|
30 藤袴(大島本)
|
HUDIBAKAMA
|
|
光る源氏の太政大臣時代 三十七歳秋八月から九月の物語
|
Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, from August to September at the age of 37
|
1 |
第一章 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係
|
1 Tale of Tamakazura A new relation between Tamakazura and nonbrother Yugiri
|
|
1.1 |
第一段 玉鬘、内侍出仕前の不安
|
1-1 Tamakazura feels uneasy about to work under Mikado
|
|
1.1.1 |
尚侍の御宮仕へのことを、 誰れも誰れもそそのかしたまふも、
|
尚侍としての御出仕のことを、どなたもどなたもお勧めなさるが、
|
尚侍になって御所へお勤めするようにと、
|
Naisi-no-Kami no ohom-Miya-dukahe no koto wo, tare mo tare mo, sosonokasi tamahu mo,
|
|
1.1.2 |
「 いかならむ。 親と思ひきこゆる人の御心だに、うちとくまじき世なりければ、ましてさやうの交じらひにつけて、 心よりほかに便なきこともあらば、中宮も女御も、方がたにつけて心おきたまはば、はしたなからむに、わが身はかくはかなきさまにて、いづ方にも深く思ひとどめられたてまつるほどもなく、浅きおぼえにて、 ただならず思ひ言ひ、いかで人笑へなるさまに見聞きなさむと、 うけひたまふ人びとも多く、とかくにつけて、やすからぬことのみありぬべき」
|
「どうしたものだろうか。親とお思い申し上げる方のお気持ちでさえ、気を許すことのできない世の中なので、ましてそのような宮仕えにつけて、思いがけない不都合なことが生じたら、中宮にも女御にも、それぞれ気まずい思いをお持ちになったら、立つ瀬がなくなるだろうから、自分の身の上はこのように頼りない状態で、どちらの親からも深く愛していただける縁もなく、世間からも軽く見られているので、いろいろと取り沙汰されたり、何とか物笑いの種にしようと呪っている人々も多く、何かにつけて、嫌なことばかりあるにちがいない」
|
源氏はもとより実父の内大臣のほうからも勧めてくることで玉鬘は煩悶をしていた。それがいいことなのであろうか、養父のはずである源氏さえも絶対の信頼はできぬ男性の好色癖をややもすれば見せて自分に臨むのであるから、お仕えする君との間に、こちらは受動的にもせよ情人関係ができた時は、中宮も女御も不快に思われるに違いない、そして自分は両家のどちらにも薄弱な根底しかない娘である。中宮や女御における後援は期して得られるものでない上に、自分の幸運げな外見をうらやんで何か悪口をする機会がないかとうかがっている人を多く持っていてはその時の苦しさが想像されると、
|
"Ika nara m? Oya to omohi kikoyuru hito no mi-kokoro dani, uti-toku maziki yo nari kere ba, masite sayau no mazirahi ni tuke te, kokoro yori hoka ni bin-naki koto mo ara ba, Tyuuguu mo Nyougo mo, kata-gata ni tuke te kokoro-oki tamaha ba, hasitanakara m ni, waga mi ha kaku hakanaki sama ni te, idu-kata ni mo hukaku omohi todome rare tatematuru hodo mo naku, asaki oboye ni te, tada nara zu omohi ihi, ikade hito warahe naru sama ni mi kiki nasa m to, ukehi tamahu hito-bito mo ohoku, tokaku ni tuke te, yasukara nu koto nomi ari nu beki."
|
|
1.1.3 |
を、 もの思し知るまじきほどにしあらねば、さまざまに思ほし乱れ、人知れずもの嘆かし。
|
からと、分別のないお年頃でもないから、いろいろとお思い悩んで、独り嘆いていらっしゃる。
|
若いといってももう少女でない玉鬘は思って苦しんでいるのである。
|
wo, mono obosi-siru maziki hodo ni si ara ne ba, sama-zama ni omohosi midare, hito-sire-zu mono-nagekasi.
|
|
1.1.4 |
「 さりとて、かかるありさまも悪しきことはなけれど、この大臣の御心ばへの、むつかしく心づきなきも、 いかなるついでにかは、もて離れて、人の推し量るべかめる筋を、心きよくもあり果つべき。
|
「そうかといって、このままの状態も悪いことはないけれども、この大臣のお気持ちの、厄介で厭わしいのも、どのような機会に、すっきりと断ち切って、世間の人が邪推しているらしいことを、潔白で通すことができようか。
|
そうかといって今のままで境遇を変えずにいることはいやなことではないが、源氏の恋から離れて、世間の臆測したことが真実でなかったと人に知らせる機会というものの得られないのは苦しい。
|
"Saritote, kakaru arisama mo asiki koto ha nakere do, kono Otodo no mi-kokorobahe no, mutukasiku kokoroduki-naki mo, ikanaru tuide ni ka ha, mote-hanare te, hito no osihakaru beka' meru sudi wo, kokoro-kiyoku mo ari hatu beki.
|
|
1.1.5 |
まことの父大臣も、この殿の思さむところ、憚りたまひて、うけばりてとり放ち、けざやぎたまふべきことにもあらねば、 なほとてもかくても、見苦しう、かけかけしきありさまにて、心を悩まし、人にもて騒がるべき身なめり」
|
実の父大臣も、こちらの殿のお考えに、遠慮なさって、堂々と引き取って、はっきり娘としてお扱いになることはないのだから、やはりいずれにしても、外聞悪く、色めいた有様で、心を悩まし、世間の人から噂される身の上のようだ」
|
実父も源氏の感情をはばかって、親として乗り出して世話をしてくれるようなことはないと見なければならない。曖昧な立場にいて自身は苦労をし、人からは嫉妬をされなければならない自分であるらしいと玉鬘は歎かれるのであった。
|
Makoto no titi-Otodo mo, kono Tono obosa m tokoro, habakari tamahi te, ukebari te tori-hanati, kezayagi tamahu beki koto ni mo ara ne ba, naho tote-mo kakute-mo, migurusiu, kake-kakesiki arisama ni te, kokoro wo nayamasi, hito ni mote-sawagaru beki mi na' meri."
|
|
1.1.6 |
と、なかなかこの親尋ねきこえたまひて後は、ことに憚りたまふけしきもなき大臣の君の 御もてなしを取り加へつつ、人知れずなむ嘆かしかりける。
|
と、かえって実の親をお捜し当てなさった後は、とくに遠慮なさるご様子もない大臣の君のお扱いを加え加えして、独り嘆いているのであった。
|
実父に引き合わせてからはもう源氏は道徳的にはばからねばならぬことから解放されたように、戯れかかることの多くなったことも玉鬘を憂鬱にした。
|
to, naka-naka kono oya tadune kikoye tamahi te noti ha, koto ni habakari tamahu kesiki mo naki Otodo-no-Kimi no ohom-motenasi wo tori-kuhahe tutu, hito-sire-zu nam, nagekasikari keru.
