光る源氏の太政大臣時代三十六歳の新春正月の物語
[主要登場人物]
第一章 光る源氏の物語 新春の六条院の女性たち
[第二段 明石姫君、実母と和歌を贈答]
姫君の御方に渡りたまへれば、童女、下仕へなど、御前の山の小松引き遊ぶ。若き人びとの心地ども、おきどころなく見ゆ。北の御殿より、わざとがましくし集めたる鬚籠ども、破籠などたてまつれたまへり。えならぬ五葉の枝に移る鴬も、思ふ心あらむかし。
「年月を松にひかれて経る人に
今日鴬の初音聞かせよ
『音せぬ里の』」
と聞こえたまへるを、「げに、あはれ」と思し知る。言忌もえしあへたまはぬけしきなり。
「この御返りは、みづから聞こえたまへ。初音惜しみたまふべき方にもあらずかし」
とて、御硯取りまかなひ、書かせたてまつりたまふ。いとうつくしげにて、明け暮れ見たてまつる人だに、飽かず思ひきこゆる御ありさまを、今までおぼつかなき年月の隔たりにけるも、「罪得がましう、心苦し」と思す。
「ひき別れ年は経れども鴬の
巣立ちし松の根を忘れめや」
幼き御心にまかせて、くだくだしくぞあめる。
[第三段 夏の御殿の花散里を訪問]
夏の御住まひを見たまへば、時ならぬけにや、いと静かに見えて、わざと好ましきこともなくて、あてやかに住みたるけはひ見えわたる。
年月に添へて、御心の隔てもなく、あはれなる御仲なり。今は、あながちに近やかなる御ありさまも、もてなしきこえたまはざりけり。いと睦ましくありがたからむ妹背の契りばかり、聞こえ交はしたまふ。御几帳隔てたれど、すこし押しやりたまへば、またさておはす。
「縹は、げに、にほひ多からぬあはひにて、御髪などもいたく盛り過ぎにけり。やさしき方にあらぬと、葡萄鬘してぞつくろひたまふべき。我ならざらむ人は、見醒めしぬべき御ありさまを、かくて見るこそうれしく本意あれ。心軽き人の列にて、われに背きたまひなましかば」など、御対面の折々は、まづ、「わが心の長きも、人の御心の重きをも、うれしく、思ふやうなり」
と思しけり。こまやかに、ふる年の御物語など、なつかしう聞こえたまひて、西の対へ渡りたまひぬ。
[第四段 続いて玉鬘を訪問]
まだいたくも住み馴れたまはぬほどよりは、けはひをかしくしなして、をかしげなる童女の姿なまめかしく、人影あまたして、御しつらひ、あるべき限りなれど、こまやかなる御調度は、いとしも調へたまはぬを、さる方にものきよげに住みなしたまへり。
正身も、あなをかしげと、ふと見えて、山吹にもてはやしたまへる御容貌など、いとはなやかに、ここぞ曇れると見ゆるところなく、隈なく匂ひきらきらしく、見まほしきさまぞしたまへる。もの思ひに沈みたまへるほどのしわざにや、髪の裾すこし細りて、さはらかにかかれるしも、いとものきよげに、ここかしこいとけざやかなるさましたまへるを、「かくて見ざらましかば」と思すにつけても、えしも見過ぐしたまふまじ。
かくいと隔てなく見たてまつりなれたまへど、なほ思ふに、隔たり多くあやしきが、うつつの心地もしたまはねば、まほならずもてなしたまへるも、いとをかし。
「年ごろになりぬる心地して、見たてまつるにも心やすく、本意かなひぬるを、つつみなくもてなしたまひて、あなたなどにも渡りたまへかし。いはけなき初琴習ふ人もあめるを、もろともに聞きならしたまへ。うしろめたく、あはつけき心持たる人なき所なり」
と聞こえたまへば、
「のたまはせむままにこそは」
と聞こえたまふ。さもあることぞかし。
[第五段 冬の御殿の明石御方に泊まる]
