23 初音(大島本)


HATUNE


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳の新春正月の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era in the new year at the age of 36

3
第三章 光る源氏の物語 男踏歌


3  Tale of Hikaru-Genji  Otoko-Touka comes to Rokujo-in after the Court and Suzaku-in

3.1
第一段 男踏歌、六条院に回り来る


3-1  Otoko-Touka comes to Rokujo-in

3.1.1   今年は男踏歌あり。内裏より朱雀院に参りて、次にこの院に参る。道のほど遠くなどして、夜明け方になりにけり。月の曇りなく澄みまさりて、薄雪すこし降れる庭のえならぬに、殿上人なども、物の上手多かるころほひにて、笛の音もいとおもしろう吹き立てて、この御前はことに心づかひしたり。御方々物見に渡りたまふべく、かねて御消息どもありければ、左右の対、渡殿などに、御局しつつおはす。
 今年は男踏歌がある。内裏から朱雀院に参上して、次にこの六条院に参上する。道中が遠かったりなどして、明け方になってしまった。月が曇りなく澄みきって、薄雪が少し降った庭が何ともいえないほど素晴らしいところに、殿上人なども、音楽の名人が多いころなので、笛の音もたいそう美しく吹き鳴らして、殿の御前では特に気を配っていた。御婦人方が御覧に来られるように、前もってお便りがあったので、左右の対の屋、渡殿などに、それぞれお部屋を設けていらっしゃる。
 今年ことしの正月には男踏歌おとことうかがあった。御所からすぐに朱雀すざく院へ行ってその次に六条院へ舞い手はまわって来た。道のりが遠くてそれは夜の明け方になった。月が明るくさして薄雪の積んだ六条院の美しい庭で行なわれる踏歌がおもしろかった。舞や音楽の上手じょうずな若い役人の多いころで、笛なども巧みに吹かれた。ことにここでのできばえを皆晴れがましく思っているのである。他の二夫人らにも来て見物することを源氏が勧めてあったので、南の御殿の左右の対や渡殿わたどのを席に借りて皆来ていた。
  Kotosi ha Wotoko-tahuka ari. Uti yori Syuzyaku-win ni mawiri te, tugi ni kono Win ni mawiru. Miti no hodo tohoku nado si te, yoake-gata ni nari ni keri. Tuki no kumori naku sumi masari te, usu-yuki sukosi hure ru niha no e nara nu ni, Tenzyau-bito nado mo, mono no zyauzu ohokaru korohohi ni te, hue no ne mo ito omosirou huki-tate te, o-mahe ha koto ni kokoro-dukahi si tari. Ohom-kata-gata mono mi ni watari tamahu beku, kane te ohom-seusoku-domo ari kere ba, hidari migi no tai, wata-dono nado ni, mi-tubone si tutu ohasa su.
3.1.2   西の対の姫君は寝殿の南の御方に渡りたまひてこなたの姫君に御対面ありけり上も一所におはしませば御几帳ばかり隔てて聞こえたまふ
 西の対の姫君は、寝殿の南の御方にお越しになって、こちらの姫君とご対面があった。紫の上もご一緒にいらっしゃったので、御几帳だけを隔て置いてご挨拶申し上げなさる。
 東の住居すまいの西の対の玉鬘たまかずらの姫君は南の寝殿に来て、こちらの姫君に面会した。紫夫人も同じ所にいて几帳きちょうだけを隔てて玉鬘と話した。
  Nisi-no-tai no Hime-Gimi ha, sinden no minami no ohom-kata ni watari tamahi te, konata no Hime-Gimi ni ohom-taimen ari keri. Uhe mo hito-tokoro ni ohasimase ba, mi-kityau bakari hedate te kikoye tamahu.
3.1.3   朱雀院の后の御方などめぐりけるほどに、夜もやうやう明けゆけば、 水駅にてこと削がせたまふべきを、例あることより、ほかにさまことに加へて、いみじくもてはやさせたまふ。
 朱雀院の后宮の御方などを回っていったころに、夜もだんだんと明けていったので、水駅として簡略になさるはずのところを、例年の時よりも、特別に追加して、たいそう派手に饗応させなさる。
