第一章 光る源氏の物語 紫の上追悼の春の物語

 [第一段 紫の上のいない春を迎える]
春の光を御覧になっても、六条院の暗いお気持ちが改まるものでもないのに、表へは新年の賀を申し入れる人たちが続いて参入するのを院はお加減が悪いようにお見せになって、御簾みすの中にばかりおいでになった。兵部卿ひょうぶきょうの宮のおいでになった時にだけはお居間のほうでお会いになろうという気持ちにおなりになって、まず歌をお取り次がせになった。
  わが宿は花もてはやす人もなし
  何にか春のたづねきつらん
 宮は涙ぐんでおしまいになって、
  香をとめて来つるかひなくおほかたの
  花の便たよりと言ひやなすべき
 と返しを申された。紅梅の木の下を通って対のほうへ歩いておいでになる宮の、御風采ふうさいのなつかしいのを御覧になっても、今ではこの人以外に紅梅の美と並べてよい人も存在しなくなったのであると院はお思いになった。花はほのかに開いて美しい紅を見せていた。音楽の遊びをされるのでもなく、常の新春に変わったことばかりであった。
  女房なども長く夫人に仕えた者はまだ喪服の濃い色を改めずにいて、なおましがたい悲しみにおぼれていた。他の夫人たちの所へお出かけになることがなくて、院が常にこちらでばかり暮らしておいでになることだけを皆慰めにしていた。これまで執心がおありになるのでもなく、時々情人らしくお扱いになった人たちに対しては独居をあそばすようになってからはかえって冷淡におなりになって、他の人たちへのごとく主従としてお親しみになるだけで、夜もだれかれと幾人も寝室へはべらせて、御退屈さから夫人の在世中の話などをあそばしたりした。
 [第二段 雪の朝帰りの思い出]
 次第に恋愛から超越しておしまいになった院は、まだこうした純粋なお心になれなかった時代に、うらめしそうな様子がおりおり夫人に見えたことなどもお思い出しになって、
 なぜ戯れ事にせよ、また運命がしからしめたにせよ、そうした誘惑に自分が打ち勝ちえないで、あの人を苦しめたのであろう、聡明そうめいな人であったから、十分の理解は持っていながらも、あくまでうらみきるということはなくて、どの人と交渉の生じた場合にも一度ずつはどうなることかと不安におびえたふうが見えた
 と院は回顧あそばされて、そうした煩悶はんもん女王にょおうにさせたことを後悔される思いが胸からあふれ出るようにお感じになるのであった。
 そのころのことを見ていた人で、今も残っている女房は少しずつ当時の夫人の様子を話し出しもした。
 入道の宮が六条院へ入嫁になった時には、なんら色に出すことをしなかった夫人であったが、事に触れて見えた味気ないという気持ちの哀れであった中にも、雪の降った夜明けに、戸のあけられるまでを待つ間、身内も冷え切るように思われ、はげしい荒れ模様の空も自分を悲しくしたのであったが、はいって行くと、なごやかな気分を見せて迎えながらも、そでがひどく涙でぬれていたのを、隠そうと努めた夫人の美質などを、院は夜通し思い続けておいでになって、夢にでも十分にその姿を見ることができるであろうか、どんな世にまためぐり合うことができるのであろうかとばかりあこがれておいでになった。
 夜明けに部屋へやへさがって行く女房なのであろうが、
 「まあずいぶん降った雪」
 と縁側で言うのが聞こえた。その昔の時のままなようなお気持ちがされるのであったが、夫人は御横にいなかった。なんという寂しいことであろうと院は思召おぼしめした。
  うき世にはゆき消えなんと思ひつつ
  思ひのほかになほぞほど
 [第三段 中納言の君らを相手に述懐]
 こうした時を何かによって紛らわしておいでになる院は、すぐに召し寄せて手水ちょうずをお使いになった。女房たちはうずんでおいた火を起こし出して火鉢ひばちをおそばへおあげするのであった。中納言の君や中将の君はお居間に来てお話し相手を勤めた。
