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 3桐壺(明融臨模本)3 
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Last updated 6/25/2003
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 7渋谷栄一校訂(C)(ver.1-4-1)7 
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桐 壺

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 11 [主要登場人物]
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 光る源氏<ひかるげんじ>
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 14
呼称---男御子・御子・君・若宮・宮・源氏の君・光る君・源氏、この物語の主人公
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 藤壺女御<ふじつぼのにょうご>
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 16
呼称---先帝の四の宮・后の宮の姫宮・藤壺・御方・宮・かかやく日の宮、主人公の永遠の理想的異性
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 桐壺帝<きりつぼのみかど>
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呼称---主上・帝・内裏・御前、主人公の父親
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 桐壺更衣<きりつぼのこうい>
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呼称---御息所・女・桐壺の更衣・母御息所の御方、主人公の母親、故大納言の娘
20 
 21
 弘徽殿女御<こきでんのにょうご>
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 22
呼称---右大臣の女御・一の御子の女御・弘徽殿・御方・女御・弘徽殿の女御・春宮の女御、右大臣の娘 第一親王の母親
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 23
 御祖母北の方<おおんおばきたのかた>
23 
 24
呼称---母北の方・母君・御祖母北の方、桐壺更衣の母親 光る源氏の祖母
24 
 25
 靫負命婦<ゆげいのみょうぶ>
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呼称---靫負命婦・命婦、帝の使者となって故桐壺更衣邸を弔問
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 27
 東宮<とうぐう>
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呼称---一の皇子・儲の君・一の宮・春宮、主人公の異母兄、のちの朱雀帝
28 
 29
 葵の上<あおいのうえ>
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 30
呼称---御女・女君・大殿の君、主人公の正妻、政略結婚によって結ばれる
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 頭中将<とうのちゅうじょう>
31 
 32
呼称---蔵人少将、主人公の親友、葵の上の同母兄
32 
 33
 左大臣<さだいじん>
33 
 34
呼称---引入の大臣・大臣・大殿、主人公の岳父
34 
 35
 母后<ははぎさき>
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呼称---母后・后の宮・后、藤壺の母 先帝の后
36 
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 兵部卿宮<ひょうぶきょうのみや>
37 
 38
呼称---兵部卿の親王、藤壺の同母兄
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 40第一章 光る源氏前史の物語
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 41
41 
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  • 父帝と母桐壺更衣の物語---いづれの御時にか
  • 42 
     43
  • 御子誕生(一歳)---前の世にも御契りや深かりけむ
  • 43 
     44
  • 若宮の御袴着(三歳)---この御子三つになりたまふ年
  • 44 
     45
  • 母御息所の死去---その年の夏、御息所はかなき心地に
  • 45 
     46
  • 故御息所の葬送---限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを
  • 46 
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     48第二章 父帝悲秋の物語
    48 
     49
    49 
     50
  • 父帝悲しみの日々---はかなく日ごろ過ぎて
  • 50 
     51
  • 靫負命婦の弔問---野分立ちてにはかに肌寒き夕暮れのほど
  • 51 
     52
  • 命婦帰参---命婦は、まだ大殿籠もらせたまはざりけると
  • 52 
     5353 
     54第三章 光る源氏の物語
    54 
     55
    55 
     56
  • 若宮参内(四歳)---月日経て、若宮参りたまひぬ
  • 56 
     57
  • 読書始め(七歳)---今は内裏にのみさぶらひたまふ
  • 57 
     58
  • 高麗人の観相、源姓賜わる---そのころ、高麗人の参れる中に
  • 58 
     59
  • 先代の四宮(藤壺)入内---年月にそへて、御息所の御ことを
  • 59 
     60
  • 源氏、藤壺を思慕---源氏の君は、御あたり去りたまはぬを
  • 60 
     61
  • 源氏元服(十二歳)---この君の御童姿、いと変えまうく思せど
  • 61 
     62
  • 源氏、左大臣家の娘(葵上)と結婚---その夜、大臣の家にまかでさせたまふ
  • 62 
     63
  • 源氏、成人の後---大人になりたまひて後は
  • 63 
     6464 
     65