 踏歌の組は朱雀すざく院で皇太后の宮のほうへ行っても一回舞って来たのであったから、時間がおそくなり、夜も明けてゆくので、饗応きょうおうなどは簡単に済ますのでないかと思っていたが、普通以上の歓待を六条院では受けることになった。
  Syuzyaku-Win no kisaki no ohom-kata nado meguri keru hodo ni, yoru mo yauyau ake-yuke ba, midu-umaya nite koto soga se tamahu beki wo, rei aru koto yori, hoka ni sama koto ni kuhahe te, imiziku mote hayasa se tamahu.
3.1.4   影すさまじき暁月夜に、雪はやうやう降り積む。松風木高く吹きおろし、 ものすさまじくもありぬべきほどに青色のなえばめるに、白襲の色あひ、 何の飾りかは見ゆる
 白々とした明け方の月夜に、雪はだんだんと降り積もってゆく。松風が木高く吹き下ろして、興ざめしてしまいそうなころに、麹塵の袍が柔らかくなって、白襲の色合いは、何の飾り気も見えない。
 光の強い一月の暁の月夜に雪は次第に降り積んでいった。松風が高い所から吹きおろしてきてすさまじい感じにももう一歩でなりそうな庭にもう折り目もなくなった青色の上着に白襲しろがさねを下にしただけの服装に、見ばえのない綿を頭にかぶっている舞い手が出ているだけのことも、
  Kage susamaziki akatuki-dukuyo ni, yuki ha yau-yau huri tumu. Matukaze kodakaku huki-orosi, mono-susamaziku mo ari nu beki hodo ni, awoiro no naye-bame ru ni, sira-gasane no iroahi, nani no kazari ka ha miyuru.
3.1.5  插頭の綿は、何の匂ひもなきものなれど、 所からにやおもしろく、心ゆき、命延ぶるほどなり。
 插頭の綿は、何の色艶もないものだが、場所柄のせいか風流で、満足に感じられ、寿命も延びるような気がする。
 所がらかおもしろくて、命も延びるほどに観衆は思った。
  Kazasi no wata ha, nani no nihohi mo naki mono nare do, tokoro kara ni ya omosiroku, kokoro-yuki, inoti noburu hodo nari.
3.1.6   殿の中将の君内の大殿の君達ぞ、ことにすぐれてめやすくはなやかなる。
 殿の中将の君や、内の大殿の公達は、大勢の中でも一段と勝れて立派に目立っている。
 源氏の子息の中将と内大臣の公子たちが舞い手の中ではことにはなやかに見えた。
  Tono no Tyuuzyau-no-Kimi, Uti-no-Ohotono no kimdati zo, koto ni sugure te meyasuku hanayaka naru.
3.1.7   ほのぼのと明けゆくに、雪やや散りて、 そぞろ寒きに、「 竹河」謡ひて かよれる姿、なつかしき声々の、 絵にも描きとどめがたからむこそ口惜しけれ
 ほのぼのと明けて行くころ、雪が少し散らついて、何となく寒く感じられるころに、「竹河」を謡って寄り添い舞う姿、思いをそそる声々が、絵に描き止められないのが残念である。
 ほのぼのと東の空が白んでゆく光に、やや大降りに降る雪の影が見えて寒い中で、「竹川」を歌って、右に寄り、左に集まって行く舞い手の姿、若々しいその歌声などは、絵にかいて残すことのできないのが遺憾である。
  Honobono to ake-yuku ni, yuki yaya tiri te, sozoro samuki ni, Takekaha utahi te, kayore ru sugata, natukasiki kowe-gowe no, we ni mo kaki todome gatakara m koso kutiwosikere.
3.1.8  御方々、いづれもいづれも 劣らぬ袖口ども、こぼれ出でたるこちたさ、物の色あひなども、曙の空に、 春の錦たち出でにける 霞の うちかと見えわたさる。あやしく心のうちゆく見物にぞありける。
 御夫人方は、どなたもどなたも負けない袖口が、こぼれ出ている仰々しさ、お召し物の色合いなども、曙の空に、春の錦が姿を現した霞の中かと見渡される。不思議に満足のゆく催し物であった。
 各夫人の見物席には、いずれ劣らぬ美しい色を重ねた女房の袖口そでぐちが出ていて、あけぼのの空に春の花のにしきかすみが長く一段だけ見せているようで、これがまた見ものであった。
  Ohom-kata-gata, idure mo idire mo otora nu sode-guti-domo, kobore-ide taru kotitasa, mono no iroahi nado mo, akebono no sora ni, haru no nisiki tati-ide ni keru kasumi no uti ka to miye watasa ru. Ayasiku kokoro no uti yuku mi-mono ni zo ari keru.