 「ひとがなんともいえないほど寂しく思われる夜だった。これでも安んじていられる自分だのに、つまらぬ関係をたくさんに作ってきたものだ」
 とめいったふうに院は言っておいでになった。自分までもここを捨てて行ったなら、この人たちはどんなに憂鬱ゆううつになるだろうなどとお思いになって、居間の中がお見渡されになるのであった。目だたぬように仏勤めをあそばして、経をお読みになる声を聞いていては、ただの場合でも涙の流れるものであるのに、まして院のお悲しみに深い同情を寄せている女房たちであったから、痛切においたましく思われた。
 「この世のことではあまり不足を感じなくともよいはずの身分に生まれていながら、だれよりも不幸であると思わなければならぬことが絶えず周囲に起こってくる。これは自分に人生のはかなさを体験すべく仏がお計らいになるのだと思われる。それをしいて知らぬ顔にしてきたものだから、こうして命の終わりも近い時になって、最も悲しい経験をすることになったのだ。これで負って来たごうも果たせた気がして、安らかな境地が自分の心にできて、執着の残るものもない私だが、あなたたちと以前よりも、より親密にして数か月を暮らしてきたことで、あなたたちとの別れにもう一度心が乱れないかという不安が自分にできてきた。弱い私の心じゃないか」
 とお言いになって、目をおおさえになるふうをしてお紛らしになろうとするにもかかわらず、院のお涙のこぼれるのを見る女房たちは、ましてとめどもなく泣かれるのであった。
 そうしていよいよ院が見捨てておしまいになることのなげかわしさをだれも訴えたいのであるが、言い出しうる者もなかった。皆むせ返っていたからである。こんなふうに歎きに明かしておしまいになる朝、物思いに一日をお暮らしになった夕方などのしんみりとした時間には、愛人関係が以前あった人たちを居間に集めて語り合うのを慰めにあそばす院でおありになった。
 中将の君というのはまだ小さい時から夫人に仕えてきた人であったが、院はいつとなく無関心でありえなくおなりになったか情人にしておしまいになったのを、彼女は夫人に対して自責の念に堪えないで、院の愛の手を避けるようにばかりしていたが、夫人の歿後ぼつごは愛欲を離れて、だれよりもすぐれて故人の愛していた女房であったとお思われになることによって、形見と見てこの人に院は愛を持っておいでになった。性質も容貌ようぼうも皆よくて、喪服姿がうない松に似た可憐かれんな女である。
 [第四段 源氏、面会謝絶して独居]
 親しくない女房には顔もあまりお見せにならないこのごろの院でおありになった。お近しくした高官たちとか、御兄弟の宮がたとかは始終おたずねされるのであるがあまり御面会になることもない。
 人とっている時だけはよく自制して醜態を見せまいとしても、長く悲しみに浸っていてぼけた自分がどんなあやまちを客の前でしてしまうかもしれぬ、そうしたことがのちに語り伝えられることはいやである、歎き疲れて人に逢うこともできないと言われるのも、恥ずかしいことは同じであるが、話だけで想像されることよりも実際人の目で見られたことのうわさになるほうが迷惑になる
 とお思いになって、大将などにも御簾みす越しでしかお逢いにならなかった。こんなふうに悲歎に心が顛倒てんとうしたように人が言うであろう間を静かに過ごしてから、と出家の日をお思いになって、まだ人間の中をお去りになることをされないのであった。他の夫人たちの所へまれにおいでになることがあっても、そこでその人々が紫の女王でないことから新しいお悲しみが心にいて涙ばかりが流れるのをみずからお恥じになってどちらへももう出かけられることがなくなっていた。
 中宮ちゅうぐうは御所へお入れになったのであるが、三の宮だけは寂しさのお慰めにここへとどめてお置きになった。
 「お祖母ばあ様がおっしゃったから」
 とお言いになって、宮は対の前の紅梅と桜を責任があるように見まわっておいでになるのを、院は哀れに思召おぼしめした。
