16 関屋(大島本)


SEKIYA


光る源氏の須磨明石離京時代から帰京後までの空蝉の物語


Tale of Utsusemi  Ara of Hikaru-Genji in Suma and Akashi, and returned to Kyoto later

2
第二章 空蝉の物語 手紙を贈る


2  Tale of Utsusemi  Exchange greetings

2.1
第一段 昔の小君と紀伊守


2-1  Ko-Gimi and Kii-no-Kami

2.1.1   石山より出でたまふ御迎へに右衛門佐参りてぞ、 まかり過ぎしかしこまりなど申す。昔、童にて、いとむつましうらうたきものにしたまひしかば、かうぶりなど得しまで、この御徳に隠れたりしを、おぼえぬ世の騷ぎありしころ、ものの聞こえに憚りて、常陸に下りしをぞ、すこし心置きて年ごろは思しけれど、色にも出だしたまはず、昔のやうにこそあらねど、なほ親しき家人のうちには数へたまひけり。
 石山寺からお帰りになるお出迎えに右衛門佐が参上して、そのまま行き過ぎてしまったお詫びなどを申し上げる。昔、童として、たいそう親しくかわいがっていらっしゃったので、五位の叙爵を得たまで、この殿のお蔭を蒙ったのだが、思いがけない世の騒動があったころ、世間の噂を気にして、常陸国に下行したのを、少し根に持ってここ数年はお思いになっていたが、顔色にもお出しにならず、昔のようにではないが、やはり親しい家人の中には数えていらっしゃっるのであった。
 源氏が石山寺を出る日に右衛門佐が迎えに来た。源氏に従って寺へ来ずに、姉夫婦といっしょに京へはいってしまったことをすけは謝した。少年の時から非常に源氏に愛されていて、源氏の推薦で官につくこともできた恩もあるのであるが、源氏の免職されたころ、当路者ににらまれることを恐れて常陸へ行ってしまったことで、少しおもしろくなく源氏は思っていたが、だれにもそのことは言わなかった。昔ほどではないがその後も右衛門佐うえもんのすけは家に属した男として源氏の庇護ひごを受けることになっていた。
  Isiyama yori ide tamahu ohom-mukahe ni Uwemon-no-Suke mawiri te zo, makari sugi si kasikomari nado mausu. Mukasi, waraha nite, ito mutumasiu rautaki mono ni si tamahi sika ba, kauburi nado e si made, kono ohom-toku ni kakure tari si wo, oboye nu yo no sawagi ari si koro, mono no kikoye ni habakari te, Hitati ni kudari si wo zo, sukosi kokoro-oki te tosi-goro ha obosi kere do, iro ni mo idasi tamaha zu, mukasi no yau ni koso ara ne do, naho sitasiki ihe-bito no uti ni ha kazohe tamahi keri.
2.1.2   紀伊守といひしも、今は河内守にぞなりにける。その の右近将監解けて御供に 下りしをぞ、とりわきてなし出でたまひければ、それにぞ誰も思ひ知りて、「 などてすこしも、世に従ふ心をつかひけむ」など、思ひ出でける。
 紀伊守と言った人も、今は河内守になっていたのであった。その弟の右近将監を解任されてお供に下った者を、格別にお引き立てになったので、そのことを誰も皆思い知って、「どうしてわずかでも、世におもねる心を起こしたのだろう」などと、後悔するのであった。
 紀伊守きいのかみといった男も今はわずかな河内守かわちのかみであった。その弟の右近衛丞うこんえのじょうで解職されて、須磨へ源氏について行った男が特別に取り立てられていくのを見て、右衛門佐も河内守も過去の非を悔いた。なぜ一時の損得などを大事に考えたのであろうと自身を責めていた。
  Kii-no-Kami to ihi si mo, ima ha Kauti-no-Kami ni zo nari ni keru. Sono otouto no Ukon-no-Zyou toke te ohom-tomo ni kudari si wo zo, tori-waki te nasi-ide tamahi kere ba, sore ni zo tare mo omohi-siri te, "Nado te sukosi mo, yo ni sitagahu kokoro wo tukahi kem." nado, omohi-ide keru.
注釈20石山より出でたまふ御迎へに源氏が石山寺参詣を終えて、そのお迎え。2.1.1
注釈21まかり過ぎしかしこまり『新大系』は「先日(逢坂の関で、源氏のお供もせず)通り過ぎたことのお詫び」と注す。2.1.1
注釈22紀伊守といひしも今は河内守に紀伊国は上国、河内国は大国。2.1.2
注釈23などてすこしも以下「つかひけむ」まで、人々の心中。世におもねったことを後悔。2.1.2
校訂3 弟--を(を/+と<朱>)うと 2.1.2
校訂4 下りし 下りし--くたり(り/+し<朱>) 2.1.2
2.2
第二段 空蝉へ手紙を贈る


