28 野分(大島本)


NOWAKI


光る源氏の太政大臣時代
三十六歳の秋野分の物語



Tale of Hikaru-Genji's Daijo-Daijin era, in a typhoon at the age of 36

2
第二章 光源氏の物語 六条院の女方を見舞う物語


2  Tale of Hikaru-Genji  Genji calls on one after another women in Rokujo-in

2.1
第一段 源氏、中宮を見舞う


2-1  Genji calls on Chugu at Shinden in West-residence

2.1.1  南の御殿には、御格子参りわたして、昨夜、見捨てがたかりし花どもの、行方も知らぬやうにてしをれ伏したるを見たまひけり。中将、御階にゐたまひて、御返り聞こえたまふ。
 南の御殿では、御格子をすっかり上げて、昨夜、見捨てることのできなかった花々が、見るかげもなく萎れて倒れているのを御覧になった。中将が、御階にお座りになって、お返事を申し上げなさる。
 帰って来ると南御殿は格子が皆上げられてあって、夫人は昨夜ゆうべ気にかけながら寝た草花が所在も知れぬように乱れてしまったのをながめている時であった。中将は階段の所へ行って、中宮のお返辞を報じた。
  Minami-no-otodo ni ha, mi-kausi mawiri-watasi te, yobe, mi-sute gatakari si hana-domo no, yukuhe mo sira nu yau ni te siwore husi taru wo mi tamahi keri. Tyuuzyau, mi-hasi ni wi tamahi te, ohom-kaheri kikoye tamahu.
2.1.2  「 荒き風をも防がせたまふべくやと、若々しく心細くおぼえはべるを、今なむ慰みはべりぬる」
 「激しい風を防いでくださいましょうかと、子供のように心細がっておりましたが、今はもう安心しました」
 荒い風もお防ぎくださいますでしょうと若々しく頼みにさせていただいているのでございますから、お見舞いをいただきましてはじめて安心いたしました。
  "Araki kaze wo mo husega se tamahu beku ya to, waka-wakasiku kokoro-bosoku oboye haberu wo, ima nam nagusami haberi nuru."
2.1.3  と聞こえたまへれば、
 と申し上げなさると、
 というのである。
  to kikoye tamahe re ba,
2.1.4  「 あやしくあえかにおはする宮なり。女どちは、もの恐ろしく思しぬべかりつる夜のさまなれば、げに、 おろかなりとも思いつらむ」
 「妙に気が弱くいらっしゃる宮だ。女ばかりでは、空恐ろしくお思いであったに違いない昨夜の様子だったから、おっしゃる通り、不親切だとお思いになったことであろう」
 「弱々しい宮様なのだからね、そうだったろうね。女はだれも皆こわくてたまるまいという気のした夜だったからね、実際不親切に思召おぼしめしただろう」
  "Ayasiku ayeka ni ohasuru Miya nari. Womna-doti ha, mono-osorosiku obosi nu bekari turu yo no sama nare ba, geni, oroka nari to mo oboi tu ram."
2.1.5  とて、やがて参りたまふ。御直衣などたてまつるとて、御簾引き上げて入りたまふに、「 短き御几帳引き寄せて、はつかに見ゆる御袖口は、さにこそはあらめ」と思ふに、胸つぶつぶと鳴る心地するも、うたてあれば、他ざまに見やりつ。
 とおっしゃって、すぐに参上なさる。御直衣などをお召しになろうとして、御簾を引き上げてお入りになる時、「低い御几帳を引き寄せて、わずかに見えたお袖口は、きっとあの方であろう」と思うと、胸がどきどきと高鳴る気がするのも、いやな感じので、他の方へ視線をそらした。
 と言って、源氏はすぐに御訪問をすることにした。直衣のうしなどを着るために向こうの室の御簾みすを引き上げて源氏がはいる時に、短い几帳きちょうを近くへ寄せて立てた人の袖口そでぐちの見えたのを、女王にょおうであろうと思うと胸がき上がるような音をたてた。困ったことであると思って中将はわざと外のほうをながめていた。
  tote, yagate mawiri tamahu. Ohom-nahosi nado tatematuru tote, mi-su hiki-age te iri tamahu ni, "Mizikaki mi-kityau hiki-yose te, hatuka ni miyuru ohom-sode-guti ha, sa ni koso ha ara me." to omohu ni, mune tubu-tubu to naru kokoti suru mo, utate are ba, hoka-zama ni mi-yari tu.
2.1.6  殿、御鏡など見たまひて、忍びて、
 殿が御鏡などを御覧になって、小声で、
 源氏は鏡に向かいながら小声で夫人に言う、
  Tono, ohom-kagami nado mi tamahi te, sinobi te,
2.1.7  「 中将の朝けの姿は、きよげなりな。ただ今は、きびはなるべきほどを、かたくなしからず見ゆるも、 心の闇にや」
 「中将の朝の姿は、美しいな。今はまだ、子供のはずなのに、不体裁でなく見えるのも、親心の迷いからであろうか」
 「中将の朝の姿はきれいじゃありませんか、まだ小さいのだが洗練されても見えるように思うのは親だからかしら」
  "Tyuuzyau no asake no sugata ha, kiyoge nari na! Tada ima ha, kibiha naru beki hodo wo, katakunasikara zu miyuru mo, kokoro-no-yami ni ya?"
2.1.8  とて、 わが御顔は、古りがたくよしと見たまふべかめり。いといたう心懸想したまひて、
 と言って、ご自分のお顔は、年を取らず美しいと御覧のようです。とてもたいそう気をおつかいになって、
 鏡にある自分の顔はしかも最高の優越した美を持つものであると源氏は自信していた。身なりを整えるのに苦心をしたあとで、
  tote, waga ohom-kaho ha, huri-gataku yosi to mi tamahu beka' meri. Ito itau kokoro-gesau si tamahi te,