3.1.9  さるは、 高巾子の世 離れたるさま、寿詞の乱りがはしき、 をこめきたることを、ことことしくとりなしたる、なかなか何ばかりのおもしろかるべき 拍子も聞こえぬものを。例の、綿かづきわたりてまかでぬ。
 一方では、高巾子の憂世離れした様子、寿詞の騒々しい、滑稽なことも、大仰に取り扱って、かえって何ほどの面白いはずの曲節も聞こえなかったのだが。例によって、綿を一同頂戴して退出した。
 舞い人は、「高巾子こうこじ」という脱俗的な曲を演じたり、自由な寿詞じゅし滑稽味こっけいみを取り混ぜたりもして、音楽、舞曲としてはたいして価値のないことで役を済ませて、慣例の纏頭てんとうである綿を一袋ずつ頭にいただいて帰った。
  Saruha, kaukozi no yo-banare taru sama, kotobuki no midari-gahasiki, wokomeki taru koto wo, koto-kotosiku torinasi taru, nakanaka nani bakari no omosirokaru beki hyausi mo kikoye nu mono wo. Rei no, wata kaduki watari te makade nu.
注釈141今年は男踏歌あり男踏歌は隔年または数年を隔てて行われた。正月十四日の夜に行われる。3.1.1
注釈142西の対の姫君は夏の町の西の対の姫君すなわち玉鬘をいう。3.1.2
注釈143寝殿の南の御方に渡りたまひて南の町の寝殿をいう。3.1.2
注釈144こなたの姫君に御対面ありけり明石姫君をさす。異母姉妹としての対面であるが、姫君は実のところを知らないでいる。3.1.2
注釈145上も一所におはしませば紫の上も姫君と同じ部屋にいた。3.1.2
注釈146御几帳ばかり隔てて聞こえたまふ御几帳を間に隔てて会うのが普通の作法。3.1.2
注釈147朱雀院の后の御方などめぐりけるほどに弘徽殿大后は朱雀院の院内にある柏梁殿にいた。3.1.3
注釈148水駅にてこと削がせたまふべきを六条院は「水駅」として簡単な饗応の場所に予定されていたが、異例の御馳走で饗応した。「水駅」は「飯駅」に対する語句。3.1.3
注釈149影すさまじき暁月夜に雪はやうやう降り積む『集成』は「光も白々とした」。『完訳』は「光も寒々と冴える明け方の月気色に雪はだんだん降り積ってゆく」と注す。3.1.4
注釈150ものすさまじくもありぬべきほどにこの場面のような情景は当時の美意識からは興醒めとされていたものであろう。3.1.4
注釈151青色のなえばめるに踏歌の一行の装束。3.1.4
注釈152何の飾りかは見ゆる反語表現。3.1.4
注釈153所からにや六条院という場所柄のせいか。「影すさまじき--ものすさまじくもありぬべき・」を受けていう。3.1.5
注釈154殿の中将の君夕霧をいう。3.1.6
注釈155内の大殿の君達内大臣のご子息たちをいう。3.1.6
注釈156ほのぼのと明けゆくに格助詞「に」時間を表す。3.1.7
注釈157そぞろ寒きに格助詞「に」時間を表す。3.1.7
注釈158竹河謡ひて催馬楽・呂「竹河の橋の詰めなるや橋の詰めなるや花園にはれ花園に我をば放てや少女たぐへて」(竹河)3.1.7
注釈159かよれる姿『集成』は「袖のひるがえる意とも、単に近寄る意とも」。『完訳』は「群をなして動く舞人の姿態」と注す。3.1.7
注釈160絵にも描きとどめがたからむこそ口惜しけれ語り手の感想。3.1.7
注釈161劣らぬ袖口どもこぼれ出でたるこちたさ御簾の下からののぞかせている出衣。3.1.8
注釈162春の錦たち出でにける「見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける」(古今集春上、五六、素性法師)3.1.8
注釈163をこめきたる『完訳』は「豊年を祈る言葉が生殖祈願に通じるところから、色恋の「乱りがはしき」内容を含む」と注す。3.1.9
出典17 竹河 竹河の 橋の詰めなるや 橋の詰めなるや 花園に はれ 我をば放てや 我をば放てや 少女伴へて 催馬楽-竹河 3.1.7
出典18 春の錦 見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける 古今集春上-五六 素性法師 3.1.8
校訂27 絵にも 絵にも--ゑに(に/+も<朱>) 3.1.7
校訂28 うち うち--なか(なか/$うち) 3.1.8
校訂29 高巾子 高巾子--かうこむ(む/#)し 3.1.9
校訂30 離れ 離れ--はなれ一本かうかしのいともよはなれ(一本かうかしのいともよはなれ/$<朱>) 3.1.9
校訂31 拍子も 拍子も--ひやうしに(に/$<朱>)も 3.1.9
3.2
第二段 源氏、踏歌の後宴を計画す