    65 
     66【出典】
    66 
     67【校訂】
    67 
     68

    68 
     69 

    第一章 光る源氏前史の物語

    69 
     70 [第一段 父帝と母桐壺更衣の物語]
    70 
     71

    71 
     72 いづれの御時にか、女御、更衣あまたさぶらひたまひけるなかに、いとやむごとなき際にはあらぬが、すぐれて時めきたまふありけり。
    72 
     73

    73 
     74 はじめより我はと思ひ上がりたまへる御方がた、めざましきものにおとしめ嫉みたまふ。同じほど、それより下臈の更衣たちは、ましてやすからず。朝夕の宮仕へにつけても、人の心をのみ動かし、恨みを負ふ積もりにやありけむ、いと篤しくなりゆき、もの心細げに里がちなるを、いよいよあかずあはれなるものに思ほして、人のそしりをもえ憚らせたまはず、世のためしにもなりぬべき御もてなしなり。
    74 
     75

    75 
     76 上達部、上人なども、あいなく目を側めつつ、「いとまばゆき人の御おぼえなり。唐土にも、かかる事の起こりにこそ、世も乱れ、悪しかりけれ」と、やうやう天の下にもあぢきなう、人のもてなやみぐさになりて、楊貴妃の例も引き出でつべくなりゆくに、いとはしたなきこと多かれど、かたじけなき御心ばへのたぐひなきを頼みにてまじらひたまふ。
    76 
     77

    77 
     78 父の大納言は亡くなりて、母北の方なむいにしへの人のよしあるにて、親うち具し、さしあたりて世のおぼえはなやかなる御方がたにもいたう劣らず、なにごとの儀式をももてなしたまひけれど、とりたててはかばかしき後見しなければ、事ある時は、なほ拠り所なく心細げなり。
    78 
     79

    79 
     80 [第二段 御子誕生(一歳)]
    80 
     81

    81 
     82 先の世にも御契りや深かりけむ、世になく清らなる玉の男御子さへ生まれたまひぬ。いつしかと心もとながらせたまひて、急ぎ参らせて御覧ずるに、めづらかなる稚児の御容貌なり。
    82 
     83

    83 
     84 一の皇子は、右大臣の女御の御腹にて、寄せ重く、疑ひなき儲の君と、世にもてかしづききこゆれど、この御にほひには並びたまふべくもあらざりければ、おほかたのやむごとなき御思ひにて、この君をば、私物に思ほしかしづきたまふこと限りなし。
    84 
     85

    85 
     86 初めよりおしなべての上宮仕へしたまふべき際にはあらざりき。おぼえいとやむごとなく、上衆めかしけれど、わりなくまつはさせたまふあまりに、さるべき御遊びの折々、何事にもゆゑある事のふしぶしには、まづ参う上らせたまふ。ある時には大殿籠もり過ぐして、やがてさぶらはせたまひなど、あながちに御前去らずもてなさせたまひしほどに、おのづから軽き方にも見えしを、この御子生まれたまひて後は、いと心ことに思ほしおきてたれば、「坊にも、ようせずは、この御子の居たまふべきなめり」と、一の皇子の女御は思し疑へり。人より先に参りたまひて、やむごとなき御思ひなべてならず、皇女たちなどもおはしませば、この御方の御諌めをのみぞ、なほわづらはしう心苦しう思ひきこえさせたまひける。
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     87

    87 
     88 かしこき御蔭をば頼みきこえながら、落としめ疵を求めたまふ人は多く、わが身はか弱くものはかなきありさまにて、なかなかなるもの思ひをぞしたまふ。御局は桐壺なり。あまたの御方がたを過ぎさせたまひて、ひまなき御前渡りに、人の御心を尽くしたまふも、げにことわりと見えたり。参う上りたまふにも、あまりうちしきる折々は、打橋、渡殿のここかしこの道に、あやしきわざをしつつ、御送り迎への人の衣の裾、堪へがたく、まさなきこともあり。またある時には、え避らぬ馬道の戸を鎖しこめ、こなたかなた心を合はせて、はしたなめわづらはせたまふ時も多かり。事にふれて数知らず苦しきことのみまされば、いといたう思ひわびたるを、いとどあはれと御覧じて、後涼殿にもとよりさぶらひたまふ更衣の曹司を他に移させたまひて、上局に賜はす。その恨みましてやらむ方なし。
    88 
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    89 
     90 [第三段 若宮の御袴着(三歳)]
    90 
     91