2.1.9  「 宮に見えたてまつるは、恥づかしうこそあれ。何ばかりあらはなるゆゑゆゑしさも、見えたまはぬ人の、奥ゆかしく心づかひせられたまふぞかし。いとおほどかに女しきものから、けしきづきてぞおはするや」
 「中宮にお目にかかるのは、気後れする感じがします。特に人目につく趣味ありげなところも、お見えでない方だが、奥の深い感じがして何かと気をつかわされるお人柄も方です。とてもおっとりして女らしい感じですが、なにかおもちのようでいらっしゃいますよ」
 「中宮にお目にかかる時はいつも晴れがましい気がする。なんらの見識を表へ出しておいでになるのでないが、前へ出る者は気がつかわれる。おおように女らしくて、そして高い批評眼が備わっているというようなかただ」
  "Miya ni miye tatematuru ha, hadukasiu koso are. Nani bakari araha naru yuwe-yuwesisa mo, miye tamaha nu hito no, okuyukasiku kokoro-dukahi se rare tamahu zo kasi. Ito ohodoka ni womnasiki monokara, kesikiduki te zo ohasuru ya!"
2.1.10  とて、出でたまふに、中将ながめ入りて、とみにもおどろくまじきけしきにてゐたまへるを、心疾き人の御目にはいかが見たまひけむ、立ちかへり、女君に、
 とおっしゃって、外にお出になると、中将は物思いに耽って、すぐにはお気づきにならない様子で座っていらっしゃったので、察しのよい人のお目にはどのようにお映りになったことか、引き返してきて、女君に、
 こう言いながら源氏は御簾から出ようとしたが、中将が一方を見つめて源氏の来ることにも気のつかぬふうであるのを、鋭敏な神経を持つ源氏はそれをどう見たか引き返して来て夫人に、
  tote, ide tamahu ni, Tyuuzyau nagame-iri te, tomi ni mo odoroku maziki kesiki ni te wi tamahe ru wo, kokoro-toki hito no ohom-me ni ha ikaga mi tamahi kem, tati-kaheri, Womna-Gimi ni,
2.1.11  「 昨日、風の紛れに、中将は見たてまつりやしてけむ。かの戸の開きたりしによ」
 「昨日、風の騷ぎに、中将はお隙見したのではないでしょうか。あの妻戸が開いていたからね」
 「昨日きのう風の紛れに中将はあなたを見たのじゃないだろうか。戸があいていたでしょう」
  "Kinohu, kaze no magire ni, Tyuuzyau ha mi tatematuri ya si te kem? Kano to no aki tari si ni yo."
2.1.12  とのたまへば、面うち赤みて、
 とおっしゃると、お顔を赤らめて、
 と言うと女王は顔を赤くして、
  to notamahe ba, omote uti-akami te,
2.1.13  「 いかでか、さはあらむ。渡殿の方には、人の音もせざりしものを」
 「どうして、そのようなことがございましょう。渡殿の方には、人の物音もしませんでしたもの」
 「そんなこと。渡殿わたどののほうには人の足音がしませんでしたもの」
  "Ikadeka, sa ha ara m. Wata-dono no kata ni ha, hito no oto mo se zari si mono wo."
2.1.14  と聞こえたまふ。
 とお答え申し上げなさる。
 と言っていた。
  to kikoye tamahu.
2.1.15  「 なほ、あやし」とひとりごちて、 渡りたまひぬ
 「やはり、変だ」と独り言をおっしゃって、お渡りになりった。
 「しかし、疑わしい」
  "Naho, ayasi." to hitori-goti te, watari tamahi nu.
2.1.16  御簾の内に入りたまひぬれば、中将、渡殿の戸口に人びとのけはひするに寄りて、ものなど言ひ戯るれど、思ふことの筋々嘆かしくて、例よりもしめりてゐたまへり。
 御簾の中にお入りになってしまったので、中将は、渡殿の戸口に女房たちのいる様子がしたので近寄って、冗談を言ったりするが、悩むことのあれこれが嘆かわしくて、いつもよりもしんみりとしていらっしゃった。
 源氏はこう独言ひとりごとを言いながら中宮の御殿のほうへ歩いて行った。また供をして行った中将は、源氏が御簾みすの中へはいっている間を、渡殿の戸口の、女房たちの集まっているけはいのうかがわれる所へ行って、戯れを言ったりしながらも、新しい物思いのできた人は平生よりもめいったふうをしていた。
  Mi-su no uti ni iri tamahi nure ba, Tyuuzyau, Wata-dono no toguti ni hito-bito no kehahi suru ni yori te, mono nado ihi tahaburure do, omohu koto no sudi-sudi nagekasiku te, rei yori mo simeri te wi tamahe ri.
注釈67荒き風をも以下「はべりぬる」まで、夕霧の詞。中宮の返事。2.1.2
注釈68あやしく以下「思いつらむ」まで、源氏の詞。2.1.4
注釈69短き御几帳以下「こそはあらめ」まで、夕霧の眼を通して語る。2.1.5
注釈70中将の朝けの姿は以下「心の闇にや」まで、源氏の詞。「わが背子が朝明の姿よく見ずて今日のあひだを恋ひ暮らすかも」(万葉集巻十二、二八五二、読人知らず)。「人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道にまどひぬるかな」(後撰集雑一、一一〇二、藤原兼輔)。2.1.7
注釈71わが御顔は古りがたくよしと見たまふべかめり語り手の批評。2.1.8
注釈72宮に以下「おはするや」まで、源氏の詞。2.1.9
注釈73昨日以下「開きたりしによ」まで、源氏の詞。2.1.11
注釈74いかでか以下「せざりしものを」まで、紫上の詞。2.1.13
注釈75なほあやし源氏の独語。2.1.15
注釈76渡りたまひぬ中宮の御殿へ。2.1.15
出典6 心の闇 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな 後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔 2.1.7
校訂1 おろかなりとも思い おろかなりとも思い--おろかにし(にし/$なりともおほひ) 2.1.4
2.2
第二段 源氏、明石御方を見舞う