暮れ方になるほどに、明石の御方に渡りたまふ。近き渡殿の戸押し開くるより、御簾のうちの追風、なまめかしく吹き匂はして、ものよりことに気高く思さる。正身は見えず。いづらと見まはしたまふに、硯のあたりにぎははしく、草子どもなど取り散らしたるなど取りつつ見たまふ。唐の東京錦のことことしき端さしたる茵に、をかしげなる琴うち置き、わざとめきよしある火桶に、侍従をくゆらかして、物ごとにしめたるに、衣被香の香のまがへる、いと艶なり。手習どもの乱れうちとけたるも、筋変はり、ゆゑある書きざまなり。ことことしう草がちなどにもされ書かず、めやすく書きすましたり。
小松の御返りを、めづらしと見けるままに、あはれなる古事ども書きまぜて、
「めづらしや花のねぐらに木づたひて
谷の古巣を訪へる鴬
声待ち出でたる」
なども、
「咲ける岡辺に家しあれば」
など、ひき返し慰めたる筋など書きまぜつつあるを、取りて見たまひつつほほ笑みたまへる、恥づかしげなり。
筆さし濡らして書きすさみたまふほどに、ゐざり出でて、さすがにみづからのもてなしは、かしこまりおきて、めやすき用意なるを、「なほ、人よりはことなり」と思す。白きに、けざやかなる髪のかかりの、すこしさはらかなるほどに薄らぎにけるも、いとどなまめかしさ添ひて、なつかしければ、「新しき年の御騒がれもや」と、つつましけれど、こなたに泊りたまひぬ。「なほ、おぼえことなりかし」と、方々に心おきて思す。
南の御殿には、ましてめざましがる人びとあり。まだ曙のほどに渡りたまひぬ。かうしもあるまじき夜深さぞかしと思ふに、名残もただならず、あはれに思ふ。
待ちとりたまへるはた、なまけやけしと思すべかめる心のうち、量られたまひて、
「あやしきうたた寝をして、若々しかりけるいぎたなさを、さしもおどろかしたまはで」
と、御けしきとりたまふもをかしく見ゆ。ことなる御いらへもなければ、わづらはしくて、そら寝をしつつ、日高く大殿籠もり起きたり。
[第六段 六条院の正月二日の臨時客]
今日は、臨時客のことに紛らはしてぞ、面隠したまふ。上達部、親王たちなど、例の、残りなく参りたまへり。御遊びありて、引出物、禄など、二なし。そこら集ひたまへるが、我も劣らじともてなしたまへるなかにも、すこしなずらひなるだにも見えたまはぬものかな。とり放ちては、いと有職多くものしたまふころなれど、御前にては気圧されたまふも、悪るしかし。何の数ならぬ下部どもなどだに、この院に参る日は、心づかひことなりけり。まして若やかなる上達部などは、思ふ心などものしたまひて、すずろに心懸想したまひつつ、常の年よりもことなり。
花の香誘ふ夕風、のどやかにうち吹きたるに、御前の梅やうやうひもときて、あれは誰れ時なるに、物の調べどもおもしろく、「この殿」うち出でたる拍子、いとはなやかなり。大臣も時々声うち添へたまへる「さき草」の末つ方、いとなつかしくめでたく聞こゆ。何ごとも、さしいらへしたまふ御光にはやされて、色をも音をも増すけぢめ、ことになむ分かれける。
[第二段 続いて空蝉を訪問]
空蝉の尼衣にも、さしのぞきたまへり。うけばりたるさまにはあらず、かごやかに局住みにしなして、仏ばかりに所得させたてまつりて、行なひ勤めけるさまあはれに見えて、経、仏の御飾り、はかなくしたる閼伽の具なども、をかしげになまめかしう、なほ心ばせありと見ゆる人のけはひなり。
青鈍の几帳、心ばへをかしきに、いたくゐ隠れて、袖口ばかりぞ色ことなるしもなつかしければ、涙ぐみたまひて、
「『松が浦島』をはるかに思ひてぞやみぬべかりける。昔より心憂かりける御契りかな。さすがにかばかりの御睦びは、絶ゆまじかりけるよ」
などのたまふ。尼君も、ものあはれなるけはひにて、