|
|
1.1.7 |
思ふことを、まほならずとも、片端にてもうちかすめつべき 女親もおはせず、いづ方もいづ方も、いと恥づかしげに、いとうるはしき御さまどもには、 何ごとをかは、さなむ、かくなむとも聞こえ分きたまはむ。世の人に似ぬ身のありさまを、うち眺めつつ、夕暮の空のあはれげなるけしきを、端近うて見出だしたまへるさま、いとをかし。
|
悩み事を、すっかりでなくとも、一部分だけでも漏らすことのできる女親もいらっしゃず、どちらの親も、とても立派で近づきがたいご様子では、どのようなことを、ああですとか、こうですとか申し上げて理解していただけようか。世間の人とは違ったわが身の上を、物思いに耽りながら、夕暮の空のしみじみとした様子を、端近くに出て眺めていらっしゃる姿、たいそう美しい。 |
自分の心持ちをにおわしてだけでも言うことのできる母というものを玉鬘は持っていなかった。東の夫人にせよ、南の夫人にせよ、娘らしく、また母らしくはして交わってくれるが、どうしてそんな貴婦人に内密の相談などが持ちかけられようと思うと、だれよりも哀れなのは自分の身の上であるような気がして、夕方の空の身にしむ色を、縁に近い座敷からながめて物思いをしているのであったが、その様子はきわめて美しかった。 |
Omohu koto wo, maho nara zu tomo, katahasi ni te mo uti-kasume tu beki womna-oya mo ohase zu, idu-kata mo idu-kata mo, ito hadukasige ni, ito uruhasiki ohom-sama-domo ni ha, nani-goto wo ka ha, sa nam, kaku nam to mo kikoye waki tamaha m? Yo no hito ni ni nu mi no arisama wo, uti-nagame tutu, yuhu-gure no sora no aharege naru kesiki wo, hasi-tikau te mi-idasi tamahe ru sama, ito wokasi.
|
|
|
|
|
|
|
|
1.2 |
第二段 夕霧、源氏の使者として玉鬘を訪問
|
1-2 Yugiri vists to Tamakazura as a messenger of Genji
|
|
1.2.1 |
薄き鈍色の御衣、なつかしきほどにやつれて、例に変はりたる色あひにしも、容貌はいとはなやかにもてはやされておはするを、 御前なる人びとは、うち笑みて見たてまつるに、 宰相中将、 同じ色の、今すこしこまやかなる直衣姿にて、纓巻きたまへる姿しも、またいと なまめかしくきよらにておはしたり。
|
薄色の御喪服を、しっとりと身にまとって、いつもと変わった色合いに、かえってその器量が引き立って美しくいらっしゃるのを、御前の女房たちは、にっこりして拝しているところに、宰相中将が、同じ喪服の、もう少し色の濃い直衣姿で、纓を巻いていらっしゃる姿が、またたいそう優雅で美しくいらっしゃった。
|
淡鈍色の喪服を玉鬘は祖母の宮のために着ていた。そのために顔がいっそうはなやかに引き立って見えるのを、女房たちは楽しんでながめている所へ、源宰相の中将が、これも鈍色の今少し濃い目な直衣を着て、冠を巻纓にしているのが平生よりも艶に思われる姿で訪ねて来た。
|
Usuki nibi-iro no ohom-zo, natukasiki hodo ni yature te, rei ni kahari taru iro-ahi ni simo, katati ha ito hanayaka ni motehayasa re te ohasuru wo, o-mahe naru hito-bito ha, uti-wemi te mi tatematuru ni, Saisyau-no-Tyuuzyau, onazi iro no, ima-sukosi komayaka naru nahosi-sugata ni te, ei maki tamahe ru sugata simo, mata ito namamekasiku kiyora ni te ohasi tari.
|
|
1.2.2 |
初めより、ものまめやかに心寄せきこえたまへば、 もて離れて疎々しきさまには、もてなしたまはざりしならひに、今、あらざりけりとて、こよなく変はらむもうたてあれば、なほ御簾に几帳添へたる御対面は、人伝てならでありけり。 殿の御消息にて、 内裏より仰せ言あるさま、やがてこの君のうけたまはりたまへるなりけり。
|
初めから、誠意を持って好意をお寄せ申し上げていらっしゃったので、他人行儀にはなさらなかった習慣から、今、姉弟ではなかったといって、すっかりと態度を改めるのもいやなので、やはり御簾に几帳を加えたご面会は、取り次ぎなしでなさるのであった。殿のお使いとして、宮中からのお言葉の内容を、そのままこの君がお承りなさったのであった。
|
最初のころから好意を表してくれる人であったから、玉鬘のほうでも親しく取り扱った習慣から、今になっても兄弟ではないというような態度をとることはよろしくないと思って、御簾に几帳を添えただけの隔てで、話は取り次ぎなしでした。今日は源氏の用で来たのである。宮中からあった仰せを源氏は子息によって伝えさせたのである。
|
Hazime yori, mono mameyaka ni kokoro-yose kikoye tamahe ba, mote-hanare te uto-utosiki sama ni ha, motenasi tamaha zari si narahi ni, ima, ara zari keri tote, koyonaku kahara m mo utate are ba, naho mi-su ni kityau sohe taru ohom-taimen ha, hitodute nara de ari keri. Tono no ohom-seusoko ni te, Uti yori ohosegoto aru sama, yagate kono Kimi no uketamahari tamahe ru nari keri.
|
|
1.2.3 |
御返り、おほどかなるものから、いとめやすき聞こえなしたまふけはひの、らうらうじくなつかしきにつけても、 かの野分の朝の御朝顔は、心にかかりて恋しきを、うたてある筋に思ひし、聞き明らめて後は、なほもあらぬ心地添ひて、
|
お返事は、おっとりとしたものの、たいそう難のなくお答え申し上げなさる態度が、いかにも才気があって女性らしいのにつけても、あの野分の朝のお顔が心にかかって恋しいので、いやなことだと思ったが、真相を聞き知ってから後は、やはり平静ではいられない気持ちが加わって、
|
おおようではあるが要領を得た返辞をする様子に、中将は貴女と話し合う快感が覚えられた。野分の朝にのぞいた顔の美しさの忘られないのを、その人は姉ではないかと恋しくなる心を責めていた中将であったが、そうした障りの除かれた今は恋人としてこの人を中将は考えていた。
|
Ohom-kaheri, ohodoka naru monokara, ito meyasuku kikoye-nasi tamahu kehahi no, rau-rauziku natukasiki ni tuke te mo, kano nowaki no asita no ohom-asagaho ha, kokoro ni kakari te kohisiki wo, utate aru sudi ni omohi si, kiki-akirame te noti ha, naho mo ara nu kokoti sohi te,
|
|
1.2.4 |
「 この宮仕ひを、 おほかたにしも思し放たじかし。 さばかり見所ある御あはひどもにて、 をかしきさまなることのわづらはしき、はた、かならず出で来なむかし」
|
「この宮仕えをなさっても、普通のことではお諦めになるまい。あれほどに見事なご夫人たちとの間柄でも、美しい人であるための厄介なことが、きっと起こるだろう」
|
尚侍の職をお勤めさせになるだけで帝は御満足をあそばすまい、この世で第一の美貌をお持ちになる帝との間に恋愛関係は必ずできてくることであろう
|
"Kono Miya-dukahi wo, ohokata ni simo obosi-hanata zi kasi. Sabakari mi-dokoro aru ohom-ahahi-domo ni te, wokasiki sama naru koto no wadurahasiki, hata, kanarazu ide-ki nam kasi."