    91 
     92 この御子三つになりたまふ年、御袴着のこと一の宮のたてまつりしに劣らず、内蔵寮、納殿の物を尽くして、いみじうせさせたまふ。それにつけても、世の誹りのみ多かれど、この御子のおよすげもておはする御容貌心ばへありがたくめづらしきまで見えたまふを、え嫉みあへたまはず。ものの心知りたまふ人は、「かかる人も世に出でおはするものなりけり」と、あさましきまで目をおどろかしたまふ。
    92 
     93

    93 
     94 [第四段 母御息所の死去]
    94 
     95

    95 
     96 その年の夏、御息所、はかなき心地にわづらひて、まかでなむとしたまふを、暇さらに許させたまはず。年ごろ、常の篤しさになりたまへれば、御目馴れて、「なほしばしこころみよ」とのみのたまはするに、日々に重りたまひて、ただ五六日のほどにいと弱うなれば、母君泣く泣く奏して、まかでさせたてまつりたまふ。かかる折にも、あるまじき恥もこそと心づかひして、御子をば留めたてまつりて、忍びてぞ出でたまふ。
    96 
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    97 
     98 限りあれば、さのみもえ留めさせたまはず、御覧じだに送らぬおぼつかなさを、言ふ方なく思ほさる。いとにほひやかにうつくしげなる人の、いたう面痩せて、いとあはれとものを思ひしみながら、言に出でても聞こえやらず、あるかなきかに消え入りつつものしたまふを御覧ずるに、来し方行く末思し召されず、よろずのことを泣く泣く契りのたまはすれど、御いらへもえ聞こえたまはず、まみなどもいとたゆげにて、いとどなよなよと、我かの気色にて臥したれば、いかさまにと思し召しまどはる。輦車の宣旨などのたまはせても、また入らせたまひて、さらにえ許させたまはず。
    98 
     99

    99 
     100 「限りあらむ道にも、後れ先立たじと、契らせたまひけるを。さりとも、うち捨てては、え行きやらじ」
    100 
     101

    101 
     102 とのたまはするを、女もいといみじと、見たてまつりて、
    102 
     103

    103 
     104 「限りとて別るる道の悲しきに
    104 
     105  いかまほしきは命なりけり
    105 
     106 いとかく思ひたまへましかば」
    106 
     107

    107 
     108 と、息も絶えつつ、聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば、かくながら、ともかくもならむを御覧じはてむと思し召すに、「今日始むべき祈りども、さるべき人びとうけたまはれる、今宵より」と、聞こえ急がせば、わりなく思ほしながらまかでさせたまふ。
    108 
     109

    109 
     110 御胸つとふたがりて、つゆまどろまれず、明かしかねさせたまふ。御使の行き交ふほどもなきに、なほいぶせさを限りなくのたまはせつるを、「夜半うち過ぐるほどになむ、絶えはてたまひぬる」とて泣き騒げば、御使もいとあへなくて帰り参りぬ。聞こし召す御心まどひ、何ごとも思し召しわかれず、籠もりおはします。
    110 
     111

    111 
     112 御子は、かくてもいと御覧ぜまほしけれど、かかるほどにさぶらひたまふ、例なきことなれば、まかでたまひなむとす。何事かあらむとも思したらず、さぶらふ人びとの泣きまどひ、主上も御涙のひまなく流れおはしますを、あやしと見たてまつりたまへるを、よろしきことにだに、かかる別れの悲しからぬはなきわざなるを、ましてあはれに言ふかひなし。
    112 
     113