 二月になると、花の木が盛りなのも、まだ早いのも、こずえが皆かすんで見える中に、女王の形見の紅梅にうぐいすが来てはなやかにくのを、院は縁へ出てながめておいでになった。
  植ゑて見し花の主人あるじもなき宿に
  知らず顔にて来居る鶯
 春の空を仰いで吐息といきをおつかれになった。
 [第五段 春深まりゆく寂しさ]
 春が深くなっていくにしたがって庭の木立ちが昔の色を皆備えてお胸を痛くするばかりであったから、この世でもないほどに遠くて、鳥の声もせぬ山奥へはいりたくばかり院はお思いになるのであった。
 山吹の咲き誇った盛りの花も涙のような露にぬれているところばかりがお目についた。よそでは一重桜が散り、八重の盛りが過ぎて樺桜かばざくらが咲き、ふじはそのあとで紫を伸べるのが春の順序であるが、この庭は花の遅速を巧みに利用して、散り過ぎた梢はあとの花が隠してしまうように女王がしてあったために、いつまでも光る春がとどまっているようなのである。若宮が、
 「私の桜がとうとう咲いた。いつまでも散らしたくないな。木のまわりに几帳きちょうを立てて、切れをれておいたら風も寄って来ないだろうと思う」
 たいした発明をされたようにこう言っておいでになる顔のお美しさに院も微笑をあそばした。
 「おおうばかりのそでがほしいと歌った人よりも宮の考えのほうが合理的だね」などとお言いになって、この宮だけを相手にして院は暮らしておいでになるのであった。
 「あなたと仲よくしていることも、もう長くはないのですよ。私の命はまだあっても、絶対にお逢いすることができなくなるのです」
 とまた院は涙ぐんでお言いになるのを、宮は悲しくお思いになって、
 「お祖母ばあ様のおっしゃったことと同じことをなぜおっしゃるの、不吉ですよ、お祖父じい様」
 と言って、顔を下に伏せて御自身の袖などを手で引き出したりして涙を宮はお隠しになっていた。
 欄干のすみの所へ院はおよりかかりになって、庭をも御簾みすの中をもながめておいでになった。女房の中にはまだ喪服を着ているのがあった。普通の服を着ているのも、皆派手はでな色彩を避けていた。院御自身の直衣のうしも色は普通のものであるが、わざとじみな無地なのを着けておいでになるのであった。座敷の中の装飾なども簡素になっていて目に寂しい。
  今はとてあらしやはてんき人の
  心とどめし春の垣根かきね
 とお歌いになる院は真心からお悲しそうであった。
 [第六段 女三の宮の方に出かける]
 徒然とぜんさに院は入道の宮の御殿へおいでになった。若宮も人に抱かれて従っておいでになって、こちらの若宮といっしょに走りまわってお遊びになるのであった。花の木をおいたわりになる責任もお忘れになるくらいにおふざけになった。
 尼宮は仏前で経を読んでおいでになった。たいした信仰によっておはいりになった道でもなかったが、人生になんらの不安もお感じになるものもなくて、余裕のある御身分であるために、専心に仏勤めがおできになり、その他のことにいっさい無関心でおいでになる御様子の見えるのを院はうらやましく思召した。こうした浅い動機で仏の御弟子でしになられた方にも劣る自分であると残念にお思いになるのである。
 閼伽棚あかだなに置かれた花に夕日が照って美しいのを御覧になって、
 「春の好きだった人の亡くなってからは、庭の花も情けなくばかり見えるのですが、こうした仏にお供えしてある花には好意が持たれますよ」とお言いになった院は、また、「対の前の山吹やまぶきはほかでは見られない山吹ですよ、花のふさなどがずいぶん大きいのですよ。品よく咲こうなどとは思っていない花と見えますが、にぎやかな派手はでなほうではすぐれたものですね。植えた人がいない春だとも知らずに例年よりもまたきれいに咲いているのが哀れに思われます」
 と仰せられた。宮はお返辞に、