2-2  Genji calls on Akashi at North-residence

2.2.1   こなたより、やがて北に通りて、明石の御方を見やりたまへば、はかばかしき家司だつ人なども見えず、馴れたる下仕ひどもぞ、草の中にまじりて歩く。童女など、をかしき衵姿うちとけて、心とどめ取り分き植ゑたまふ龍胆、朝顔のはひまじれる籬も、みな散り乱れたるを、 とかく引き出で尋ぬるなるべし
 こちらから、そのまま北の町に抜けて、明石の御方をお見舞いになると、これといった家司らしい人なども見えず、もの馴れた下女どもが、草の中を分け歩いている。童女などは、美しい衵姿にくつろいで、心をこめて特別にお植えになった龍胆や、朝顔の蔓が這いまつわっている籬垣も、みな散り乱れているのを、あれこれと引き出して、元の姿を求めているのであろう。  そこからすぐに北へ通って明石あかしの君の町へ源氏は出たが、ここでははかばかしい家司けいし風の者は来ていないで、下仕えの女中などが乱れた草の庭へ出て花の始末などをしていた。童女が感じのいい姿をして夫人の愛している竜胆りんどうや朝顔がほかの葉の中に混じってしまったのをり出していたわっていた。
  Konata yori, yagate kita ni tohori te, Akasi-no-Ohomkata wo mi-yari tamahe ba, haka-bakasiki keisi-datu hito nado mo miye zu, nare taru simo-dukahi-domo zo, kusa no naka ni maziri te ariku. Warahabe nado, wokasiki akome-sugata utitoke te, kokoro todome tori-waki uwe tamahu rindau, asagaho no hahi-mazire ru mase mo, mina tiri midare taru wo, tokaku hiki-ide tadunuru naru besi.
2.2.2  もののあはれにおぼえけるままに、箏の琴を掻きまさぐりつつ、端近うゐたまへるに、御前駆追ふ声のしければ、うちとけ萎えばめる姿に、小袿ひき落として、けぢめ見せたる、 いといたし。端の方についゐたまひて、風の騷ぎばかりをとぶらひたまひて、つれなく立ち帰りたまふ、 心やましげなり
 何となくもの悲しい気分で、箏の琴をもてあそびながら、端近くに座っていらっしゃるところに、御前駆の声がしたので、くつろいだ糊気のない不断着姿の上に、小袿を衣桁から引き下ろしてはおって、きちんとして見せたのは、たいそう立派なものである。端の方にちょっとお座りになって、風のお見舞いだけをおっしゃって、そっけなくお帰りになるのが、恨めしげである。
 物哀れな気持ちになっていて明石は十三げんの琴をきながら縁に近い所へ出ていたが、人払いの声がしたので、平常着ふだんぎの上へさおからおろした小袿こうちぎを掛けて出迎えた。こんな急な場合にも敬意を表することを忘れない所にこの人の性格が見えるのである。座敷の端にしばらくすわって、風の見舞いだけを言って、そのまま冷淡に帰って行く源氏の態度を女は恨めしく思った。
  Mono no ahare ni oboye keru mama ni, syau-no-koto wo kaki-masaguri tutu, hasi tikau wi tamahe ru ni, ohom-saki ohu kowe no si kere ba, utitoke nayebame ru sugata ni, ko-utiki hiki-otosi te, kedime mise taru, ito itasi. Hasi no kata ni tui-wi tamahi te, kaze no sawagi bakari wo toburahi tamahi te, turenaku tati-kaheri tamahu, kokoro-yamasige nari.
2.2.3  「 おほかたに荻の葉過ぐる風の音も
 「ただ普通に荻の葉の上を通り過ぎて行く風の音も
  おほかたのをぎの葉過ぐる風の音も
    "Ohokata ni ogi no ha suguru kaze no oto mo
2.2.4   憂き身ひとつにしむ心地して
  つらいわが身だけにはしみいるような気がして
  うき身一つにむここちして
    uki mi hitotu ni simu kokoti si te
2.2.5  とひとりごちけり。
 とつい独り言をいうのであった。
 こんなことを口ずさんでいた。
  to hitori-goti keri.
注釈77こなたより中宮の秋の御殿。2.2.1
注釈78とかく引き出で尋ぬるなるべし語り手の想像。2.2.1
注釈79いといたし語り手の感想。2.2.2
注釈80心やましげなり語り手の感想。2.2.2
注釈81おほかたに荻の葉過ぐる風の音も憂き身ひとつにしむ心地して明石御方の独詠歌。「いとどしく物思ふ宿の荻の葉に秋と告げつる風のわびしさ」(後撰集秋上、二二〇、読人しらず)。2.2.3
2.3
第三段 源氏、玉鬘を見舞う