|
|
1.2.5 |
と思ふに、ただならず、胸ふたがる心地すれど、つれなくすくよかにて、
|
と思うと、気が気でなく、胸のふさがる思いがするが、素知らぬ顔で真面目に、
|
と思うと、中将は胸を何かでおさえつけられる気もするのであったが自制していた。
|
to omohu ni, tada nara zu, mune hutagaru kokoti sure do, turenaku sukuyoka ni te,
|
|
1.2.6 |
「 人に聞かすまじとはべりつることを聞こえさせむに、いかがはべるべき」
|
「誰にも聞かせるなとのことでございましたお言葉を申し上げますので、どう致しましょうか」
|
「人に聞かせぬようにと父が申されましたことを申し上げようと思いますが、よろしいのでしょうか」
|
"Hito ni kikasu mazi to haberi turu koto wo mo kikoye sase m ni, ikaga haberu beki."
|
|
1.2.7 |
とけしき立てば、近くさぶらふ人も、すこし退きつつ、御几帳のうしろなどに そばみあへり。
|
と意味ありげに言うので、近くに伺候している女房たちも、少し下がり下がりして、御几帳の後ろなどに顔を横に向け合っていた。
|
と意味ありげに言っているのを聞いて、女房たちは少し離れた場所を捜して、几帳の後ろのほうなどへ皆行ってしまった。
|
to kesiki-date ba, tikaku saburahu hito mo, sukosi sirizoki tutu, mi-kityau no usiro nado ni sobami-ahe ri.
|
|
|
|
|
|
|
|
1.3 |
第三段 夕霧、玉鬘に言い寄る
|
1-3 Yugiri tells his love to Tamakazura
|
|
1.3.1 |
そら消息をつきづきしくとり続けて、こまやかに聞こえたまふ。 主上の御けしきのただならぬ筋を、さる御心したまへ、などやうの筋なり。いらへたまはむ言もなくて、ただうち嘆きたまへるほど、忍びやかに、うつくしくいとなつかしきに、なほえ忍ぶまじく、
|
嘘の伝言をそれらしく次々と続けて、こまごまと申し上げなさる。主上のご執心が並大抵ではないのを、ご注意なさい、などというようなことである。お答えなさる言葉もなくて、ただそっと溜息をついていらっしゃるのが、ひっそりとして、かわいらしくとても優しいので、やはり我慢できず、
|
中将は源氏の言ったのでもない言葉を、真実らしくいろいろと伝えていた。帝が尚侍にお召しになる御真意は別にあるらしいから、きれいに身を護ろうとすれば始終その心得がなくてはならないというような話である。返辞のできることでもなくて、玉鬘がただ吐息をついているのが美しく感ぜられた時に、中将の心にはおさえ切れないものが湧き上がってきた。
|
Sora seusoko wo tuki-dukisiku tori-tuduke te, komayaka ni kikoye tamahu. Uhe no mi-kesiki no tada-nara-nu sudi wo, saru mi-kokoro si tamahe, nado yau no sudi nari. Irahe tamaha m koto mo naku te, tada uti-nageki tamahe ru hodo, sinobiyaka ni, utukusiku ito natukasiki ni, naho e sinobu maziku,
|
|
1.3.2 |
「 御服も、この月には脱がせたまふべきを、日ついでなむ吉ろしからざりける。十三日に、河原へ出でさせたまふべきよし のたまはせつ。なにがしも御供にさぶらふべくなむ思ひたまふる」
|
「ご服喪も、今月にはお脱ぎになる予定ですが、日が吉くありませんでした。十三日に、河原へお出であそばすようにとおっしゃっていました。わたしもお供致したいと存じております」
|
「私たちの喪服はこの月で脱ぐはずですが、暦で調べますと月末はいい日でありませんから延びることになりますね。十三日に加茂の河原へ除服の御祓にあなたがおいでになるように父は決めていられるようです。私もごいっしょに参ろうと思っています」
|
"Ohom-buku mo, kono tuki ni ha nuga se tamahu beki wo, hi tuide nam yorosikara zari keru. Zihu-sam-niti ni, kahara he ide sase tamahu beki yosi notamahase tu. Nanigasi mo ohom-tomo ni saburahu beku nam omohi tamahuru."
|
|
1.3.3 |
と聞こえたまへば、
|
と申し上げなさると、
|
|
to kikoye tamahe ba,
|
|
1.3.4 |
「 たぐひたまはむもことことしきやうにやはべらむ。忍びやかにてこそよくはべらめ」
|
「ご一緒くださると事が仰々しくございませんか。人目に立たないほうがよいでしょう」
|
「ごいっしょでは目だつことになるでしょう。だれにもあまり知られないようにして行くほうがいいかと思います」
|
"Taguhi tamaha m mo koto-kotosiki yau ni ya habera m? Sinobiyaka ni te koso yoku habera me."
|
|
1.3.5 |
とのたまふ。 この御服なんどの詳しきさまを、 人にあまねく知らせじとおもむけたまへるけしき、いと労あり。中将も、
|
とおっしゃる。このご服喪などの詳細なことを、世間の人に広く知らすまいとしていらっしゃる配慮、たいそう行き届いている。中将も、
|
と玉鬘は言っていた。内大臣の娘として大宮の喪に服したことなどは世間へ知らせぬようにせねばならぬと考えるところにこの人の聡明と源氏への思いやりが現われていた。
|
to notamahu. Kono ohom-buku nando no kuhasiki sama wo, hito ni amaneku sira se zi to omomuke tamahe ru kesiki, ito rau ari. Tyuuzyau mo,
|
|
1.3.6 |
「 漏らさじと、つつませたまふらむこそ、心憂けれ。忍びがたく思ひたまへらるる形見なれば、脱ぎ捨てはべらむことも、 いともの憂くはべるものを。さても、あやしうもて離れぬことの、また 心得がたきにこそはべれ。この 御あらはし衣の色なくは、えこそ思ひたまへ分くまじかりけれ」
|
「世間の人に知られまいと、隠していらっしゃるのが、たいそう情ないのです。恋しくてたまらなく存じました方の形見なので、脱いでしまいますのも、たいそう辛うございますのに。それにしても、不思議にご縁のありますことが、また腑に落ちないのでございます。この喪服の色を着ていなかったら、とても分からなかったことでしょう」
|
「隠したくお思いになることが私には恨めしい気もいたしますよ。悲しい祖母のかたみのような喪服ですから、私は脱いでしまうのも惜しく思われるのです。それにしましてもやはりあなたと私とは一人の方を祖母に持っているのですから不思議な気がいたしますね。喪服をお着になることがありませんでしたら、真実のことを私は知らずじまいになったのかもしれません」
|
"Morasa zi to, tutuma se tamahu ram koso, kokoro-ukere. Sinobi-gataku omou tamahe raruru katami nare ba, nugi-sute habera m koto mo, ito mono-uku haberu mono wo. Satemo, ayasiu mote hanare nu koto no, mata kokoro-e gataki ni koso habere. Kono ohom-arahasi-goromo no iro naku ha, e koso omohi tamahe waku mazikari kere!"