「かかる方に頼みきこえさするしもなむ、浅くはあらず思ひたまへ知られはべりける」
と聞こゆ。
「つらき折々重ねて、心惑はしたまひし世の報いなどを、仏にかしこまりきこゆるこそ苦しけれ。思し知るや。かくいと素直にもあらぬものをと、思ひ合はせたまふこともあらじやはとなむ思ふ」
とのたまふ。「かのあさましかりし世の古事を聞き置きたまへるなめり」と、恥づかしく、
「かかるありさまを御覧じ果てらるるよりほかの報いは、いづくにかはべらむ」
とて、まことにうち泣きぬ。いにしへよりももの深く恥づかしげさまさりて、かくもて離れたること、と思すしも、見放ちがたく思さるれど、はかなきことをのたまひかくべくもあらず、おほかたの昔今の物語をしたまひて、「かばかりの言ふかひだにあれかし」と、あなたを見やりたまふ。
かやうにても、御蔭に隠れたる人びと多かり。皆さしのぞきわたしたまひて、
「おぼつかなき日数つもる折々あれど、心のうちはおこたらずなむ。ただ限りある道の別れのみこそうしろめたけれ。『命を知らぬ』」
など、なつかしくのたまふ。いづれをも、ほどほどにつけてあはれと思したり。我はと思しあがりぬべき御身のほどなれど、さしもことことしくもてなしたまはず、所につけ、人のほどにつけつつ、さまざまあまねくなつかしくおはしませば、ただかばかりの御心にかかりてなむ、多くの人びと年を経ける。
[第二段 源氏、踏歌の後宴を計画す]
夜明け果てぬれば、御方々帰りわたりたまひぬ。大臣の君、すこし大殿籠もりて、日高く起きたまへり。
「中将の声は、弁少将にをさをさ劣らざめるは。あやしう有職ども生ひ出づるころほひにこそあれ。いにしへの人は、まことにかしこき方やすぐれたることも多かりけむ、情けだちたる筋は、このころの人にえしもまさらざりけむかし。中将などをば、すくすくしき朝廷人にしなしてむとなむ思ひおきてし、みづからのいとあざればみたるかたくなしさを、もて離れよと思ひしかども、なほ下にはほの好きたる筋の心をこそとどむべかめれ。もてしづめ、すくよかなるうはべばかりは、うるさかめり」
など、いとうつくしと思したり。「万春楽」と、御口ずさみにのたまひて、
「人びとのこなたに集ひたまへるついでに、いかで物の音こころみてしがな。私の後宴すべし」
とのたまひて、御琴どもの、うるはしき袋どもして秘めおかせたまへる、皆引き出でて、おし拭ひ、ゆるべる緒、調へさせたまひなどす。御方々、心づかひいたくしつつ、心懸想を尽くしたまふらむかし。
【出典】
出典1 あらたまの年立ち返る朝より待たるるものは鴬の声(拾遺集春-五 素性法師)(戻)
出典2 野辺見れば若菜摘みけりむべしこそ垣根の草も春めきにけれ(拾遺集春-一九 紀貫之)(戻)
出典3 万代を松にぞ君を祝ひつる千歳の蔭に住まむと思へば(古今集賀-三五六 素性法師)(戻)
出典4 近江のや鏡の山を立てたればかねてぞ見ゆる君が千歳は(古今集神遊歌-一〇八六 大伴黒主)(戻)
出典5 千歳まで限れる松も今日よりは君に引かれて万代を経む(拾遺集春-二四 大中臣能宣)(戻)
出典6 松の上に鳴く鴬の声をこそは初音の日とはいふべかりけれ(拾遺集春-二二 宮内)(戻)
出典7 今日だにも初音聞かせよ鴬の音せぬ里はあるかひもなし(源氏釈所引、出典未詳)(戻)
出典8 梅の花咲ける岡辺に家しあればともしくもあらず鴬の声(古今六帖六-四三八五)(戻)
出典9 花の香を風の便りにたぐへてぞ鴬誘ふしるべにはやる(古今集春上-一三 紀友則)山風の花の香誘ふ麓には春の霞ぞほだしなりける(後撰集春中-七三 藤原興風)(戻)