3-2  Genji holds a his private banquet after Otoko-Touka

3.2.1  夜明け果てぬれば、御方々 帰りわたりたまひぬ。大臣の君、すこし大殿籠もりて、日高く起きたまへり。
 夜がすっかり明けてしまったので、ご夫人方は御殿にお帰りになった。大臣の君、少しお寝みになって、日が高くなってお起きになった。
 夜がすっかり明けたので、二夫人らは南御殿を去った。源氏はそれからしばらく寝て八時ごろに起きた。
  Yo ake-hate nure ba, ohom-kata-gata kaheri watari tamahi nu. Otodo-no-Kimi, sukosi ohotono-gomori te, hi takaku oki tamahe ri.
3.2.2  「 中将の声は弁少将にをさをさ劣らざめるは。あやしう有職ども生ひ出づるころほひにこそあれ。いにしへの人は、 まことにかしこき方やすぐれたることも多かりけむ、 情けだちたる筋は、このころの人にえしもまさらざりけむかし。中将などをば、すくすくしき朝廷人にしなしてむとなむ思ひおきてし、みづからのいとあざればみたるかたくなしさを、もて離れよと思ひしかども、なほ下にはほの好きたる筋の心をこそとどむべかめれ。もてしづめ、すくよかなるうはべばかりは、 うるさかめり」
 「中将の君は、弁少将に比べて少しも劣っていないようだったな。不思議と諸道に優れた者たちが出現する時代だ。昔の人は、本格的な学問では優れた人も多かったが、風雅の方面では、最近の人に勝っているわけでもないようだ。中将などは、生真面目な官僚に育てようと思っていて、自分のようなとても風流に偏った融通のなさを真似させまいと思っていたが、やはり心の中は多少の風流心も持っていなければならない。沈着で、真面目な表向きだけでは、けむたいことだろう」
 「中将の声はべんの少将の美音にもあまり劣らなかったようだ、今は不思議に優秀な若者の多い時代なのですね。昔は学問その他の堅実な方面にすぐれた人が多かったろうが、芸術的のことでは近代の人の敵ではないらしく思われる。私は中将などをまじめな役人に仕上げようとする教育方針を取っていて、私自身のまじめでありえなかった名誉を回復させたく思っていたが、やはりそれだけでは完全な人間に成りえないのだから、芸術的な所をなくさせぬようにしなければならないのだと知った。どんな欲望も抑制したまじめ顔がその人の全部であってはいやなものですよ」
  "Tyuuzyau no kowe ha, Ben-no-Seusyau ni wosawosa otora za' meru ha! Ayasiu iusoku-domo ohi-iduru korohohi ni koso are. Inisihe no hito ha, makoto ni kasikoki kata ya sugure taru koto mo ohokari kem, nasake-dati taru sudi ha, kono-koro no hito ni e simo masara zari kem kasi. Tyuuzyau nado wo ba, suku-sukusiki ohoyake-bito ni si-nasi te m to nam omohi-oki te si, midukara no ito azare-bami taru katakunasisa wo, mote-hanare yo to omohi sika domo, naho sita ni ha hono-suki taru sudi no kokoro wo koso todomu beka' mere. Mote-sidume, sukuyoka naru uhabe bakari ha, urusaka' meri."
3.2.3  など、いとうつくしと思したり。「万春楽」と、御口ずさみにのたまひて、
 などと言って、たいそうかわいいとお思いになっていた。「万春楽」と、お口ずさみになって、
 などと源氏は夫人に言って、息子をかわいく思うふうが見えた。万春楽ばんしゅんがくを口ずさみにしていた源氏は、