 「谷には春も」(光なき谷には春もよそなれば咲きてとく散るものひもなし)
 とお言いになるのであった。言うこともほかにありそうなものを自分の悲しみを嘲笑ちょうしょうするにあたるようなことをお言いになるとはと院は心に思召おぼしめしながらも、紫の女王はこうした思いやりのないことを言い出すこともすることも最後まで絶対にない女性であったと、少女時代からの故夫人のことを追想してごらんになると、その時はこう、あの時はこうと、才気と貴女らしいにおいの多かった性格、容姿、言った言葉などばかりがお思われになって、涙のこぼれてきたのを院はお恥じになった。
 [第七段 明石の御方に立ち寄る]
 夕方のかすみが物をおぼろに見せる美しい時間であったから、院はそこからすぐ明石あかし夫人の住居すまいをおたずねになった。久しくおいでがなかったのであるから突然なことに夫人は驚いたのであったが、すぐに感じよく席を設けてお迎えするようなところに、この人のだれよりも怜悧れいりな性質は見えるものの、また故人はこうでもない高雅な上品さがあったと思い比べられては、その幻ばかりが追われるようにおなりになって、悲しみがさらにまさってくるのを、院は御自身ながらどうすれば慰む心であろうと苦しく思召した。こちらでは落ち着いて昔の話などを院はしておいでになった。
 「人をあまりに愛することは結果のよくないものだと、私は昔から知っていたし、またそのほかのことにも執着心がこの世に残らぬようにと心がけていて、一時逆境に置かれたころなどは、いろいろな理想もこの世に持ったと言っても、それは実現性のないことにきめて、どんな野山の果てで自分の命を果たしてしまっても惜しいものもないとだけは思えたものだが、年がいって死期が近づくころになって、いろいろな係累をふやすことになったために、今まで出家も遂げることができないでいるのが自分で歯がゆくてならない」
 などと院はお言いになって、夫人と死別したばかりの悲しみでないように言っておいでになるが、明石の心には院の御内心は何によって苦しんでおいでになるかはよくわかっていて、道理なことであるとおいたわしく思った。
 「他人から見まして、この世に未練の残るわけもないような人も、その人自身には捨てられないほだしが幾つもあるものなのでございますから、ましてあなた様などがどうしてそう楽々と遁世とんせいの道をおとりになることがおできになれましょう。深い考えもなく出家をいたす者はあとで見苦しいことも起こして、かえってそうならねばよかったように世間から申されることもあるものでございますから、道におはいりになりますことをお急ぎにならずにおいでになりますのが、あとでごりっぱな悟りをおになる過程になるかと存ぜられます。
 昔の例を承りましても、突然心の傷つけられますような悲しみにあいますとか、大きな失望をいたしましたとか申すような時に厭世えんせい的になって出家をいたすと申すことはあまりほめられないことになっているではございませんか。もうしばらく御発心ほっしんをお延ばしになりまして、宮様がたも大人におなりになり御不安なことなどはいっさいないころまで、このままで御家族に動揺をお与えあそばさないようにしていただけましたらうれしかろうと存じます」
 などとまじめに言っている明石に院は好感をお持ちになることができた。
 [第八段 明石の御方に悲しみを語る]
 「そんなになるまで待っていることが思慮深いのだったら、それよりもあさはかなほうがましなようだね」
 などとお言いになって、昔から悲しいことに多くあっておいでになった話もあそばされた。
 「昔、中宮がおかくれになった春には、桜が咲いたのを見ても、『野べの桜し心あらば』(深草の野べの桜し心あらば今年ばかりは墨染めに咲け)と思われたものですよ。それはごりっぱな方であることが小さいころから心にしみ込んでいたために、お崩れになった時にも私がだれよりもすぐれて悲しかったのです。
