光る源氏の太政大臣時代三十七歳秋八月から九月の物語
[主要登場人物]
第一章 玉鬘の物語 玉鬘と夕霧との新関係
[第二段 夕霧、源氏の使者として玉鬘を訪問]
薄き鈍色の御衣、なつかしきほどにやつれて、例に変はりたる色あひにしも、容貌はいとはなやかにもてはやされておはするを、御前なる人びとは、うち笑みて見たてまつるに、宰相中将、同じ色の、今すこしこまやかなる直衣姿にて、纓巻きたまへる姿しも、またいとなまめかしくきよらにておはしたり。
初めより、ものまめやかに心寄せきこえたまへば、もて離れて疎々しきさまには、もてなしたまはざりしならひに、今、あらざりけりとて、こよなく変はらむもうたてあれば、なほ御簾に几帳添へたる御対面は、人伝てならでありけり。殿の御消息にて、内裏より仰せ言あるさま、やがてこの君のうけたまはりたまへるなりけり。
御返り、おほどかなるものから、いとめやすき聞こえなしたまふけはひの、らうらうじくなつかしきにつけても、かの野分の朝の御朝顔は、心にかかりて恋しきを、うたてある筋に思ひし、聞き明らめて後は、なほもあらぬ心地添ひて、
「この宮仕ひを、おほかたにしも思し放たじかし。さばかり見所ある御あはひどもにて、をかしきさまなることのわづらはしき、はた、かならず出で来なむかし」
と思ふに、ただならず、胸ふたがる心地すれど、つれなくすくよかにて、
「人に聞かすまじとはべりつることを聞こえさせむに、いかがはべるべき」
とけしき立てば、近くさぶらふ人も、すこし退きつつ、御几帳のうしろなどにそばみあへり。
[第三段 夕霧、玉鬘に言い寄る]
そら消息をつきづきしくとり続けて、こまやかに聞こえたまふ。主上の御けしきのただならぬ筋を、さる御心したまへ、などやうの筋なり。いらへたまはむ言もなくて、ただうち嘆きたまへるほど、忍びやかに、うつくしくいとなつかしきに、なほえ忍ぶまじく、
「御服も、この月には脱がせたまふべきを、日ついでなむ吉ろしからざりける。十三日に、河原へ出でさせたまふべきよしのたまはせつ。なにがしも御供にさぶらふべくなむ思ひたまふる」
と聞こえたまへば、
「たぐひたまはむもことことしきやうにやはべらむ。忍びやかにてこそよくはべらめ」
とのたまふ。この御服なんどの詳しきさまを、人にあまねく知らせじとおもむけたまへるけしき、いと労あり。中将も、
「漏らさじと、つつませたまふらむこそ、心憂けれ。忍びがたく思ひたまへらるる形見なれば、脱ぎ捨てはべらむことも、いともの憂くはべるものを。さても、あやしうもて離れぬことの、また心得がたきにこそはべれ。この御あらはし衣の色なくは、えこそ思ひたまへ分くまじかりけれ」
とのたまへば、
「何ごとも思ひ分かぬ心には、ましてともかくも思ひたまへたどられはべらねど、かかる色こそ、あやしくものあはれなるわざにはべりけれ」
とて、例よりもしめりたる御けしき、いとらうたげにをかし。
[第四段 夕霧、玉鬘と和歌を詠み交す]
かかるついでにとや思ひ寄りけむ、蘭の花のいとおもしろきを持たまへりけるを、御簾のつまよりさし入れて、
「これも御覧ずべきゆゑはありけり」
とて、とみにも許さで持たまへれば、うつたへに思ひ寄らで取りたまふ御袖を、引き動かしたり。
「同じ野の露にやつるる藤袴
あはれはかけよかことばかりも」
「道の果てなる」とかや、いと心づきなくうたてなりぬれど、見知らぬさまに、やをら引き入りて、
「尋ぬるにはるけき野辺の露ならば
薄紫やかことならまし
かやうにて聞こゆるより、深きゆゑはいかが」
とのたまへば、すこしうち笑ひて、