|
|
1.3.7 |
とのたまへば、
|
とおっしゃると、
|
|
to notamahe ba,
|
|
1.3.8 |
「 何ごとも思ひ分かぬ心には、 ましてともかくも思ひたまへたどられはべらねど、かかる色こそ、あやしく ものあはれなるわざにはべりけれ」
|
「何も分別のないわたしには、ましてどういうことか筋道も辿れませんが、このような色は、妙にしみじみと感じさせられるものでございますね」
|
「私などにはましてよくわかりませんが、とにかく喪服を着ております気持ちは身にしむものですね」
|
"Nani-goto mo omohi-waka nu kokoro ni ha, masite tomo-kakumo omohi tamahe tadora re habera ne do, kakaru iro koso, ayasiku mono-ahare naru waza ni haberi kere!"
|
|
1.3.9 |
とて、例よりもしめりたる御けしき、いとらうたげにをかし。
|
と言って、いつもよりしんみりしたご様子、たいそう可憐で美しい。
|
こう言う玉鬘の平生よりもしんみりとした調子が中将にうれしかった。
|
tote, rei yori mo simeri taru mi-kesiki, ito rautage ni wokasi.
|
|
|
|
|
|
|
|
1.4 |
第四段 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す
|
1-4 Yugiri and Tamakazura compose and exchange waka
|
|
1.4.1 |
かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花のいとおもしろきを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、
|
このような機会にとでも思ったのであろうか、蘭の花のたいそう美しいのを持っていらっしゃったが、御簾の端から差し入れて、
|
この時にと思ったのか、手に持っていた蘭のきれいな花を御簾の下から中へ入れて、
|
Kakaru tuide ni to ya omohi-yori kem, rani no hana no ito omosiroki wo mo-tamaheri keru wo, mi-su no tuma yori sasi-ire te,
|
|
|
 |
1.4.2 |
「 これも御覧ずべきゆゑはありけり」
|
「この花も御覧になるわけのあるものです」
|
「この花も今の私たちにふさわしい花ですから」
|
"Kore mo go-ran-zu beki yuwe ha ari keri."
|
|
1.4.3 |
とて、とみにも許さで持たまへれば、 うつたへに思ひ寄らで取りたまふ御袖を、引き動かしたり。
|
と言って、すぐには手放さないで持っていらっしゃったので、全然気づかないで、お取りになろうとするお袖を引いた。
|
と言って、玉鬘が受け取るまで放さずにいたので、やむをえず手を出して取ろうとする袖を中将は引いた。
|
tote, tomi ni mo yurusa de mo' tamahe re ba, ututahe ni omohi-yora de tori tamahu ohom-sode wo, hiki-ugokasi tari.
|
|
1.4.4 |
「 同じ野の露にやつるる藤袴
|
「あなたと同じ野の露に濡れて萎れている藤袴です
|
「おなじ野の露にやつるる藤袴
|
"Onazi no no tuyu ni yatururu hudi-bakama
|
|
1.4.5 |
あはれはかけよかことばかりも」
|
やさしい言葉をかけて下さい、ほんの申し訳にでも」
|
哀れはかけよかごとばかりも
|
ahare ha kake yo kakoto bakari mo
|
|
1.4.6 |
「 道の果てなる」とかや ★、いと心づきなくうたてなりぬれど、見知らぬさまに、やをら引き入りて、
|
「道の果てにある」というのかと思うと、とても疎ましく嫌な気になったが、素知らない様子に、そっと奥へ引き下がって、
|
道のはてなる(東路の道のはてなる常陸帯のかごとばかりも逢はんとぞ思ふ)」こんなことが言いかけられたのであった。玉鬘にとっては思いがけぬことに当惑を感じながらも、気づかないふうをして、少しずつ身を後ろへ引いて行った。
|
Miti no hate naruto ka ya, ito kokoroduki-naku utate nari nure do, mi-sira nu sama ni, yawora hiki-iri te,
|
|
1.4.7 |
「 尋ぬるにはるけき野辺の露ならば
|
「尋ねてみて遥かに遠い野辺の露だったならば
|
「たづぬるに遥けき野辺の露ならば
|
"Tadunuru ni harukeki nobe no tuyu nara ba
|
|
1.4.8 |
薄紫やかことならまし
|
薄紫のご縁とは言いがかりでしょう
|
うす紫やかごとならまし
|
usu-murasaki ya kakoto nara masi
|
|
1.4.9 |
かやうにて聞こゆるより、深きゆゑはいかが」
|
このようにして申し上げる以上に、深い因縁はございましょうか」
|
従姉ということは事実だからいいでしょう。そのほかのことは何も」
|
Kayau ni te kikoyuru yori, hukaki yuwe ha ika ga?"
|
|
1.4.10 |
とのたまへば、すこしうち笑ひて、
|
とおっしゃるので、少しにっこりして、
|
と言うと、中将は少し笑って、
|
to notamahe ba, sukosi uti warahi te,
|
|
1.4.11 |
「 浅きも深きも、思し分く方ははべりなむと思ひたまふる。まめやかには、 いとかたじけなき筋を思ひ知りながら、えしづめはべらぬ心のうちを、いかでかしろしめさるべき。なかなか思し疎まむがわびしさに、いみじく籠めはべるを、 今はた同じと ★、 思ひたまへわびてなむ。
|
「浅くも深くも、きっとお分かりになることでございましょうと存じます。実際は、まことに恐れ多い宮仕えのことを存じながら、抑えきれません思いのほどを、どのようにしてお分りになっていただけましょうか。かえってお疎みになろうことがつらいので、ひどく堪えておりましたのが、今はもう同じこと、ぜひともと思い余って申し上げたのです。
|
「その事実のほかに考えてくださらなければならないこともおわかりになるはずですがね。常識ではもったいないことだと思っているのですが、この感情はおさえられるものでないのですからお察しください。こんなことを告白してはかえってお憎みを受けることになろうと思って今までは黙っていたのですが、ただ哀れだと思っていただくだけのことで満足したい心にもなっているのです。
|
"Asaki mo hukaki mo, obosi-waku kata ha haberi nam to omohi tamahuru. Mameyaka ni ha, ito katazikenaki sudi wo omohi-siri nagara, e sidume habera nu kokoro no uti wo, ikade ka sirosimesa ru beki. Naka-naka obosi-utoma m ga wabisisa ni, imiziku kome haberu wo, ima hata onazi to, omohi tamahe wabi te nam.