 恋愛の深さ浅さと故人を惜しむ情とは別なものだと思う。長く同棲どうせいした妻に別れて、病的にまで悲しんで、その人が忘れられないのも恋愛の点ばかりでそうなのではありませんよ。少女時代から自分が育て上げてきた人といっしょに年をとってしまった今になって、一人だけが残されて一方がくなってしまったということが、みずからあわれまれもし、故人を悲しまれもして、その時あの時と、あの人の感情の美しさの現われた時とかあの人の芸術とか複雑にいろいろなことが思わせられるために、深い哀愁に落ちていくのです」
 などと、夜がふけるまで、昔をも今をも話しておいでになって、このまま明石夫人のところで泊まっていってもよい夜であるがとはお思いになりながら院のお帰りになるのを見て、明石夫人は一抹いちまつの物足りなさを感じたに違いない。院も御自身のことではあるが、怪しく変わってしまった心であるとお思いになった。
 お帰りになるとまた仏勤めをあそばして夜中ごろに昼のお居間で仮臥かりぶしのようにしておやすみになった。翌朝早く院は明石あかし夫人へ手紙をお書きになった。
  泣く泣くも帰りにしかな仮の世は
  いづくもつひのとこよならぬに
 という歌であった。昨夜ゆうべの院のお仕打ちは恨めしかったのであるが、こんなふうに別人であるように悲しみに疲れておいでになる御様子を思っては自身のことはさしおいて明石は涙ぐまれるのであった。
  かりがゐし苗代水の絶えしより
  うつりし花の影をだに見ず
 いつも変わらぬ明石の返歌の美しい字を御覧になっても、この人を無礼な闖入者ちんにゅうしゃのように初めは思っていた女王が、近年になって互いに友情を持ち合うようになり、自尊心を傷つけない程度の交わりをしていたのであるが、明石はそれとも気がつかなかったであろうなどとも院は来し方のことを思っておいでになった。
 お寂しくてならぬ時にだけは明石夫人のその場合のような簡単な訪問を夫人たちの所へあそばされる院でおありになった。妻妾さいしょうと夜を共にあそばすようなことはどこでもないのである。
 

第二章 光る源氏の物語 紫の上追悼の夏の物語

 [第一段 花散里や中将の君らと和歌を詠み交わす]
 夏の更衣ころもがえ花散里はなちるさと夫人からお召し物が奉られた。
  夏ごろもたちかへてける今日ばかり
  古き思ひもすすみやはする
 この歌が添えられてあった。お返事、
  羽衣のうすきにかはる今日よりは
  空蝉うつせみの世ぞいとど悲しき
 賀茂かも祭りの日につれづれで、「今日は祭りの行列を見に出ようと思って世間ではだれも興奮をしているだろう」こんなことをお言いになって、賀茂の社前の光景を目に描いておいでになった。
 「女房たちは皆寂しいだろう、実家のほうへ行って、そこから見物に出ればいい」などとも言っておいでになった。
 中将の君が東の座敷でうたた寝しているそばへ院が寄ってお行きになると、美しい小柄な中将の君は起き上がった。赤くなっている顔を恥じて隠しているが、少し癖づいてふくれた髪の横に見えるのがはなやかに見えた。紅の黄がちな色のはかまをはき、単衣ひとえ萱草かんぞう色を着て、濃いにび色に黒を重ねた喪服に、唐衣からぎぬも脱いでいたのを、中将はにわかに上へ引き掛けたりしていた。あおいの横に置かれてあったのを院は手にお取りになって、
 「何という草だったかね。名も忘れてしまったよ」とお言いになると、
  さもこそは寄るべの水に水草みぐさゐめ
  今日のかざしよ名さへ忘るる
 と恥じらいながら中将は言った。そうであったと哀れにお思いになって、
  おほかたは思ひ捨ててし世なれども
  あふひはなほやつみおかすべき
 こんなこともお言いになり、なおこの人にだけはひじりの心持ちにもなれず、行為もお見せになることはおできにならないのであった。
 [第二段 五月雨の夜、夕霧来訪]