2-2  Exchange greetings

2.2.1  佐召し寄せて、 御消息あり。「 今は思し忘れぬべきことを、心長くもおはするかな」と思ひゐたり。
 右衛門佐を召し寄せて、お便りがある。「今ではお忘れになってしまいそうなことを、いつまでも変わらないお気持ちでいらっしゃるなあ」と思った。
 すけを呼び出して、源氏は姉君へ手紙をことづてたいと言った。他の人ならもう忘れていそうな恋を、なおも思い捨てない源氏に右衛門佐は驚いていた。
  Suke mesi-yose te, ohom-seusoko ari. "Ima ha obosi-wasure nu beki koto wo, kokoro-nagaku mo ohasuru kana!" to omohi-wi tari.
2.2.2  「 一日は、契り知られしを、さは思し知りけむや。
 「先日は、ご縁の深さを知らされましたが、そのようにお思いになりませんか。
 あの日私は、あなたとの縁はよくよく前生で堅く結ばれて来たものであろうと感じましたが、あなたはどうお思いになりましたか。
  "Hito-hi ha, tigiri sira re si wo, sa ha obosi siri kem ya?
2.2.3    わくらばに行き逢ふ道を頼みしも
  偶然に逢坂の関でお逢いしたことに期待を寄せていましたが
  わくらはに行きふみちを頼みしも
    Wakuraba ni yuki-ahu miti wo tanomi si mo
2.2.4   なほかひなしや 潮ならぬ海
  それも効ありませんね、やはり潮海でない淡海だから
  なほかひなしや塩ならぬ海
    naho kahinasi ya siho nara nu umi
2.2.5   関守の、さもうらやましく、めざましかりしかな」
 関守が、さも羨ましく、忌ま忌ましく思われましたよ」
 あなたの関守せきもりがどんなにうらやましかったか。
  Seki-mori no, samo urayamasiku, mezamasikari si kana!"
2.2.6  とあり。
 とある。
 という手紙である。
  to ari.
2.2.7  「 年ごろのとだえも、うひうひしくなりにけれど、心にはいつとなく、ただ今の心地するならひになむ。好き好きしう、いとど憎まれむや」
 「長年の御無沙汰も、いまさら気恥ずかしいが、心の中ではいつも思っていて、まるで昨日のことのように思われる性分で。あだな振る舞いだと、ますます恨まれようか」
 「あれから長い時間がたっていて、きまりの悪い気もするが、忘れない私の心ではいつも現在の恋人のつもりでいるよ。でもこんなことをしてはいっそうきらわれるのではないかね」
  "Tosi-goro no todaye mo, uhi-uhisiku nari ni kere do, kokoro ni ha itu to naku, tada ima no kokoti suru narahi ni nam. Suki-zukisiu, itodo nikuma re m ya?"
2.2.8  とて、賜へれば、かたじけなくて持て行きて、
 と言って、お渡しになったので、恐縮して持って行って、
 こう言って源氏は渡した。佐はもったいない気がしながら受け取って姉の所へ持参した。
  tote, tamahe re ba, katazikenaku te mote-iki te,
2.2.9  「 なほ、聞こえたまへ。昔にはすこし思しのくことあらむと思ひたまふるに、同じやうなる御心のなつかしさなむ、いとどありがたき。すさびごとぞ用なきことと思へど、えこそすくよかに聞こえ返さね。 女にては、負けきこえたまへらむに、罪ゆるされぬべし
 「とにかく、お返事なさいませ。昔よりは少しお疎んじになっているところがあろうと存じましたが、相変わらぬお気持ちの優しさといったら、ひとしおありがたい。浮気事の取り持ちは、無用のことと思うが、とてもきっぱりとお断り申し上げられません。女の身としては、負けてお返事を差し上げなさったところで、何の非難も受けますまい」
 「ぜひお返事をしてください。以前どおりにはしてくださらないだろう、疎外されるだろうと私は覚悟していましたが、やはり同じように親切にしてくださるのですよ。この使いだけは困ると思いましたけれど、お断わりなどできるものじゃありません。女のあなたがあの御愛情にほだされるのは当然で、だれも罪とは考えませんよ」
  "Naho, kikoye tamahe. Mukasi ni ha sukosi obosi-noku koto ara m to omohi tamahuru ni, onazi yau naru mi-kokoro no natukasisa nam, itodo arigataki. Susabi-goto zo yau-naki koto to omohe do, e koso sukuyoka ni kikoye-kahesa ne. Womna nite ha, make kikoye tamahe ra m ni, tumi yurusa re nu besi."
2.2.10  など言ふ。今は、ましていと恥づかしう、よろづのこと、うひうひしき心地すれど、 めづらしきにや、え忍ばれざりけむ