出典10 この殿は もべも むべも富みけり 三枝の あはれ 三枝の はれ 三つ葉 四つ葉の中に 殿造りせりや 殿造りせりや(催馬楽-この殿は)(戻)
出典11 世の憂きめ見えぬ山路へ入らむには思ふ人こそほだしなりけれ(古今集雑下-九五五 物部吉名)(戻)
出典12 落ちたぎつ滝の水上年積もり老いにけらしな黒き筋なし(古今集雑上-九二八 壬生忠岑)(戻)
出典13 浅緑野辺の霞はつつめどもこぼれて匂ふ花桜かな(拾遺集春-四〇 読人しらず)(戻)
出典14 音に聞く松が浦島今日ぞ見るむべも心ある海人は住みけり(後撰集雑一-一〇九三 素性法師)(戻)
出典15 限りある別れのみこそ悲しけれ誰も命を空に知らねば(異本紫明抄所引、出典未詳)(戻)
出典16 長らへむ命ぞ知らぬ忘れじと思ふ心は身に添はりつつ(信明集-五〇)(戻)
出典17 竹河の 橋の詰めなるや 橋の詰めなるや 花園に はれ 我をば放てや 我をば放てや 少女伴へて(催馬楽-竹河)(戻)
出典18 見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける(古今集春上-五六 素性法師)(戻)
【校訂】
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
校訂1 御方々のありさま--御かた/\の御まへの(御まへの/$)ありさまとも(とも/$)(戻)
校訂2 めやすく--(/+めやすく)(戻)
校訂3 どもかな--とも(も/+かな)(戻)
校訂4 御ありさまを--御(御/+あり<朱>)さま(ま/+を<朱>)(戻)
校訂5 聞こえ--き(き/+こえ)(戻)
校訂6 追風--上(上/$追<朱>)風(戻)
校訂7 侍従を--侍従(従/+を<朱>)(戻)
校訂8 などに--なと(と/+に<朱>)(戻)
校訂9 され--さえ(え/$れ<朱>)(戻)
校訂10 あはれなる--あはれ(れ/+な)る(戻)
校訂11 訪へる--とつ(つ/$へ<朱>)る(戻)
校訂12 出で--て(て/$出<朱>)(戻)
校訂13 なま--なさ(さ/$ま<朱>)(戻)
校訂14 臨時客--りひ(ひ/$む<朱>)しかく(戻)
校訂15 など--なとの(の/$<朱>)(戻)
校訂16 隔てて--へたて(て/+て)(戻)
校訂17 日ごろ--日かす(かす/$ころ<朱>)(戻)
校訂18 衣--うちき(うちき/$きぬ)(戻)
校訂19 御衣どもの事--御そ(そ/+と<朱>)もの(の/+事<朱>)(戻)
校訂20 重ね--*かね(戻)
校訂21 さるべき--さ(さ/+る)へき(戻)
校訂22 経--(/+経<朱>)(戻)
校訂23 御睦び--(/+御<朱>)むつひ(戻)
校訂24 はべり--(/+侍<朱>)(戻)
校訂25 なむ思ふ」と--なむ?(?/#)おもふたのむと(たのむと/$と<朱>)(戻)
校訂26 あまねく--(/+あ)まねく(戻)
校訂27 絵にも--ゑに(に/+も<朱>)(戻)
校訂28 うち--なか(なか/$うち)(戻)
校訂29 高巾子--かうこむ(む/#)し(戻)
校訂30 離れ--はなれ一本かうかしのいともよはなれ(一本かうかしのいともよはなれ/$<朱>)(戻)
校訂31 拍子も--ひやうしに(に/$<朱>)も(戻)
校訂32 帰りわたりたまひぬ--え(え/$<朱>)かへり(り/+わたり<朱>)給はす(はす/$ひぬ<朱>)(戻)
校訂33 うるさか--うるせ(せ/$さ<朱>)か(戻)
校訂34 心懸想--心(心/+けさう)(戻)