 五月雨さみだれの薄暗い世界の中では物思いを続けておいでになるばかりの院は、寂しかったが十幾日かの月がふと雲間から現われた珍しい夜に大将が御前に来ていた。
 花たちばなの木が月の光のもとにあざやかに立ってかおりも風に付いておりおりはいってきた。「千世をならせる」というこれと深い関係の杜鵑ほととぎすけばよいと待っているうちに、にわかに雲がき出してきて、はげしく雨の降るのに添って吹き出した風のために、燈籠とうろうも消えそうになって、空の暗さが深く思われる時に「蕭蕭暗雨打窓声せうせうあんうまどをうつこゑ」などと、珍しい詩ではないが院のお歌いになる美声をお聞きすると、恋を解する女に聞かしむべきものであると惜しまれた。
 「独身生活というものは、私一人が経験しているものでもないが、怪しいほど寂しいものだ。山へはいってしまう前にこうして習慣をつけておくことは非常によいことだと思う」などと院はお言いになって、「女房たち、ここへ菓子でも出すがよい。男たちに命じるほどのことでもないから」などとも気をつけておいでになった。
 夕霧は空をおながめになる院の寂しい御表情を見ていて、こんなふうにいつまでもいつまでも故人を悲しんでおいでになっては、出家をされても透徹した信仰におはいりになることはむずかしくはないかと思っていた。ほのかな隙見すきみをしただけの面影すら忘られないのであるからまして院が女王のためのお悲しみの深さは道理至極であると言わねばならぬと同情も申していた。
 [第三段 ほととぎすの鳴き声に故人を偲ぶ]
 「昨日か今日のことのように思っておりますうちに御一周忌にももう近づいてまいります。御法事はどんなふうにあそばすおつもりでございますか」
 と大将が言うと、
 「何も普通と違ったことをしようと思っていない。女王が作らせたままになっている極楽の曼陀羅まんだらをその節に供養すればいいことと思う。書いておいた経もたくさんあるはずなのだが、某僧都は故人からどうするかをよく聞いてあるようだから、それに加えてすることも皆僧都の意見によることにしようと思う」と院は仰せられた。
 「御自身の御法要についてのことまでもお仕度したくをあそばしておかれましたことは、お考え深いことでしたが、お二方の上で申しますと、この世での御縁は短かったのですから、せめて形見になる人をお残しくだすったらと存じますと残念でございます」

 「しかし子は早く死なずに現存している妻のほうにも少なかったのだからね。私自身が子は少なくしか持てない宿命だったのだろう。あなたによって子孫を広げてもらえばいい」などと院はお言いになるのであって、
 何につけても忍びがたい悲しみの外へ誘い出されることをお恐れになり、故人のこともあまりお話しにならぬうちに、「いにしへのこと語らへば時鳥ほととぎすいかに知りてか古声ふるごゑく」と言いたいような杜鵑ほととぎすが啼いた。待たれていた声なのであるが、
  き人を忍ぶるよひ村雨むらさめ
  れてや来つる山ほととぎす
 前よりもいっそう悲しいまなざしで空を院はおながめになった。夕霧は、
  郭公ほととぎす君につてなん
  古さとの花たちばなは今盛りぞと
 と歌った。この時に女房たちもそれぞれ歌をんだのであるがここには省いておく。大将はそのまま宿直とのいすることにした。御独居生活の心苦しさに時々夕霧はこうしておそばで泊まってゆくのであるが、紫の女王のいたころにはたやすく近い所へも寄ることを院はお許しにならなかった帳台のかたわらに寝ることによっても、大将は昔が今にならぬことを悲しんだ。
 [第四段 蛍の飛ぶ姿に故人を偲ぶ]
 暑いころに涼しい水亭すいていに出て院がながめておいでになる池には、はすの花が盛りに咲いていた。恋しい人への追懐のためにこの花の前にもうつろな気持ちを覚えておいでになるうちに、日も暮れに近くなった。はなやかにひぐらしの鳴く声を聞きながら、撫子なでしこ夕映ゆうばえの空の美しい光を受けている庭もただ一人見ておいでになることは味気ないことでおありになった。