  nado, ito utukusi to obosi tari. Bansu-raku to, ohom-kuti-zusami ni notamahi te,
3.2.4  「 人びとのこなたに集ひたまへるついでに、いかで物の音こころみてしがな。私の後宴すべし」
 「ご婦人方がこちらにお集まりになった機会に、どうかして管弦の遊びを催したいものだ。私的な後宴をしよう」
 「奥さんがたがはじめてこちらへ来た記念に、もう一度集まってもらって、音楽の合奏をして遊びたい気がする。私のうちだけの後宴ごえんがあるべきだ」
  "Hito-bito no konata ni tudohi tamahe ru tuide ni, ikade mono no ne kokoromi te si gana. Watakusi no go-en su besi."
3.2.5  とのたまひて、御琴どもの、うるはしき袋どもして秘めおかせたまへる、皆引き出でて、おし拭ひ、 ゆるべる緒、調へさせたまひなどす。御方々、心づかひいたくしつつ、 心懸想を尽くしたまふらむかし
 とおっしゃって、弦楽器などが、いくつもの美しい袋に入れて秘蔵なさっていたのを、皆取り出して埃を払って、緩んでいる絃を、調律させたりなどなさる。御婦人方は、たいそう気をつかったりして、緊張をしつくされていることであろう。
 と言って、秘蔵の楽器をそれぞれ袋から出してちりを払わせたり、ゆるんだげんを締めさせたりなどしていた。夫人たちはそのことをどんなに晴れがましく思ったことであろう。
  to notamahi te, ohom-koto-domo no, uruhasiki hukuro-domo si te hime-oka se tamahe ru, mina hiki-ide te, osi-nogohi, yurube ru wo, totonohe sase tamahi nado su. Ohom-kata-gata, kokoro-dukahi itaku si tutu, kokoro-gesau wo tukusi tamahu ram kasi.
注釈164中将の声は以下「うるさかめり」まで、源氏の詞。3.2.2
注釈165弁少将に内大臣の次男、「賢木」巻で「高砂」を歌った美声の人。3.2.2
注釈166まことにかしこき方正式な学問の方面。3.2.2
注釈167情けだちたる筋風雅の道。3.2.2
注釈168人びとのこなたに以下「私の後宴あるべし」まで、源氏の詞。『完訳』は「御方々に帰りわたりたまひぬ」と矛盾することをいう。3.2.4
注釈169ゆるべる緒、調へさせたまひなどす『完訳』は「女楽の準備。物語には描かれないが、後の竹河巻では、実際に行われたとする」と注す。3.2.5
注釈170心懸想を尽くしたまふらむかし推量助動詞「らむ」視界外推量は語り手の推測。3.2.5
校訂32 帰りわたりたまひぬ 帰りわたりたまひぬ--え(え/$<朱>)かへり(り/+わたり<朱>)給はす(はす/$ひぬ<朱>) 3.2.1
校訂33 うるさか うるさか--うるせ(せ/$さ<朱>)か 3.2.2
校訂34 心懸想 心懸想--心(心/+けさう) 3.2.5
Last updated 8/10/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 8/10/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 8/10/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年5月22日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

暫定版(最終確認作業中)

Last updated 8/3/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya(C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
このページは再編集プログラムによって1/7/2006に自動出力されました。
源氏物語の世界 再編集プログラム Ver 2.10: Copyrighy (c) 2003,2005 宮脇文経