2-3  Genji calls on Tamakazura at East-residence

2.3.1   西の対には、恐ろしと思ひ明かしたまひける、名残に、寝過ぐして、今ぞ鏡なども見たまひける。
 西の対では、恐ろしく思って夜をお明かしになった、その影響で、寝過ごして、今やっと鏡などを御覧になるのであった。
 源氏が東の町の西の対へ行った時は、夜の風が恐ろしくて明け方まで眠れなくて、やっと睡眠したあとの寝過ごしをした玉鬘たまかずらが鏡を見ている時であった。
  Nisi-no-tai ni ha, osorosi to omohi akasi tamahi keru, nagori ni, ne-sugusi te, ima zo kagami nado mo mi tamahi keru.
2.3.2  「 ことことしく前駆、な追ひそ
 「仰々しく先払い、するな」
 たいそうに先払いの声を出さないように
  "Koto-kotosiku saki, na ohi so."
2.3.3  とのたまへば、ことに音せで入りたまふ。屏風なども皆畳み寄せ、ものしどけなくしなしたるに、日のはなやかにさし出でたるほど、 けざけざと、ものきよげなるさましてゐたまへり。近くゐたまひて、例の、風につけても同じ筋に、むつかしう 聞こえ戯れたまへば、堪へず うたてと思ひて
 とおっしゃるので、特に音も立てないでお入りになる。屏風などもみな畳んで隅に寄せ、乱雑にしてあったところに、日がぱあっと照らし出した時、くっきりとした美しい様子をして座っていらっしゃった。その近くにお座りになって、いつものように、風の見舞いにかこつけても同じように、厄介な冗談を申し上げなさるので、たまらなく嫌だわと思って、
 と源氏は注意していて、そっと座敷へはいった。屏風びょうぶなども皆畳んであって混雑した室内へはなやかな秋の日ざしがはいった所に、あざやかな美貌びぼう玉鬘たまかずらがすわっていた。源氏は近い所へ席を定めた。荒い野分の風もここでは恋を告げる方便に使われるのであった。
  to notamahe ba, koto ni oto se de iri tamahu. Byaubu nado mo mina tatami-yose, mono sidokenaku si-nasi taru ni, hi no hanayaka ni sasi-ide taru hodo, keza-keza to, mono-kiyoge naru sama si te wi tamahe ri. Tikaku wi tamahi te, rei no, kaze ni tuke te mo onazi sudi ni, mutukasiu kikoye tahabure tamahe ba, tahe zu utate to omohi te,
2.3.4  「 かう心憂ければこそ、今宵の風にもあくがれなまほしくはべりつれ」
 「このように情けないなので、昨夜の風と一緒に飛んで行ってしまいとうございましたわ」
 「そんなふうなことを言って、私をお困らせになりますから、私はあの風に吹かれて行ってしまいたく思いました」
  "Kau kokoro-ukere ba koso, koyohi no kaze ni mo akugare na mahosiku haberi ture."
2.3.5  と、むつかりたまへば、いとよくうち笑ひたまひて、
 と、御機嫌を悪くなさると、たいそうおもしろそうにお笑いになって、
 と機嫌きげんをそこねて玉鬘が言うと源氏はおもしろそうに笑った。
  to, mutukari tamahe ba, ito yoku uti-warahi tamahi te,
2.3.6  「 風につきてあくがれたまはむや、軽々しからむ。さりとも、止まる方ありなむかし。やうやうかかる御心むけこそ添ひにけれ。ことわりや」
 「風と一緒に飛んで行かれるとは、軽々しいことでしょう。そうはいっても、落ち着くところがきっとあることでしょう。だんだんこのようなお気持ちが出てきたのですね。もっともなことです」
 「風に吹かれてどこへでも行ってしまおうというのは少し軽々しいことですね。しかしどこか吹かれて行きたい目的の所があるでしょう。あなたも自我を現わすようになって、私を愛しないことも明らかにするようになりましたね。もっともですよ」
  "Kaze ni tuki te akugare tamaha m ya, karu-garusikara m. Saritomo, tomaru kata ari na m kasi. Yau-yau kakaru mi-kokoro-muke koso sohi ni kere. Kotowari ya!"
2.3.7  とのたまへば、
 とおっしゃるので、
 と源氏が言うと、
  to notamahe ba,
2.3.8  「 げに、うち思ひのままに聞こえてけるかな」
 「なるほど、ふと思ったままに申し上げてしまったわ」