  つれづれとわが泣き暮らす夏の日を
  かごとがましき虫の声かな
 ほたるが多く飛びかうのにも、「夕殿せきでんに蛍飛んで思ひ悄然せうぜん」などと、お口に上る詩も楊妃ようひに別れた玄宗の悲しみをいうものであった。
  夜を知る蛍を見ても悲しきは
  時ぞともなき思ひなりけり
 

第三章 光る源氏の物語 紫の上追悼の秋冬の物語

 [第一段 紫の上の一周忌法要]
 七月七日も例年に変わった七夕たなばたで、音楽の遊びも行なわれずに、寂しい退屈さをただお感じになる日になった。星合いの空をながめに出る女房もなかった。未明に一人しの床をお離れになって妻戸をお押しあけになると、前庭の草木の露の一面に光っているのが、渡殿わたどののほうの入り口越しに見えた。縁の外へお出になって、
  七夕のふ瀬は雲のよそに見て
  別れの庭の露ぞ置き添ふ
 こう口ずさんでおいでになった。秋風らしい風の吹き始めるころからは法事の仕度したくのために、院のお悲しみも少し紛れていた。あれから一年たったかとお思いになると呆然ぼうぜんともおなりになるのである。
 命日である十四日には上から下まで六条院の中の人々は精進潔斎して、曼陀羅まんだらの供養に列するのであった。例のよいの仏前のお勤めのために手水ちょうずを差し上げる役にあたった中将の君の扇に、
  君恋ふる涙ははてもなきものを
  今日をば何のはてといふらん
 と書かれてあったのを、手に取ってお読みになってから、院がまたその横へ、
  人恋ふるわが身も末になりゆけど
  残り多かる涙なりけり
 とお書き添えになった。
 九月になり被綿きせわたをした菊を御覧になって、
  もろともにおきゐし菊の朝露も
  ひとりたもとにかかる秋かな
 と院はお歌いになった。
 [第二段 源氏、出家を決意]
 十月は時雨しぐれがちな季節であったからいっそう院のお心はお寂しそうで、夕方の空の色なども言いようもなく心細く御覧になるのであって、「いつも時雨は降りしかど」(かくそでひづるをりはなかりき)などと口ずさんでおいでになった。空を渡るかりが翼を並べて行くのもうらやましくお見守られになるのである。
  大空を通ふまぼろし夢にだに
  見えこぬたまの行く尋ねよ
 何によっても慰められぬ月日がたっていくにしたがい、院のお悲しみは深くばかりになった。
 五節ごせちなどといって、世の中がはなやかに明るくなるころ、大将の子息たちが殿上勤めにはじめて出たといって、六条院へ来た。二人とも非常に美しい。母方の叔父おじであるとうの中将や蔵人くろうど少将などが青摺あおずりの小忌衣おみごろものきれいな姿で少年たちに付き添って来たのである。朗らかなふうのこうした若い人たちを御覧になる院は、御自身の青春の日もお振り返られになって昔のこの日の舞い姫に心をおかれになったことなどもさすがになつかしいこととお思い出しになった。
  宮人はとよの明りにいそぐ今日けふ
  日かげも知らで暮らしつるかな
 今年をこんなふうに隠忍してお通しになった院は、もう次の春になれば出家を実現させてよいわけであるとその用意を少しずつ始めようとされるのであったが、物哀れなお気持ちばかりがされた。院内の人々にもそれぞれ等差をつけて物を与えておいでになるのであった。目だつほどに今日までの御生活に区切りをつけるようなことにはしてお見せにならないのであるが、近くお仕えする人たちには、院が出家の実行を期しておいでになることがうかがえて、今年の終わってしまうことを非常に心細くだれも思った。
 [第三段 源氏、手紙を焼く]
 人の目については不都合であるとお思いになった古い恋愛関係の手紙類をなお破るのは惜しい気があそばされたのか、だれのも少しずつ残してお置きになったのを、何かの時にお見つけになり破らせなどして、また改めて始末をしにおかかりになったのであるが、須磨すまの幽居時代に方々から送られた手紙などもあるうちに、紫の女王にょおうのだけは別に一束になっていた。