|
|
1.4.12 |
頭中将のけしきは御覧じ知りきや。人の上に、なんど思ひはべりけむ。身にてこそ、いとをこがましく、 かつは思ひたまへ知られけれ。なかなかかの君は思ひさまして、つひに、 御あたり離るまじき頼みに、思ひ慰めたるけしきなど見はべるも、いとうらやましくねたきに、あはれとだに思しおけよ」
|
頭中将の気持ちはご存知でしたか。他人事のように、どうして思ったのでございましょう。自分の身になってみて、たいそう愚かなことだと、その一方でよく分りました。かえってあの君は落ち着いていて、結局、ご姉弟の縁の切れないことをあてにして、思い慰めている様子などを拝見致しますのも、たいそう羨ましく憎らしいので、せめてかわいそうだとでもお心に留めてやってください」
|
頭中将の近ごろの様子をご存じですか、あのころは明らかに第三者だと思っていた私が、こんなに恋の苦しみを味わうようになるなどということは冷淡にした時の報いです。今ではあの人が冷静になってしかもつながる縁のあることに満足しているのですから、うらやましくてなりません。かわいそうだとだけでも私をお心にとめておいてください」
|
Tou-no-Tyuuzyau no kesiki ha go-ran-zi siri ki ya? Hito no uhe ni, nando omohi haberi kem. Mi ni te koso, ito wokogamasiku, katu ha omohi tamahe sira re kere. Naka-naka kano Kimi ha omohi samasi te, tuhi ni, ohom-atari hanaru maziki tanomi ni, omohi nagusame taru kesiki nado mi haberu mo, ito urayamasiku netaki ni, ahare to dani obosi-oke yo!"
|
|
1.4.13 |
など、 こまかに聞こえ知らせたまふこと多かれど、 かたはらいたければ書かぬなり ★。
|
などと、こまごまと申し上げなさることが多かったが、どうかと思われるので書かないのである。
|
まだいろいろに言ったのであるが、中将のために筆者は遠慮しておく。
|
nado, komaka ni kikoye sirase tamahu koto ohokare do, kataharaitakere ba kaka nu nari.
|
|
1.4.14 |
尚侍の君、やうやう引き入りつつ、むつかしと思したれば、
|
尚侍の君は、だんだんと奥に引っ込みながら、厄介なことだとお思いでいたので、
|
玉鬘に気味悪く思うふうの見えるのを知って、
|
Kam-no-Kimi, yau-yau hiki-iri tutu, mutukasi to obosi tare ba,
|
|
1.4.15 |
「 心憂き御けしきかな。過ちすまじき心のほどは、おのづから御覧じ知らるるやうもはべらむものを」
|
「冷たいそぶりをなさいますね。間違い事は決して致さない性格であることは、自然とご存知でありましょうに」
|
「私を信じてくださらないのですね。ばかな真似などをする人間でないことはおわかりになっているはずですが」
|
"Kokoro-uki mi-kesiki kana! Ayamati su maziki kokoro no hodo ha, onodukara go-ran-zi sira ruru yau mo habera m mono wo."
|
|
1.4.16 |
とて、かかるついでに、今すこし漏らさまほしけれど、
|
と言って、このような機会に、もう少し打ち明けたいのだが、
|
こう中将は言った。この機会にもう少し告げたい感情もあるのであったが、
|
tote, kakaru tuide ni, ima sukosi morasa mahosikere do,
|
|
1.4.17 |
「 あやしくなやましくなむ」
|
「妙に気分が悪くなりまして」
|
「少し気分が悪くなってきましたから」
|
"Ayasiku nayamasiku nam."
|
|
1.4.18 |
とて、入り果てたまひぬれば、いといたくうち 嘆きて立ちたまひぬ。
|
と言って、すっかり入っておしまいになったので、とてもひどくお嘆きになってお立ちになった。
|
と言って、玉鬘が向こうへはいってしまったのを見て、深く中将は歎息しながら去った。
|
tote, iri-hate tamahi nure ba, ito itaku uti-nageki te tati tamahi nu.
|
|
|
|
|
出典1 |
道の果てなる |
東路の道の果てなる常陸帯のかごとばかりも逢ひ見てしがな |
古今六帖五二-三三六〇 |
1.4.6 |
出典2 |
今はた同じ |
侘びぬれば今はた同じ難波なる身を尽くしても逢はむとぞ思ふ |
後撰集恋五-九六〇 元良親王 |
1.4.11 |
|
|
|
1.5 |
第五段 夕霧、源氏に復命
|
1-5 Yugiri reports back to Genji
|
|
1.5.1 |
「 なかなかにもうち出でてけるかな」と、口惜しきにつけても、 かの、今すこし身にしみておぼえし御けはひを、かばかりの物越しにても、「ほのかに御声をだに、いかならむついでにか聞かむ」と、やすからず思ひつつ、御前に参りたまへれば、出でたまひて、御返りなど聞こえたまふ。
|
「言わないでもよいことを言ってしまった」と、悔やまれるにつけても、あの、もう少し身にしみて恋しく思われた御方のご様子を、このような几帳越しにでも、「せめてかすかにお声だけでも、どのような機会に聞くことができようか」と、穏やかならず思いながら、殿の御前に参上なさると、お出ましになったので、ご報告など申し上げなさる。
|
よけいな告白をしたと中将は後悔をしたのであったが、この人以上に身に沁んで恋しく思われた紫の女王と、せめてこれほどの接触が許されてほのかな声でも聞きうる機会をどんな時にとらえることができるであろうと、その困難さを思って心を苦しめながら中将は南の町へ来た。源氏はすぐ出て来たので、中将は聞いて来た返事をした。
|
"Naka-naka ni mo uti-ide te keru kana!" to, kutiwosiki ni tuke te mo, kano, ima sukosi mi ni simi te oboye si ohom-kehahi wo, kabakari no mono-gosi ni te mo, "Honoka ni ohom-kowe wo dani, ika nara m tuide ni ka kika m?" to, yasukara zu omohi tutu, o-mahe ni mawiri tamahe re ba, ide tamahi te, ohom-kaheri nado kikoye tamahu.
|
|
1.5.2 |
「 この宮仕へを、しぶげにこそ思ひたまへれ。 宮などの、練じたまへる人にて、いと心深きあはれを尽くし、言ひ悩ましたまふになむ、心やしみたまふらむと思ふになむ、心苦しき。
|
「この宮仕えを、億劫に思っていらっしゃる。兵部卿宮などの、恋の道には練達していらっしゃる方で、たいそう深い恋心のありたけを見せて、お口説きなさるのに、心をお惹かれになっていらっしゃるのだろうと思われるのが、お気の毒なのだ。
|
「御所へ上がるのを、やっとしぶしぶ承諾した形なのだから困る。兵部卿の宮などが求婚者で、深刻な情熱の盛られたお手紙が送られていて、そのほうへ心が惹かれるのではなかろうかと思うと気の毒な気にもなる。
|
"Kono Miyadukahe wo, sibuge ni koso omohi tamahe re. Miya nado no, ren-zi tamahe ru hito nite, ito kokoro-hukaki ahare wo tukusi, ihi-nayamasi tamahu ni nam, kokoro ya simi tamahu ram to omohu ni nam, kokoro-gurusiki.