  "Geni, uti omohi no mama ni kikoye te keru kana!"
2.3.9  と思して、みづからもうち笑みたまへる、いとをかしき色あひ、つらつきなり。酸漿などいふめるやうにふくらかにて、髪のかかれる隙々うつくしうおぼゆ。まみのあまりわららかなるぞ、いとしも品高く見えざりける。その他は、つゆ難つくべうもあらず。
 とお思いになって、自分自身でもほほ笑んでいらっしゃるのが、とても美しい顔色であり、表情である。酸漿などというもののようにふっくらとして、髪のかかった隙間から見える頬の色艶が美しく見える。目もとのほがらか過ぎる感じが、特に上品とは見えなかったのであった。その他は、少しも欠点のつけようがなかった。
 玉鬘は思ったままを誤解されやすい言葉で言ったものであると自身ながらおかしくなって笑っている顔の色がはなやかに見えた。海酸漿うみほおずきのようにふっくらとしていて、髪の間から見える膚の色がきれいである。目があまりに大きいことだけはそれほど品のよいものでなかった。そのほかには少しの欠点もない。
  to obosi te, midukara mo uti-wemi tamahe ru, ito wokasiki iro-ahi, turatuki nari. Hohoduki nado ihu meru yau ni hukuraka ni te, kami no kakare ru hima-hima utukusiu oboyu. Mami no amari wararaka naru zo, ito simo sina takaku miye zari keru. Sono hoka ha, tuyu nan tuku beu mo ara zu.
注釈82西の対花散里の東の御殿の西の対、玉鬘が住む。2.3.1
注釈83ことことしく前駆な追ひそ源氏の詞。2.3.2
注釈84聞こえ戯れ源氏が玉鬘に。2.3.3
注釈85うたてと思ひて主語は玉鬘。2.3.3
注釈86かう心憂ければこそ以下「はべりつれ」まで、玉鬘の詞。2.3.4
注釈87風につきて以下「ことわりや」まで、源氏の詞。2.3.6
注釈88げに以下「聞こえてけるかな」まで、玉鬘の心。2.3.8
校訂2 けざけざと けざけざと--けさ/\(/\/+と<朱>) 2.3.3
2.4
第四段 夕霧、源氏と玉鬘を垣間見る


