いになった人であるが、その人の作、
  Sa-Daiben, sukosi otonabi te, ko-Win no ohom-toki ni mo, mutumasiu tukau-maturi nare si hito nari keri.
3.3.22  「 雲の上のすみかを捨てて夜半の月
 「まだまだご健在であるはずの故院はどこの谷間に
  雲の上の住みかを捨てて夜半よはの月
    "Kumo no uhe no sumika wo sute te yoha no tuki
3.3.23   いづれの谷にかげ隠しけむ
  お姿をお隠しあそばしてしまわれたのだろう
  いづれの谷に影隠しけん
    idure no tani ni kage kakusi kem
3.3.24   心々にあまたあめれど、うるさくてなむ
 それぞれに多くあるようだが、煩わしいので省略する。
 なおいろいろな人の作もあったが省略する。
  Kokoro-gokoro ni amata a' mere do, urusaku te nam.
3.3.25  気近ううち静まりたる御物語、すこしうち乱れて、千年も見聞かまほしき 御ありさまなれば、斧の柄も朽ちぬべけれど、今日さへはとて、急ぎ帰りたまふ。
 親しい内輪とのしんみりしたお話に、少し砕けてきて、千年も見たり聞いていたりしたいご様子なので、斧の柄も朽ちてしまいそうだが、いくらなんでも今日まではと、急いでお帰りになる。
 歌が出てからは、人々は感情のあふれてくるままに、こうした人間の愛し合う世界を千年も続けて見ていきたい気を起こしたが、二条の院を出て四日目の朝になった源氏は、今日はぜひ帰らねばならぬと急いだ。
  Ke-dikau uti-sidumari taru ohom-monogatari, sukosi uti-midare te, ti-tose mo mi kika mahosiki ohom-arisama nare ba, wono-no-ye mo kuti nu bekere do, kehu sahe ha tote, isogi kaheri tamahu.
3.3.26  物ども品々にかづけて、霧の絶え間に立ち混じりたるも、前栽の花に見えまがひたる色あひなど、ことにめでたし。近衛府の名高き舎人、物の節どもなどさぶらふに、さうざうしければ、「 其駒」など乱れ遊びて、脱ぎかけたまふ色々、秋の錦を風の吹きおほふかと見ゆ。
 いろいろな品物を身分に応じてお与えになって、霧の絶え間に見え隠れしているのも、前栽の花かと見違えるような色あいなど、格別素晴らしく見える。近衛府の有名な舎人、芸能者などが従っているのに、何もないのはつまらないので、「その駒」などを謡いはやして、脱いで次々とお与えになる色合いは、秋の錦を風が吹き散らしているかのように見える。
 一行にいろいろな物をかついだ供の人が加わった列は、霧の間を行くのが秋草の園のようで美しかった。近衛府このえふの有名な芸人の舎人とねりで、よく何かの時には源氏について来る男に今朝も「そのこま」などを歌わせたが、源氏をはじめ高官などの脱いで与える衣服の数が多くてそこにもまた秋の野のにしきの翻る趣があった。
  Mono-domo sina-zina ni kaduke te, kiri no tayema ni tati-maziri taru mo, sensai no hana ni miye magahi taru iroahi nado, koto ni medetasi. Konowe-dukasa no nadakaki Toneri, mono no husi-domo nado saburahu ni, sau-zausikere ba, Sono-koma nado midare asobi te, nugi-kake tamahu iro-iro, aki no nisiki wo kaze no huki ohohu ka to miyu.
3.3.27  ののしりて帰らせたまふ響きを、大堰にはもの隔てて聞きて、名残さびしう眺めたまふ。「 御消息をだにせで」と、大臣も御心にかかれり。
 大騷ぎしてお帰りになるざわめきを、大堰では遥か遠くに聞いて、名残寂しく物思いに沈んでいらっしゃる。「お手紙さえ出さなくて」と、大臣もお気にかかっていらっしゃった。
 大騒ぎにはしゃぎにはしゃいで桂の院を人々の引き上げて行く物音を大井の山荘でははるかに聞いて寂しく思った。ことづてもせずに帰って行くことを源氏は心苦しく思った。
  Nonosiri te kahera se tamahu hibiki, Ohowi ni ha mono hedate te kiki te, nagori sabisiu nagame tamahu. "Ohom-seusoko wo dani se de." to, Otodo mo mi-kokoro ni kakare ri.