 などと言う。今では、更にたいそう恥ずかしく、すべての事柄、面映ゆい気がするが、久しぶりの気がして、堪えることができなかったのであろうか、
 などと右衛門佐は姉に言うのであった。今はましてがらでない気がする空蝉うつせみであったが、久しぶりで得た源氏の文字に思わずほんとうの心が引き出されたか返事を書いた。
  nado ihu. Ima ha, masite ito hadukasiu, yorodu no koto, uhi-uhisiki kokoti sure do, medurasiki ni ya, e sinoba re zari kem,
2.2.11  「 逢坂の関やいかなる関なれば
 「逢坂の関は、いったいどのような関なのでしょうか
  逢坂あふさかの関やいかなる関なれば
    "Ahusaka no seki ya ika naru seki nare ba
2.2.12   しげき嘆きの仲を分くらむ
  こんなに深い嘆きを起こさせ、人の仲を分けるのでしょう
  しげきなげきの中を分くらん
    sigeki nageki no naka wo waku ram
2.2.13   夢のやうになむ
 夢のような心地がします」
 夢のような気がいたしました。
  Yume no yau ni nam."
2.2.14  と聞こえたり。あはれもつらさも、忘れぬふしと思し置かれたる人なれば、折々は、なほ、のたまひ動かしけり。
 と申し上げた。いとしさも恨めしさも、忘られない人とお思い置かれている女なので、時々は、やはり、お便りなさって気持ちを揺するのであった。
 とある。恨めしかった点でも、恋しかった点でも源氏には忘れがたい人であったから、なおおりおりは空蝉の心を動かそうとする手紙を書いた。
  to kikoye tari. Ahare mo turasa mo, wasure nu husi to obosi-oka re taru hito nare ba, wori-wori ha, naho, notamahi ugokasi keri.
注釈24御消息あり源氏から空蝉への手紙。2.2.1
注釈25今は以下「おはする」まで、右衛門佐の心中。源氏の空蝉を思い続ける変わらぬ愛情に感心する。2.2.1
注釈26一日は以下「めざましかりしかな」まで、源氏の空蝉への手紙文。2.2.2
注釈27わくらばに行き逢ふ道を頼みしもなほかひなしや潮ならぬ海源氏から空蝉への贈歌。「逢ふ道」に「近江路」、「効」に「貝」を掛ける。「潮ならぬ海」だから「海布松(見る目)」が生えてなく、「貝(効)」がない、という。『集成』は「潮満たぬ海と聞けばや世とともにみるめなくして年の経ぬらむ」(後撰集恋一、五二六、貫之)を指摘。2.2.3
注釈28関守の「逢坂の関」の縁語で「関守」という。恋路を妨げる空蝉の夫常陸介という気持ち。2.2.5
注釈29年ごろの以下「いとど憎まれむや」まで、源氏の詞。右衛門佐に手紙を託す折の詞。2.2.7
注釈30なほ聞こえたまへ以下「罪ゆるされぬべし」まで、右衛門佐の空蝉への詞。2.2.9
注釈31女にては負けきこえたまへらむに罪ゆるされぬべし『完訳』は「女の身としては、相手の説得に負けて応答したところで誰の避難も受けまい。「罪」は夫以外の男に通じる罪。それを楽観的に言う。不義の仲を取り持とうとするのは、権勢家への追従心によろう」と注す。右衛門佐の成長が感じられる。2.2.9
注釈32めづらしきにやえ忍ばれざりけむ「にや」連語(断定の助動詞「に」係助詞「や」)、「けむ」過去推量の助動詞。語り手の感情移入を伴った登場人物の心中を推測した表現。2.2.10
注釈33逢坂の関やいかなる関なればしげき嘆きの仲を分くらむ空蝉の返歌。歌中の「近江路」「潮ならぬ海」は用いず、歌に添えた「関守」の語句を受けて、「逢坂の関」に「(人に)逢ふ」の意を掛け、また「嘆き」に「(投げ)木」を響かす。「仲を分くらむ」と、源氏の意を迎えた歌を返す。2.2.11
注釈34夢のやうになむ歌に添えた詞。2.2.13
出典2 潮ならぬ海 潮満たぬ海と聞けばや世とともにみるめなくして年の経ぬらむ 後撰集恋一-五二八 読人しらず 2.2.4
Last updated 6/27/2001
渋谷栄一校訂(C)(ver.1-2-2)
Last updated 3/10/2002
渋谷栄一注釈(ver.1-1-3)
Last updated 6/27/2001
渋谷栄一訳(C)(ver.1-2-2)
現代語訳
与謝野晶子
電子化
上田英代(古典総合研究所)
底本
角川文庫 全訳源氏物語
校正・
ルビ復活
kumi(青空文庫)

2003年5月9日

渋谷栄一訳
との突合せ
若林貴幸、宮脇文経

暫定版(最終確認作業中)

Last updated 8/21/2002
Written in Japanese roman letters
by Eiichi Shibuya (C) (ver.1-3-2)
Picture "Eiri Genji Monogatari"(1650 1st edition)
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