2-4  Yugiri peeps Genji and Tamakazura being harmonious

2.4.1  中将、いとこまやかに聞こえたまふを、「 いかでこの御容貌見てしがな」と思ひわたる心にて、隅の間の御簾の、几帳は添ひながらしどけなきを、やをら 引き上げて見るに、紛るるものどもも取りやりたれば、いとよく見ゆ。かく戯れたまふけしきのしるきを、
 中将は、たいそう親しげにお話し申し上げていらっしゃるのを、「何とかこの姫君のご器量を見たいものだ」と思い続けていたので、隅の間の御簾を、その奥に几帳は立ててあったがきちんとしていなかったので、静かに引き上げて中を見ると、じゃま物が片づけてあったので、たいそうよく見える。このようにふざけていらっしゃる様子がはっきりわかるので、
中将は父の源氏がゆっくりと話している間に、この異腹の姉の顔を一度のぞいて知りたいとは平生から願っていることであったから、すみ部屋へや御簾みす几帳きちょうも添えられてあるが、乱れたままになっている、その端をそっと上げて見ると、中央の部屋との間に障害になるような物は皆片づけられてあったからよく見えた。戯れていることは見ていてわかることであったから、不思議な行為である。
  Tyuuzyau, ito komayaka ni kikoye tamahu wo, "Ikade kono ohom-katati mi te si gana." to omohi wataru kokoro ni te, sumi no ma no, kityau ha sohi nagara sidokenaki wo, yawora hiki-age te miru ni, magiruru mono-domo mo tori-yari tare ba, ito yoku miyu. Kaku tahabure tamahu kesiki no siruki wo,
2.4.2  「 あやしのわざや。親子と聞こえながら、かく懐離れず、もの近かべきほどかは」
 「妙なことだ。親子とは申せ、このように懐に抱かれるほど、馴れ馴れしくしてよいものだろうか」
 親子であってもふところに抱きかかえる幼年者でもない、あんなにしてよいわけのものでないのに
  "Ayasi no waza ya! Oyako to kikoye nagara, kaku hutokoro hanare zu, mono tikaka' beki hodo kaha."
2.4.3  と目とまりぬ。「 見やつけたまはむ」と恐ろしけれど、あやしきに、心もおどろきて、なほ見れば、 柱隠れにすこしそばみたまへりつるを、引き寄せたまへるに、御髪の並み寄りて、はらはらとこぼれかかりたるほど、女も、いとむつかしく苦しと思うたまへるけしきながら、さすがにいとなごやかなるさまして、寄りかかりたまへるは、
 と目がとまった。「見つけられはしまいか」と恐ろしいけれども、変なので、びっくりして、なおも見ていると、柱の陰に少し隠れていらっしゃったのを、引き寄せなさると、御髪が横になびいて、はらはらとこぼれかかったところ、女も、とても嫌でつらいと思っていらっしゃる様子ながら、それでも穏やかな態度で、寄り掛かっていらっしゃるのは、
 と目がとまった。源氏に見つけられないかと恐ろしいのであったが、好奇心がつのってなおのぞいていると、柱のほうへ身体からだを少し隠すように姫君がしているのを、源氏は自身のほうへ引き寄せていた。髪の波が寄って、はらはらとこぼれかかっていた。女も困ったようなふうはしながらも、さすがに柔らかに寄りかかっているのを見ると、
  to me tomari nu. "Mi ya tuke tamaha m?" to osorosikere do, ayasiki ni, kokoro mo odoroki te, naho mire ba, hasira gakure ni sukosi sobami tamahe ri turu wo, hiki-yose tamahe ru ni, mi-gusi no nami-yori te, hara-hara to kobore kakari taru hodo, womna mo, ito mutukasiku kurusi to omou tamahe ru kesiki nagara, sasuga ni ito nagoyaka naru sama si te, yori-kakari tamahe ru ha,
2.4.4  「 ことと馴れ馴れしきにこそあめれ。いで、あなうたて。いかなることにかあらむ。思ひ寄らぬ隈なくおはしける御心にて、もとより見馴れ生ほしたてたまはぬは、かかる御思ひ添ひたまへるなめり。むべなりけりや。あな、疎まし」
 「すっかり親密な仲になっているらしい。いやはや、ああひどい。どうしたことであろうか。抜け目なくいらっしゃるご性分だから、最初からお育てにならなかった娘には、このようなお思いも加わるのだろう。もっともなことだが。ああ、嫌だ」
 始終このなれなれしい場面の演ぜられていることも中将に合点がてんされた。悪感おかんの覚えられることである、どういうわけであろう、好色なお心であるから、小さい時から手もとで育たなかった娘にはああした心も起こるのであろう、道理でもあるがあさましい
  "Koto to nare-naresiki ni koso a' mere. Ide, ana utate! Ika naru koto ni ka ara m? Omohi-yora nu kuma naku ohasi keru mi-kokoro ni te, motoyori mi-nare ohosi-tate tamaha nu ha, kakaru ohom-omohi sohi tamahe ru na' meri. Mube nari keri ya! Ana, utomasi."
2.4.5   と思ふ心も恥づかし。「 女の御さま 、げに、はらからといふとも、すこし立ち退きて、異腹ぞかし」など思はむは、「 などか、心あやまりもせざらむ」とおぼゆ。
 と思う自分自身までが気恥ずかしい。「女のご様子は、なるほど、姉弟といっても、少し縁遠くて、異母姉弟なのだ」などと思うと、「どうして、心得違いを起こさないだろうか」と思われる。
 と真相を知らない中将にこう思われている源氏は気の毒である。玉鬘は兄弟であっても同腹でない、母が違うと思えば心の動くこともあろうと思われる美貌であることを中将は知った。
  to omohu kokoro mo hadukasi. "Womna no ohom-sama, geni, harakara to ihu tomo, sukosi tati-noki te, koto-hara zo kasi." nado, omoha m ha, "Nadoka, kokoro-ayamari mo se zara m?" to oboyu.
2.4.6   昨日見し御けはひには、け劣りたれど、見るに笑まるるさまは、立ちも並びぬべく見ゆる。八重山吹の咲き乱れたる盛りに、露のかかれる夕映えぞ、ふと思ひ出でらるる。 折にあはぬよそへどもなれど、なほ、うちおぼゆるやうよ。花は限りこそあれ、そそけたるしべなどもまじるかし、人の御容貌のよきは、たとへむ方なきものなりけり。