注釈158今日は六日の御物忌明く日にてかならず参りたまふべきをいかなれば冷泉帝の詞。『集成』「中神の物忌であろうかとされる。五日か六日連続するゆえんである。「御物忌」とあるのは、帝の物忌である」と注す。3.3.4
注釈159蔵人弁系図不詳の人。この場面にのみ登場。3.3.5
注釈160月のすむ川のをちなる里なれば桂の影はのどけかるらむ帝の歌。「住む」と「澄む」の掛詞。『完訳』は「土地ぼめをして源氏をたたえる」と注す。3.3.6
注釈161うらやましう歌に添えた言葉。3.3.8
注釈162わざとならぬまうけの物や源氏の詞。間接的話法であろう。「や」疑問の係助詞、下に「ある」(連体形)が省略された形。3.3.11
注釈163久方の光に近き名のみして朝夕霧も晴れぬ山里源氏から帝への返歌。「月の澄む」「里」「桂の影」の語句を受けて、「久方の光に近き名のみ」「山里」と謙遜する。3.3.13
注釈164行幸待ちきこえたまふ心ばへなるべし「なる」断定の助動詞。「べし」推量の助動詞。語り手の言辞。『集成』は「作者の自注。草子地」。『完訳』は「語り手の推測」と注す。3.3.15
注釈165中に生ひたる「久かたの中に生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる」(古今集雑下、九六八、伊勢)。詞書に「桂に侍りける時に、七条の中宮の問はせ給へりける御返事に、奉れりける」とある。3.3.15
注釈166所からか「淡路にてあはとはるかに見し月の近き今宵は所がらかも」(新古今集雑上、一五一五、凡河内躬恒)の和歌。3.3.15
注釈167ものあはれなる酔ひ泣きどもあるべし語り手の推量。3.3.15
注釈168めぐり来て手に取るばかりさやけきや淡路の島のあはと見し月源氏の歌。3.3.16
注釈169浮雲にしばしまがひし月影のすみはつる夜ぞのどけかるべき頭中将の唱和歌。「浮き」と「憂き」、「澄み」と「住み」、「夜」と「世」の掛詞。源氏を「月影」に喩える。3.3.19
注釈170左大弁右大弁横為池 系図不詳の人。3.3.21
注釈171雲の上のすみかを捨てて夜半の月いづれの谷にかげ隠しけむ左大弁の唱和歌。「月」を故桐壷院に喩える。3.3.22
注釈172心々にあまたあめれどうるさくてなむ語り手の省筆の弁。3.3.24
注釈173御ありさま源氏の姿態をいう。3.3.25
注釈174其駒神楽歌の一曲。神の還御を送る歌。「葦ぶちのや森の森の下なる若駒率て来葦毛ぶちの虎毛の駒(本)その駒ぞや我に我に子さ乞ふ草は取り飼はむ水は取り草は取り飼はむや(末)」(其駒)。3.3.26
注釈175御消息をだにせで『完訳』は「明石の君への後朝の文」と注す。3.3.27
出典15 中に生ひたる 久方の中に生ひたる里なれば光をのみぞ頼むべらなる 古今集雑下-九六八 伊勢 3.3.15
出典16 所からか 淡路にてあはと遥かに見し月の近き今宵は所からかも 古今六帖一-三三二 躬恒 3.3.15
校訂22 かならず かならず--か(か/$<朱>)かならす 3.3.4
校訂23 装束 装束--さうす(す/=そイ)く 3.3.12
Last updated 7/8/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/21/2003
渋谷栄一注釈(ver.1-1-4)
Last updated 7/8/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年6月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

暫定版(最終確認作業中)

Last updated 8/23/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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