「浅きも深きも、思し分く方ははべりなむと思ひたまふる。まめやかには、いとかたじけなき筋を思ひ知りながら、えしづめはべらぬ心のうちを、いかでかしろしめさるべき。なかなか思し疎まむがわびしさに、いみじく籠めはべるを、今はた同じと、思ひたまへわびてなむ。
頭中将のけしきは御覧じ知りきや。人の上に、なんど思ひはべりけむ。身にてこそ、いとをこがましく、かつは思ひたまへ知られけれ。なかなかかの君は思ひさまして、つひに、御あたり離るまじき頼みに、思ひ慰めたるけしきなど見はべるも、いとうらやましくねたきに、あはれとだに思しおけよ」
など、こまかに聞こえ知らせたまふこと多かれど、かたはらいたければ書かぬなり。
尚侍の君、やうやう引き入りつつ、むつかしと思したれば、
「心憂き御けしきかな。過ちすまじき心のほどは、おのづから御覧じ知らるるやうもはべらむものを」
とて、かかるついでに、今すこし漏らさまほしけれど、
「あやしくなやましくなむ」
とて、入り果てたまひぬれば、いといたくうち嘆きて立ちたまひぬ。
[第五段 夕霧、源氏に復命]
「なかなかにもうち出でてけるかな」と、口惜しきにつけても、かの、今すこし身にしみておぼえし御けはひを、かばかりの物越しにても、「ほのかに御声をだに、いかならむついでにか聞かむ」と、やすからず思ひつつ、御前に参りたまへれば、出でたまひて、御返りなど聞こえたまふ。
「この宮仕へを、しぶげにこそ思ひたまへれ。宮などの、練じたまへる人にて、いと心深きあはれを尽くし、言ひ悩ましたまふになむ、心やしみたまふらむと思ふになむ、心苦しき。
されど、大原野の行幸に、主上を見たてまつりたまひては、いとめでたくおはしけり、と思ひたまへりき。若き人は、ほのかにも見たてまつりて、えしも宮仕への筋もて離れじ。さ思ひてなむ、このこともかくものせし」
などのたまへば、
「さても、人ざまは、いづ方につけてかは、たぐひてものしたまふらむ。中宮、かく並びなき筋にておはしまし、また、弘徽殿、やむごとなく、おぼえことにてものしたまへば、いみじき御思ひありとも、立ち並びたまふこと、かたくこそはべらめ。
宮は、いとねむごろに思したなるを、わざと、さる筋の御宮仕へにもあらぬものから、ひき違へたらむさまに御心おきたまはむも、さる御仲らひにては、いといとほしくなむ聞きたまふる」
と、おとなおとなしく申したまふ。
[第六段 源氏の考え方]
「かたしや。わが心ひとつなる人の上にもあらぬを、大将さへ、我をこそ恨むなれ。すべて、かかることの心苦しさを見過ぐさで、あやなき人の恨み負ふ、かへりては軽々しきわざなりけり。かの母君の、あはれに言ひおきしことの忘れざりしかば、心細き山里になど聞きしを、かの大臣、はた、聞き入れたまふべくもあらずと愁へしに、いとほしくて、かく渡しはじめたるなり。ここにかくものめかすとて、かの大臣も人めかいたまふなめり」
と、つきづきしくのたまひなす。
「人柄は、宮の御人にていとよかるべし。今めかしく、いとなまめきたるさまして、さすがにかしこく、過ちすまじくなどして、あはひはめやすからむ。さてまた、宮仕へにも、いとよく足らひたらむかし。容貌よく、らうらうじきものの、公事などにもおぼめかしからず、はかばかしくて、主上の常に願はせたまふ御心には、違ふまじ」
などのたまふけしきの見まほしければ、
「年ごろかくて育みきこえたまひける御心ざしを、ひがざまにこそ人は申すなれ。かの大臣も、さやうになむおもむけて、大将の、あなたざまのたよりにけしきばみたりけるにも、いらへける」
と聞こえたまへば、うち笑ひて、