 昨日拝見した方のご様子には、どこか劣って見えるが、一目見ればにっこりしてしまうところは、肩も並べられそうに見える。八重山吹の花が咲き乱れた盛りに、露の置いた夕映えのようだと、ふと思い浮かべずにはいられない。季節に合わないたとえだが、やはり、そのように思われるのであるよ。花は美しいといっても限りがあり、ばらばらになった蘂などが混じっていることもあるが、姫君のお姿の美しさは、たとえようもないものなのであった。
 昨日見た女王にょおうよりは劣って見えるが、見ている者が微笑ほほえまれるようなはなやかさは同じほどに思われた。八重の山吹やまぶきの咲き乱れた盛りに露を帯びて夕映ゆうばえのもとにあったことを、その人を見ていて中将は思い出した。このごろの季節のものではないが、やはりその花に最もよく似た人であると思われた。花は美しくても花であって、またよく乱れたしべなども盛りの花といっしょにあったりなどするものであるが、人の美貌はそんなものではないのである。
  Kinohu mi si ohom-kehahi ni ha, ke otori tare do, miru ni wema ruru sama ha, tati mo narabi nu beku miyuru. Yahe-yamabuki no saki midare taru sakari ni, tuyu no kakare ru yuhu-baye zo, huto omohi-ide raruru. Wori ni aha nu yosohe-domo nare do, naho, uti oboyuru yau yo! Hana ha kagiri koso are, sosoke taru sibe nado mo maziru kasi, hito no ohom-katati no yoki ha, tatohe m kata naki mono nari keri.
2.4.7  御前に人も出で来ず、いとこまやかにうちささめき語らひ聞こえたまふに、 いかがあらむ、まめだちてぞ立ちたまふ。 女君
 御前には女房も出て来ず、たいそう親密に小声で話し合っていらっしゃったが、どうしたのであろうか、真面目な顔つきでお立ち上がりになる。女君は、
 だれも女房がそばへ出て来ない間、親しいふうに二人の男女は語っていたが、どうしたのかまじめな顔をして源氏が立ち上がった。玉鬘が、
  O-mahe ni hito mo ide ko zu, ito komayaka ni uti sasameki katarahi kikoye tamahu ni, ikaga ara m, mame-dati te zo, tati tamahu. Womna-Gimi,
2.4.8  「 吹き乱る風のけしきに女郎花
 「吹き乱す風のせいで女郎花は
  吹き乱る風のけしきに女郎花をみなへし
    "Huki-midaru kaze no kesiki ni wominahesi
2.4.9   しをれしぬべき心地こそすれ
  萎れてしまいそうな気持ちがいたします
  しをれしぬべきここちこそすれ
    siwore si nu beki kokoti koso sure
2.4.10  詳しくも聞こえぬに、 うち誦じたまふをほの聞くに、憎きもののをかしければ、 なほ見果てまほしけれど、「 近かりけりと見えたてまつらじ」と思ひて、立ち去りぬ。
 はっきりとは聞こえないが、お口ずさみになるのをかすかに聞くと、憎らしい気がする一方で興味がわくので、やはり最後まで見届たいが、「近くにいたなと悟られ申すまい」と思って、立ち去った。
 と言った。これはその人の言うのが中将に聞こえたのではなくて、源氏が口にした時に知ったのである。不快なことがまた好奇心を引きもして、もう少し見きわめたいと中将は思ったが、近くにいたことを見られまいとしてそこから退いていた。
  Kuhasiku mo kikoye nu ni, uti zyu-zi tamahu wo hono-kiku ni, nikuki mono no wokasikere ba, naho mi-hate mahosikere do, "Tikakari keri to miye tatematura zi." to omohi te, tati-sari nu.
2.4.11  御返り、
 お返歌は、
 源氏が、
  Ohom-kaheri,
2.4.12  「 下露になびかましかば女郎花
 「下葉の露になびいたならば
  「しら露になびかましかば女郎花
    "Sita-tuyu ni nabika masika ba wominahesi
2.4.13   荒き風にはしをれざらまし
  女郎花は荒い風には萎れないでしょうに
  荒き風にはしをれざらまし
    araki kaze ni ha siwore zara masi
2.4.14  なよ竹を見たまへかし」
 なよ竹を御覧なさい」
 弱竹なよたけをお手本になさい」
  Nayo-take wo mi tamahe kasi."
2.4.15   など、ひが耳にやありけむ、聞きよくもあらずぞ
 などと、聞き間違いであろうか、あまり聞きよい歌ではない。
 と言ったと思ったのは、中将の僻耳ひがみみであったかもしれぬが、それも気持ちの悪い会話だとその人は聞いたのであった。
  nado, higa-mimi ni ya ari kem, kiki yoku mo ara zu zo.
注釈89いかでこの御容貌見てしがな夕霧の心。2.4.1
注釈90あやしのわざや以下「近かべきほどは」まで、夕霧の心。2.4.2
注釈91見やつけたまはむ夕霧の心。2.4.3
注釈92柱隠れに以下、夕霧の視点で語られる。2.4.3
注釈93ことと馴れ馴れしきに以下「あな疎まし」まで、夕霧の心を通して語られる。2.4.4
注釈94と思ふ心も恥づかし夕霧の性格に対する語り手の批評。2.4.5
注釈95女の御さま以下「異腹ぞかし」まで夕霧の心。2.4.5
注釈96などか心あやまりもせざらむ夕霧の心。2.4.5
注釈97昨日見し御けはひにはけ劣りたれど地の文でありながら、夕霧の判断を含ませた心の文と一体化した文章。2.4.6
注釈98折にあはぬよそへどもなれど以下「たとへむ方なきものなりけり」まで、夕霧の譬喩が今の季節に合わないとする語り手の批評。2.4.6
注釈99いかがあらむ語り手の推測。2.4.7
注釈100女君玉鬘。2.4.7
注釈101吹き乱る風のけしきに女郎花しをれしぬべき心地こそすれ玉鬘の和歌。「濡れ濡れも明けばまづ見む宮城野のもとあらの萩はしをれぬらむ」(長能集、一三)2.4.8
注釈102うち誦じたまふ源氏が玉鬘の歌を。2.4.10
注釈103なほ見果てまほしけれど夕霧の心を語り手が忖度。2.4.10
注釈104近かりけりと見えたてまつらじ夕霧の心。2.4.10
注釈105下露になびかましかば女郎花荒き風にはしをれざらまし源氏の返歌。「女郎花」「風」「しをれ」の語句を受けて返す。2.4.12
注釈106などひが耳にやありけむ聞きよくもあらずぞ源氏の返歌があまり上手な出来でないとする語り手の批評。2.4.15
校訂3 引き上げて 引き上げて--ひま(ひま/$)ひきあけて 2.4.1
校訂4 御さま 御さま--(/+御)さま 2.4.5
2.5
第五段 源氏、花散里を見舞う