 御自身がしてお置きになったのであるが、古い昔のことであったと前の世のことのようにお思われになりながらも、中をあけてお読みになると、今書かれたもののように、夫人の墨の跡が生き生きとしていた。これは永久に形見として見るによいものであると思召おぼしめされたが、こんなものも見てならぬ身の上になろうとするのでないかと、気がおつきになって、親しい女房二、三人をお招きになって、居間の中でお破らせになった。
 こんな場合でなくても、くなった人の手紙を目に見ることは悲しいものであるのに、いっさいの感情を滅却させねばならぬ世界へ踏み入ろうとあそばす前の院のお心に女王の文字がどれほどはげしい悲しみをもたらしたかは御想像申し上げられることである。御気分はくらくなって涙は昔の墨の跡に添って流れるのが、女房たちの手前もきまり悪く恥ずかしくおなりになって、古手紙を少し前方へ押しやって、
  死出の山越えにし人を慕ふとて
  跡を見つつもなほまどふかな
 と仰せられた。女房たちも御遠慮がされてくわしく読むことはできないのであったが、端々の文字の少しずつわかっていくだけさえも非常に悲しかった。同じ世にいて、近い所に別れ別れになっている悲しみを、実感のままに書かれてある故人の文章が、その当時以上に今のお心を打つのは道理なことである。こんなにめめしく悲しんで自分は見苦しいとお思いになって、よくもお読みにならないで長く書かれた女王の手紙の横に、
  かきつめて見るもかひなし藻塩草もしほぐさ
  同じ雲井の煙とをなれ
 とお書きになって、それも皆焼かせておしまいになった。
 [第四段 源氏、出家の準備]
 仏名の僧を迎える行事も今年きりのことであるとお思いになると、僧の錫杖しゃくじょうの音も身にんでお聞かれになった。院のために行く末長く寿命の保たれることを僧たちの祈り唱えるのも、院のお心には仏へ恥ずかしくお思われになった。
 雪が大降りになって厚く積もった。帰ろうとする導師を院は御前へお呼びになって、杯を賜わったりすることなども普通の仏名式の日以上の手厚いおねぎらいであった。纏頭てんとうなども賜わった。長くこの院へお出入りし、御所の御用も勤めているお馴染なじみ深い僧が、頭の色もようやく変わって老法師になった姿も院には哀れにお思われになるのであった。この日も例の宮がた、高官たちが多数に参入した。
 梅の花の少し花らしく顔を上げ出したのが、雪の中にきわだって美しく見える日であったから、音楽の遊びもあってしかるべきなのであるが、本年中はなお管絃かんげんもむせび泣きの声をたてるもののように思召されるお心から、そのことはなくて、詩歌を歌わせてお聞きになるくらいのことでとどめられた。
 導師へ院が杯をおさしになった時のお歌は、
  春までの命も知らず雪のうちに
  色づく梅を今日かざしてん
 というのであって、お返し、
  千代の春見るべきものと祈りおきて
  わが身ぞ雪とともにふりぬる
 参会者の作も多かったが省いておく。
 院の御美貌びぼうは昔の光源氏でおありになった時よりもさらに光彩が添ってお見えになるのを仰いで、この老いた僧はとめどなく涙を流した。
 今年が終わることを心細く思召す院であったから、若宮が、
 「儺追なやらいをするのに、何を投げさせたらいちばん高い音がするだろう」
 などと言って、お走り歩きになるのを御覧になっても、このかわいい人も見られぬ生活にはいるのであるとお思いになるのがお寂しかった。
  物ふと過ぐる月日も知らぬまに
  年もわが世も今日や尽きぬる
 元日の参賀の客のためにことにはなやかな仕度したくを院はさせておいでになった。親王がた、大臣たちへのお贈り物、それ以下の人たちへの纏頭てんとうの品などもきわめてりっぱなものを用意させておいでになった。