「かたがたいと似げなきことかな。なほ、宮仕へをも、御心許して、かくなむと思されむさまにぞ従ふべき。女は三に従ふものにこそあなれど、ついでを違へて、おのが心にまかせむことは、あるまじきことなり」
とのたまふ。
[第七段 玉鬘の出仕を十月と決定]
「うちうちにも、やむごとなきこれかれ、年ごろを経てものしたまへば、えその筋の人数にはものしたまはで、捨てがてらにかく譲りつけ、おほぞうの宮仕への筋に、領ぜむと思しおきつる、いとかしこくかどあることなりとなむ、よろこび申されけると、たしかに人の語り申しはべりしなり」
と、いとうるはしきさまに語り申したまへば、「げに、さは思ひたまふらむかし」と思すに、いとほしくて、
「いとまがまがしき筋にも思ひ寄りたまひけるかな。いたり深き御心ならひならむかし。今おのづから、いづ方につけても、あらはなることありなむ。思ひ隈なしや」
と笑ひたまふ。御けしきはけざやかなれど、なほ、疑ひは置かる。大臣も、
「さりや。かく人の推し量る、案に落つることもあらましかば、いと口惜しくねぢけたらまし。かの大臣に、いかで、かく心清きさまを知らせたてまつらむ」
と思すにぞ、「げに、宮仕への筋にて、けざやかなるまじく紛れたるおぼえを、かしこくも思ひ寄りたまひけるかな」と、むくつけく思さる。
かくて御服など脱ぎたまひて、
「月立たば、なほ参りたまはむこと忌あるべし。十月ばかりに」
と思しのたまふを、内裏にも心もとなく聞こし召し、聞こえたまふ人びとは、誰も誰も、いと口惜しくて、この御参りの先にと、心寄せのよすがよすがに責めわびたまへど、
「吉野の滝をせ堰かむよりも難きことなれば、いとわりなし」
と、おのおのいらふ。
中将も、なかなかなることをうち出でて、「いかに思すらむ」と苦しきままに、駆けりありきて、いとねむごろに、おほかたの御後見を思ひあつかひたるさまにて、追従しありきたまふ。たはやすく、軽らかにうち出でては聞こえかかりたまはず、めやすくもてしづめたまへり。
[第二段 柏木、玉鬘と和歌を詠み交す]
「参りたまはむほどの案内、詳しきさまもえ聞かぬを、うちうちにのたまはむなむよからむ。何ごとも人目に憚りて、え参り来ず、聞こえぬことをなむ、なかなかいぶせく思したる」
など、語りきこえたまふついでに、
「いでや、をこがましきことも、えぞ聞こえさせぬや。いづ方につけても、あはれをば御覧じ過ぐすべくやはありけると、いよいよ恨めしさも添ひはべるかな。まづは、今宵などの御もてなしよ。北面だつ方に召し入れて、君達こそめざましくも思し召さめ、下仕へなどやうの人びととだに、うち語らはばや。またかかるやうはあらじかし。さまざまにめづらしき世なりかし」
と、うち傾きつつ、恨み続けたるもをかしければ、かくなむと聞こゆ。
「げに、人聞きを、うちつけなるやうにやと憚りはべるほどに、年ごろの埋れいたさをも、あきらめはべらぬは、いとなかなかなること多くなむ」
と、ただすくよかに聞こえなしたまふに、まばゆくて、よろづおしこめたり。
「妹背山深き道をば尋ねずて
緒絶の橋に踏み迷ひける
よ」
と恨むるも、人やりならず。
「惑ひける道をば知らず妹背山
たどたどしくぞ誰も踏み見し」
「いづ方のゆゑとなむ、え思し分かざめりし。何ごとも、わりなきまで、おほかたの世を憚らせたまふめれば、え聞こえさせたまはぬになむ。おのづからかくのみもはべらじ」
と聞こゆるも、さることなれば、
「よし、長居しはべらむも、すさまじきほどなり。やうやう労積もりてこそは、かことをも」
とて、立ちたまふ。
月隈なくさし上がりて、空のけしきも艶なるに、いとあてやかにきよげなる容貌して、御直衣の姿、好ましくはなやかにて、いとをかし。