|
|
1.5.3 |
されど、大原野の行幸に、主上を見たてまつりたまひては、いとめでたくおはしけり、と思ひたまへりき。若き人は、ほのかにも見たてまつりて、えしも宮仕への筋もて離れじ。さ思ひてなむ、 このこともかくものせし」
|
けれども、大原野の行幸に、主上を拝見なさってからは、たいそうご立派な方でいらっしゃったと、思っておいでであった。若い人は、ちらっとでも拝見しては、とても宮仕えのことを思い切れまい。そのように思って、このこともこうしたのだ」
|
しかし大原野の行幸の時にお上を拝見して、お美しいと思った様子だったのだからね。若い女は一目でもお顔を拝見すれば宮仕えのできる者は皆出ないではいられまいと思って、最初に私の計らったことなのだが」
|
Saredo, Ohoharano no miyuki ni, Uhe wo mi tatematuri tamahi te ha, ito medetaku ohasi keri, to omohi tamahe ri ki. Wakaki hito ha, honoka ni mo mi tatematuri te, e simo miyadukahe no sudi mote-hanare zi. Sa omohi te nam, kono koto mo kaku monose si."
|
|
1.5.4 |
などのたまへば、
|
などとおっしゃると、
|
などと源氏は言う。
|
nado notamahe ba,
|
|
1.5.5 |
「 さても、人ざまは、いづ方につけてかは、たぐひてものしたまふらむ。中宮、かく並びなき筋にておはしまし、また、弘徽殿、やむごとなく、おぼえことにてものしたまへば、いみじき御思ひありとも、立ち並びたまふこと、かたくこそはべらめ。
|
「それにしても、お人柄は、どちらの方とご一緒になっても、相応しくいらっしゃるでしょう。中宮が、このように並ぶ者もない地位でいらっしゃいますし、また、弘徽殿女御も、立派な家柄で、ご寵愛も格別でいらっしゃるので、たいそうご寵愛を受けても、肩をお並べなさることは、難しいことでございましょう。
|
「それにしましてもあの方はどんなふうになられるのがいちばん適したことでしょう。御所には中宮が特殊な尊貴な存在でいらっしゃいますし、また弘徽殿の女御という寵姫もおありになるのですから、どんなにお気に入りましてもそのお二方並みにはなれないことでしょう。
|
"Satemo, hitozama ha, idukata ni tukete ka ha, taguhi te monosi tamahu ram. Tyuuguu, kaku narabi naki sudi ni te ohasimasi, mata, Koukiden, yamgotonaku, oboye koto ni te monosi tamahe ba, imiziki ohom-omohi ari tomo, tati-narabi tamahu koto, kataku koso habera me.
|
|
1.5.6 |
宮は、いとねむごろに思したなるを、わざと、 さる筋の御宮仕へにもあらぬものから、ひき違へたらむさまに御心おきたまはむも、 さる御仲らひにては、いといとほしくなむ聞きたまふる」
|
兵部卿宮は、たいそう熱心にお思いでいらっしゃるようですが、特別に、そうした筋合の宮仕えでなくても、無視されたようにお思い置かれなさるのも、ご兄弟の間柄では、たいそうお気の毒に存じられます」
|
兵部卿の宮は熱烈に御結婚を望んでおいでになるのですから、表面は後宮の人ではありませんでも、尚侍などにお出しになることによって、これまでの親密な御交情がそこなわれはしないかと私は思いますが」
|
Miya ha, ito nemgoro ni obosi ta' naru wo, wazato, saru sudi no ohom-Miyadukahe ni mo ara nu mono kara, hiki-tagahe tara m sama ni mi-kokorooki tamaha m mo, saru ohom-nakarahi nite ha, ito itohosiku nam kiki tamahuru."
|
|
1.5.7 |
と、おとなおとなしく申したまふ。
|
と大人びて申し上げなさる。
|
中将は老成な口調で意見を述べた。
|
to, otona-otonasiku mausi tamahu.
|
|
|
|
|
|
|
|
1.6 |
第六段 源氏の考え方
|
1-6 Genji considers Tamakazura how to behave herself
|
|
1.6.1 |
「 かたしや。わが心ひとつなる人の上にもあらぬを、大将さへ、我をこそ 恨むなれ。すべて、 かかることの心苦しさを見過ぐさで、 あやなき人の恨み負ふ、かへりては軽々しきわざなりけり。 かの母君の、 あはれに言ひおきしことの忘れざりしかば、心細き山里になど聞きしを、 かの大臣、はた、聞き入れたまふべくもあらずと愁へしに ★、いとほしくて、かく渡しはじめたるなり。ここにかくものめかすとて、かの大臣も人めかいたまふなめり」
|
「難しいことだ。自分の思いのままに行く人のことではないので、大将までが、わたしを恨んでいるそうだ。何事も、このような気の毒なことは見ていられないので、わけもなく人の恨みを負うのは、かえって軽率なことであった。あの母君が、しみじみと遺言したことを忘れなかったので、寂しい山里になどと聞いたが、あの内大臣は、やはり、お聞きになるはずもあるまいと訴えたので、気の毒に思って、このように引き取ることにしたのだ。わたしがこう大切にしていると聞いて、あの大臣も人並みの扱いをなさるようだ」
|
「むずかしいことだね。私だけの意志でどう決めることもできない人のことではないか。それだのに右大将なども私を恨みの標的にしているそうだ。一人の求婚者に同情して与えてしまえばほかの人は皆失恋することになるのだから、うかと縁談が決められないのだよ。あの人を生んだ母親が哀れな遺言をしておいたのでね、郊外であの人が心細く暮らしているということを聞いて、内大臣も子と認めようとするふうは見えないと悲観しているようだったから、最初私の子として引き取ることにしたのだよ。私が大事がるのでやっと大臣も価値を認めてきたのだ」
|
"Katasi ya! Waga kokoro hitotu naru hito no uhe ni mo ara nu wo, Daisyau sahe, ware wo koso uramu nare. Subete, kakaru koto no kokoro-gurusisa wo mi-sugusa de, ayanaki hito no urami ohu, kaheri te ha karu-garusiki waza nari keri. Kano Haha-Gimi no, ahare ni ihi-oki si koto no wasure zari sika ba, kokoro-bosoki yamazato ni nado kiki si wo, kano Otodo, hata, kiki-ire tamahu beku mo ara zu to urehe si ni, itohosiku te, kaku watasi hazime taru nari. Koko ni kaku monomekasu tote, kano Otodo mo hito mekai tamahu na' meri."
|
|
1.6.2 |
と、つきづきしくのたまひなす。
|
と、もっともらしくおっしゃる。
|
源氏は真実らしくこう言っていた。
|
to, tuki-dukisiku notamahi-nasu.