2-5  Genji calls on Hanachirusato at another room in East-residence

2.5.1   東の御方へこれよりぞ渡りたまふ。今朝の朝寒なる うちとけわざにや、もの裁ちなどするねび御達、御前にあまたして、細櫃めくものに、綿引きかけてまさぐる若人どもあり。いときよらなる朽葉の羅、今様色の二なく擣ちたるなど、引き散らしたまへり。
 東の御方へ、ここからお渡りになる。今朝の寒さのせいで内輪の仕事であろうか、裁縫などをする老女房たちが御前に大勢いて、細櫃らしい物に、真綿をひっかけて延ばしている若い女房たちもいる。とても美しい朽葉色の羅や、流行色でみごとに艶出ししたのなどを、ひき散らかしていらっしゃった。
 花散里はなちるさとの所へそこからすぐに源氏は行った。今朝けさはだ寒さに促されたように、年を取った女房たちが裁ち物などを夫人の座敷でしていた。細櫃ほそびつの上で真綿をひろげている若い女房もあった。きれいに染め上がった朽ち葉色の薄物、淡紫うすむらさきのでき上がりのよい打ち絹などが散らかっている。
  Himgasi-no-Ohomkata he, kore yori zo watari tamahu. Kesa no asa-zamu naru utitoke-waza ni ya, mono-tati nado suru nebi-gotati, o-mahe ni amata si te, hoso-bitu meku mono ni, wata hiki kake te masaguru wakaudo-domo ari. Ito kiyora naru kutiba no usu-mono, imayau-iro no ni-naku uti taru nado, hiki-tirasi tamahe ri.
2.5.2  「 中将の下襲か。御前の壷前栽の宴も止まりぬらむかし。かく吹き散らしてむには、何事かせられむ。すさまじかるべき秋なめり」
 「中将の下襲か。御前での壷前栽の宴もきっと中止になるだろう。このように吹き散らしたのでは、何の催し事ができようか。興ざめな秋になりそうだ」
 「なんですこれは、中将の下襲したがさねなんですか。御所の壺前栽つぼせんざいの秋草の宴なども今年はだめになるでしょうね。こんなに風が吹き出してしまってはね、見ることも何もできるものでないから。ひどい秋ですね」
  "Tyuuzyau no sita-gasane ka? O-mahe no tubo-sensai no en mo tomari nu ram kasi. Kaku huki-tirasi te m ni ha, nani-goto ka se rare m. Susamazikaru beki aki na' meri."
2.5.3  などのたまひて、 何にかあらむ、さまざまなるものの色どもの、いときよらなれば、「 かやうなる方は、南の上にも劣らずかし」と思す。御直衣、花文綾を、このころ摘み出だしたる花して、はかなく染め出でたまへる、いとあらまほしき色したり。
 などとおっしゃって、何の着物であろうか、さまざまな衣装の色が、とても美しいので、「このような技術は南の上にも負けない」とお思いになる。御直衣、花文綾を、近頃摘んできた花で、薄く染め出しなさったのは、たいそう申し分ない色をしていた。
 などと言いながら、何になるのかさまざまの染め物織り物の美しい色が集まっているのを見て、こうした見立ての巧みなことは南の女王にも劣っていない人であると源氏は花散里を思った。源氏の直衣のうしの材料の支那しな紋綾もんあやを初秋の草花から摘んで作った染料で手染めに染め上げたのが非常によい色であった。
  nado notamahi te, nani ni ka ara m, sama-zama naru mono no iro-domo no, ito kiyora nare ba, "Kayau naru kata ha, Minami-no-Uhe ni mo otora zu kasi." to obosu. Ohom-nahosi, kemonreu wo, kono-koro tumi-idasi taru hana si te, hakanaku some-ide tamahe ru, ito aramahosiki iro si tari.
2.5.4  「 中将にこそ、かやうにては着せたまはめ。若き人のにてめやすかめり」
 「中将にこそ、このようなのをお着せなさるがよい。若い人の直衣として無難でしょう」
 「これは中将に着せたらいい色ですね。若い人には似合うでしょう」
  "Ttyuzyau ni koso, kayau ni te ha ki se tamaha me. Wakaki hito no ni te meyasuka' meri."
2.5.5   などやうのことを聞こえたまひて、渡りたまひぬ。
 などというようなことを申し上げなさって、お渡りになった。
 こんなことも言って源氏は帰って行った。
  nado yau no koto wo kikoye tamahi te, watari tamahi nu.
注釈107東の御方へ花散里のお部屋。2.5.1
注釈108これより玉鬘の居所から。夏の御殿の西の対の文殿を改造した部屋。2.5.1
注釈109うちとけわざにや源氏の眼を通して語られる。2.5.1
注釈110中将の下襲か以下「秋なめり」まで、源氏の花散里への詞。2.5.2
注釈111何にかあらむ源氏と語り手が一体化した推測。2.5.3
注釈112かやうなる方は南の上にも劣らずかし源氏の心内。花散里の裁縫染色の技量が南の上(紫の上)にも劣らないことを認める。2.5.3
注釈113中将にこそ以下「めやすかめり」まで、源氏の花散里への詞。2.5.4
注釈114などやうのことを語り手の概括の加わった表現。2.5.5
Last updated 9/4/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 9/4/2001
渋谷栄一注釈(ver.1-1-2)
Last updated 9/4/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
伊藤時也(青空文庫)

2003年5月18日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

暫定版(最終確認作業中)

Last updated 9/9/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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