宰相中将のけはひありさまには、え並びたまはねど、これもをかしかめるは、「いかでかかる御仲らひなりけむ」と、若き人びとは、例の、さるまじきことをも取り立ててめであへり。
[第二段 九月、多数の恋文が集まる]
九月にもなりぬ。初霜むすぼほれ、艶なる朝に、例の、とりどりなる御後見どもの、引きそばみつつ持て参る御文どもを、見たまふこともなくて、読みきこゆるばかりを聞きたまふ。大将殿のには、
「なほ頼み来しも、過ぎゆく空のけしきこそ、心尽くしに、
数ならば厭ひもせまし長月に
命をかくるほどぞはかなき」
「月たたば」とある定めを、いとよく聞きたまふなめり。
兵部卿宮は、
「いふかひなき世は、聞こえむ方なきを、
朝日さす光を見ても玉笹の
葉分けの霜を消たずもあらなむ
思しだに知らば、慰む方もありぬべくなむ」
とて、いとかしけたる下折れの霜も落とさず持て参れる御使さへぞ、うちあひたるや。
式部卿宮の左兵衛督は、殿の上の御はらからぞかし。親しく参りなどしたまふ君なれば、おのづからいとよくものの案内も聞きて、いみじくぞ思ひわびける。いと多く怨み続けて、
「忘れなむと思ふもものの悲しきを
いかさまにしていかさまにせむ」
紙の色、墨つき、しめたる匂ひも、さまざまなるを、人びとも皆、
「思し絶えぬべかめるこそ、さうざうしけれ」
など言ふ。
宮の御返りをぞ、いかが思すらむ、ただいささかにて、
「心もて光に向かふ葵だに
朝おく霜をおのれやは消つ」
とほのかなるを、いとめづらしと見たまふに、みづからはあはれを知りぬべき御けしきにかけたまひつれば、つゆばかりなれど、いとうれしかりけり。
かやうに何となけれど、さまざまなる人々の、御わびごとも多かり。
女の御心ばへは、この君をなむ本にすべきと、大臣たち定めきこえたまひけりとや。
【出典】
出典1 東路の道の果てなる常陸帯のかごとばかりも逢ひ見てしがな(古今六帖五二-三三六〇)(戻)
出典2 侘びぬれば今はた同じ難波なる身を尽くしても逢はむとぞ思ふ(後撰集恋五-九六〇 元良親王)(戻)
出典3 婦人有三従之義。無専用之道。故未嫁従父。既嫁従夫。夫死従子。(儀礼-喪服篇)(戻)
出典4 手を障へて吉野の滝は堰きつとも人の心をいかが頼まむ(古今六帖四-二二三三 凡河内躬恒)(戻)
出典5 玉笹の葉分きに置ける白露の今いく夜経む我ならなくに(古今六帖六-三九五〇)(戻)
【校訂】
備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文等--* 朱筆--<朱> 不明--△
校訂1 女--*をなん(戻)
校訂2 なまめかしく--なまめかし(し/+く<朱>)(戻)
校訂3 のたまはせつ--の給はせ(せ/+つ<朱>)(戻)
校訂4 もの--も(も/+の<朱>)(戻)
校訂5 こまかに--こまや(や/#<朱>)かに(戻)
校訂6 書かぬ--から(ら/$か<朱>)ぬ(戻)
校訂7 嘆きて--なゝ(ゝ/$<朱>)けきて(戻)
校訂8 愁へし--うれ(れ/+へ)し(戻)
校訂9 三に--三従(従/#)に(戻)
校訂10 参り--おほしの給を(おほしの給を/$<朱>)まいり(戻)
校訂11 めやすく--(/+め)やすく(戻)
校訂12 惑ひ--まよ(よ/$と<朱>)ひ(戻)
校訂13 かことをも--かことをも(かことをも/&かことをも、=くこんイ<朱>)(戻)
校訂14 とて--とてをもとて(をもとて/$)(戻)
校訂15 かは--*かい(戻)
校訂16 四つ--よへ(へ/$つ<朱>)(戻)
校訂17 嫗と--おん(ん/$う)な(/な+と)(戻)