|
|
1.6.3 |
「 人柄は、 宮の御人にていとよかるべし。今めかしく、いとなまめきたるさまして、さすがにかしこく、 過ちすまじくなどして、あはひはめやすからむ。さてまた、宮仕へにも、いとよく足らひたらむかし。容貌よく、らうらうじきものの、公事などにもおぼめかしからず、はかばかしくて、 主上の常に願はせたまふ御心には、違ふまじ」
|
「人柄は、宮の夫人としてたいそう適任であろう。今風な感じで、たいそう優美な感じがして、それでいて賢明で、間違いなどしそうになくて、夫婦仲もうまく行くだろう。そしてまた、宮仕えにも十分適しているだろう。器量もよく才気あるようだが、公務などにも暗いところがなく、てきぱきと処理して、主上がいつもお望みあそばすお考えには、外れないだろう」
|
「人物は宮の夫人であることに最も適していると思う。近代的で、艶な容姿を持っていて、しかも聡明で、過失などはしそうでない女性だから、いい宮の夫人だと思う。そしてまた尚侍の適任者でもあるのだよ。美貌で、貴女らしい貴女で、職責も十分に果たしうるような人物というお上の御註文どおりなのはあの人だと思う」
|
"Hito-gara ha, Miya no ohom-hito ni te ito yokaru besi. Imamekasiku, ito namameki taru sama si te, sasuga ni kasikoku, ayamati su maziku nado si te, ahahi meyasukara m. Sate mata, Miya-dukahe ni mo, ito yoku tarahi tara m kasi. Katati yoku, rau-rauziki mono no, Ohoyake-goto nado ni mo obomekasikara zu, haka-bakasiku te, Uhe no tune ni negaha se tamahu mi-kokoro ni ha, tagahu mazi."
|
|
1.6.4 |
などのたまふけしきの見まほしければ、
|
などとおっしゃる真意が知りたいので、
|
とも言った。中将は源氏自身の胸中の秘事も探りたくなった。
|
nado notamahu kesiki no mi mahosikere ba,
|
|
1.6.5 |
「 年ごろかくて育みきこえたまひける御心ざしを、 ひがざまにこそ人は申すなれ。かの大臣も、さやうになむおもむけて、大将の、あなたざまのたよりにけしきばみたりけるにも、いらへける」
|
「長年このようにお育てなさったお気持ちを、変なふうに世間の人は噂申しているようです。あの大臣もそのように思って、大将が、あちらに伝を頼って申し込んできた時にも、答えました」
|
「今日まで実父に隠してお手もとへお置きになったことで、いろいろな忖度を世間はしております。内大臣もそんな意味を含んだことを、右大将からあちらへの申し込みに答えて言ったそうです」
|
"Tosi-goro kaku te hagukumi kikoye tamahi keru mi-kokorozasi wo, higa-zama ni koso hito ha mausu nare. Kano Otodo mo, sayau ni nam omomuke te, Daisyau no, anata-zama no tayori ni kesiki-bami tari keru ni mo, irahe keru."
|
|
1.6.6 |
と聞こえたまへば、うち笑ひて、
|
と申し上げなさると、ちょっと笑って、
|
と中将が言うと、源氏は笑いながら、
|
to kikoye tamahe ba, uti-warahi te,
|
|
1.6.7 |
「 かたがたいと似げなきことかな。なほ、宮仕へをも、 御心許して、かくなむと思されむさまにぞ従ふべき。 女は三に従ふものにこそあなれ ★ど、 ついでを違へて、おのが心にまかせむことは、あるまじきことなり」
|
「それもこれもまったく違っていることだな。やはり、宮仕えでも、お許しがあって、そのようにとお考えになることに従うのがよいだろう。女は三つのことに従うものだというが、順序を取り違えて、わたしの考えにまかせることは、とんでもないことだ」
|
「それは思いやりのありすぎる迷惑な話だね。宮仕えだって何だって内大臣の意志を尊重して、私はできる世話だけをする気なのだがね。女の三従の道は親に従うのがまず第一なのだからね。その美風を破るようなことはとんでもないことだ」
|
"Kata-gata ito nigenaki koto kana! Naho, Miyadukahe wo mo, mi-kokoro yurusi te, kaku nam to obosa re m sama ni zo sitagahu beki. Womna ha mi-tu ni sitagahu mono ni koso a' nare do, tuide wo tagahe te, onoga kokoro ni makase m koto ha, arumaziki koto nari."
|
|
1.6.8 |
とのたまふ。
|
とおっしゃる。
|
と言った。
|
to notamahu.
|
|
|
|
|
出典3 |
女は三に従ふ |
婦人有三従之義。無専用之道。故未嫁従父。既嫁従夫。夫死従子。 |
儀礼-喪服篇 |
1.6.7 |
|
|
|
1.7 |
第七段 玉鬘の出仕を十月と決定
|
1-7 Genji plans Tamakazura starting to work under Mikado in October
|
|
1.7.1 |
「 うちうちにも、 やむごとなきこれかれ、年ごろを経てものしたまへば、え その筋の人数にはものしたまはで、捨てがてらにかく譲りつけ、 おほぞうの宮仕への筋に、領ぜむと思しおきつる、いとかしこくかどあることなりとなむ、 よろこび申されけると、たしかに人の語り申しはべりしなり」
|
「内々でも、立派な方々が、長年連れ添っていらっしゃるので、その夫人の一人にはなさることができないので、捨てる気持ち半分でこのように譲ることにし、通り一遍の宮仕えをさせて、自分のものにしようとお考えになっているのは、たいそう賢くよいやり方だと、感謝申されていたと、はっきりとある人が言っておりましたことです」
|
「こちらには以前からりっぱな夫人がたがおいでになって、新しくその数へお入れになることができないため、世間体だけを官職におつけになることにして、やはりいつまでも愛人でお置きになることのできるようなお計らいは、賢明な処置だといって、大臣が喜ばれたということを、確かな人から私は聞きました」
|
"Uti-uti ni mo, yamgotonaki kore-kare, tosi-goro wo he te monosi tamahe ba, e sono sudi no hito-kazu ni ha monosi tamaha de, sute gatera ni kaku yuduri-tuke, ohozou no miyadukahe no sudi ni, rau-ze m to obosi-oki turu, ito kasikoku kado aru koto nari to nam, yorokobi mausa re keru to, tasika ni hito no katari mausi haberi si nari."
|
|
1.7.2 |
と、いとうるはしきさまに語り申したまへば、「 げに、さは思ひたまふらむかし」と思すに、 いとほしくて、
|
と、たいそう改まった態度でお話し申し上げなさるので、「なるほど、そのようにお考えなのだろう」とお思いになると、気の毒になって、
|
中将が真正面からこう言うのを聞いて、源氏は内大臣としてはそうも想像するであろうと気の毒に思った。
|
to, ito uruhasiki sama ni katari mausi tamahe ba, "Geni, sa ha omohi tamahu ram kasi." to obosu ni, itohosiku te,
|
|
1.7.3 |
「 いとまがまがしき筋にも思ひ寄りたまひけるかな。いたり深き御心ならひならむかし。今おのづから、いづ方につけても、あらはなることありなむ。 思ひ隈なしや」
|
「たいそうとんでもないふうにお考えになったものだな。隅々まで考えを廻らすご気性からなのだろう。今に自然と、どちらにしても、はっきりすることがあろう。思慮の浅いことよ」
|
「曲がった解釈をされているものだね。それが賢明な人の観察というものかもしれない。もうすぐに事実が万事を明らかにするだろう。しかし、どうなるにしても余りにひどい想像だ」
|
"Ito maga-magasiki sudi ni mo omohi-yori tamahi keru kana! Itari hukaki mi-kokoro narahi nara m kasi. Ima onodukara, idu-kata ni tuke te mo, araha naru koto ari na m. Omohi kumanasi ya!"
|
|
1.7.4 |
と笑ひたまふ。 御けしきはけざやかなれど、なほ、疑ひは置かる。大臣も、
|
とお笑いになる。ご様子はきっぱりしているが、やはり、疑問は残る。大臣も、
|
と源氏は笑っていた。あざやかな弁解をしたつもりであろうが、まだ疑いは十分に残してよいことであると中将は思っていた。源氏も心の中で、
|
to warahi tamahu. Mi-kesiki ha kezayaka nare do, naho, utagahi ha oka ru. Otodo mo,
|
|
1.7.5 |
「 さりや。かく人の推し量る、 案に落つることもあらましかば、いと口惜しくねぢけたらまし。かの大臣に、いかで、かく心清きさまを知らせたてまつらむ」
|
「やはりそうか。このように人は推量するのに、その思惑どおりのことがあったら、まことに残念でひねくれたようだろうに。あの内大臣に、何とかして、このような身の潔白なさまをお知らせ申したいものだ」
|
こう人の噂する筋書きどおりのあやまった道は踏むまいとみずから警めた。このきれいな気持ちを大臣にも徹底的に知らせたい
|
"Sariya! Kaku hito no osi-hakaru, an ni oturu koto mo ara masika ba, ito kutiwosiku nedike tara masi. Kano Otodo ni, ikade, kaku kokoro-giyoki sama wo sirase tatematura m."
|
|
1.7.6 |
と思すにぞ、「 げに、宮仕への筋にて、けざやかなるまじく紛れたるおぼえを、 かしこくも思ひ寄りたまひけるかな」と、むくつけく思さる。
|
とお思いになると、「なるほど、宮仕えということにして、はっきりと分からないようにごまかした懸想を、よくもお見抜きになったものだ」と、気味悪いほどに思わずにはいらっしゃれない。
|
と源氏は思ったが、玉鬘を官職につけておいて情人関係を永久に失うまいとすることなどを、どうして大臣に観測されたのであろうと薄気味悪くさえなった。
|
to obosu ni zo, "Geni, Miya-dukahe no sudi ni te, kezayaka naru maziku magire taru oboye wo, kasikoku mo omohi-yori tamahi keru kana!" to, mukutukeku obosa ru.
|
|
1.7.7 |
かくて御服など脱ぎたまひて、
|
こうして御喪服などをお脱ぎになって、
|
玉鬘は除服したが、
|
Kakute ohom-buku nado nugi tamahi te,
|
|
1.7.8 |
「 月立たば、なほ参りたまはむこと忌あるべし ★。十月ばかりに」
|
「来月になると、やはり御出仕するには障りがあろう。十月ごろに」
|
翌月の九月は女の宮中へはいることに忌む月でもあったから、十月になってから出仕することに源氏が決めたのを、
|
"Tuki tata ba, naho mawiri tamaha m koto imi aru besi. Kamnaduki bakari ni."
|
|
1.7.9 |
と思しのたまふを、内裏にも心もとなく聞こし召し、聞こえたまふ人びとは、誰も誰も、いと口惜しくて、この御参りの先にと、心寄せのよすがよすがに責めわびたまへど、
|
とおっしゃるのを、帝におかせられても待ち遠しくお思いあそばされ、求婚なさっていた方々は、皆が皆、まことに残念で、この御出仕の前に何とかしたいと考えて、懇意にしている女房たちのつてづてに泣きつきなさるが、
|
お聞きになって帝は待ち遠しく思召した。求婚者は皆尚侍に決定したことを聞いて残念がった。それまでに縁組みを決めて、御所へはいるのを阻止したいと皆あせって、仲介者になっている女房たちを責めるのであるが、尚侍の出仕を阻止するようなことは、
|
to obosi notamahu wo, Uti ni mo kokoro-motonaku kikosimesi, kikoye tamahu hito-bito ha, tare mo tare mo, ito kutiwosiku te, kono ohom-mawiri no saki ni to, kokoro-yose no yosuga yosuga ni seme wabi tamahe do,
|
|
1.7.10 |
「 吉野の滝をせ堰かむよりも難き ★ことなれば、いとわりなし」
|
「吉野の滝を堰止めるよりも難しいことなので、まことに仕方がございません」
|
吉野の滝をふさぎ止めるよりもなお不可能なことである
|
"Yosino no taki wo seka m yori mo kataki koto nare ba, ito wari nasi."
|
|
1.7.11 |
と、おのおのいらふ。
|
と、それぞれ返事をする。
|
とそれらの女たちは言っていた。
|
to, ono ono irahu.
|
|
1.7.12 |
中将も、なかなかなることをうち出でて、「 いかに思すらむ」と苦しきままに、駆けりありきて、いとねむごろに、 おほかたの御後見を思ひあつかひたるさまにて、追従しありきたまふ。たはやすく、軽らかに うち出でては聞こえかかりたまはず、 めやすくもてしづめたまへり。
|
中将も、言わなければよいことを口にしたため、「どのようにお思いだろうか」と胸の苦しいまま、駆けずり回って、たいそう熱心に、全般的なお世話をする体で、ご機嫌をとっていらっしゃる。簡単に、軽々しく口に出しては申し上げなさらず、体よく気持ちを抑えていらっしゃる。
|
源中将はしないでよい告白をしたことで感情を害しなかったかと不安で、この苦しみを紛らわすために一所懸命に尚侍の出仕についての用などに奔走して好意を見せることにつとめていた。もうあれ以来軽率に感情を告げたりすることもなく慎んでいるのである。
|
Tyuuzyau mo, naka-naka naru koto wo uti-ide te, "Ikani obosu ram?" to kurusiki mama ni, kakeri ariki te, ito nemgoro ni ohokata no ohom-usiromi wo omohi atukahi taru sama ni te, tuiseu si ariki tamahu. Tahayasuku, karuraka ni uti-ide te ha kikoye-kakari tamaha zu, meyasuku mote sidume tamahe ri.
|
|
|
|
|
出典4 |
吉野の滝をせ堰かむ |
手を障へて吉野の滝は堰きつとも人の心をいかが頼まむ |
古今六帖四-二二三三 凡河内躬恒 |
1.7.10 |
|
|
|
|
Last updated 9/17/2001 渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2) Last updated 9/17/2001 渋谷栄一注釈(ver.1-1-2) |
Last updated 9/17/2001 渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2) |
|
Last updated 9/12/2002 Written in Japanese roman letters by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
|
|
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
|