    113 
     114 [第五段 故御息所の葬送]
    114 
     115

    115 
     116 限りあれば、例の作法にをさめたてまつるを、母北の方、同じ煙にのぼりなむと、泣きこがれたまひて、御送りの女房の車に慕ひ乗りたまひて、愛宕といふ所にいといかめしうその作法したるに、おはし着きたる心地、いかばかりかはありけむ。「むなしき御骸を見る見る、なほおはするものと思ふが、いとかひなければ、灰になりたまはむを見たてまつりて、今は亡き人と、ひたぶるに思ひなりなむ」と、さかしうのたまひつれど、車よりも落ちぬべうまろびたまへば、さは思ひつかしと、人びともてわづらひきこゆ。
    116 
     117

    117 
     118 内裏より御使あり。三位の位贈りたまふよし、勅使来てその宣命読むなむ、悲しきことなりける。女御とだに言はせずなりぬるが、あかず口惜しう思さるれば、いま一階の位をだにと、贈らせたまふなりけり。これにつけても憎みたまふ人びと多かり。もの思ひ知りたまふは、様、容貌などのめでたかりしこと、心ばせのなだらかにめやすく、憎みがたかりしことなど、今ぞ思し出づる。さま悪しき御もてなしゆゑこそ、すげなう嫉みたまひしか、人柄のあはれに情けありし御心を、主上の女房なども恋ひしのびあへり。なくてぞとは、かかる折にやと見えたり。
    118 
     119

     

    119 
     120 

    第二章 父帝悲秋の物語

    120 
     121 [第一段 父帝悲しみの日々]
    121 
     122

    122 
     123 はかなく日ごろ過ぎて、後のわざなどにもこまかにとぶらはせたまふ。ほど経るままに、せむ方なう悲しう思さるるに、御方がたの御宿直なども絶えてしたまはず、ただ涙にひちて明かし暮らさせたまへば、見たてまつる人さへ露けき秋なり。「亡きあとまで、人の胸あくまじかりける人の御おぼえかな」とぞ、弘徽殿などにはなほ許しなうのたまひける。一の宮を見たてまつらせたまふにも、若宮の御恋しさのみ思ほし出でつつ、親しき女房、御乳母などを遣はしつつ、ありさまを聞こし召す。
    123 
     124

    124 
     125 [第二段 靫負命婦の弔問]
    125 
     126

    126 
     127 野分立ちて、にはかに肌寒き夕暮のほど、常よりも思し出づること多くて、靫負命婦といふを遣はす。夕月夜のをかしきほどに出だし立てさせたまひて、やがて眺めおはします。かうやうの折は、御遊びなどせさせたまひしに、心ことなる物の音を掻き鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も、人よりはことなりしけはひ容貌の、面影につと添ひて思さるるにも、闇の現にはなほ劣りけり。
    127 
     128

    128 
     129 命婦、かしこに参で着きて、門引き入るるより、けはひあはれなり。やもめ住みなれど、人一人の御かしづきに、とかくつくろひ立てて、めやすきほどにて過ぐしたまひつる、闇に暮れて臥し沈みたまへるほどに、草も高くなり、野分にいとど荒れたる心地して、月影ばかりぞ八重葎にも障はらず差し入りたる。南面に下ろして、母君も、とみにえものものたまはず。
    129 
     130

    130 
     131 「今までとまりはべるがいと憂きを、かかる御使の蓬生の露分け入りたまふにつけても、いと恥づかしうなむ」
    131 
     132

    132 
     133 とて、げにえ堪ふまじく泣いたまふ。
    133 
     134

    134 
     135 「『参りては、いとど心苦しう、心肝も尽くるやうになむ』と、典侍の奏したまひしを、もの思ひたまへ知らぬ心地にも、げにこそいと忍びがたうはべりけれ」
    135 
     136

    136 
     137 とて、ややためらひて、仰せ言伝へきこゆ。
    137 
     138

    138 
     139 「『しばしは夢かとのみたどられしを、やうやう思ひ静まるにしも、覚むべき方なく堪へがたきは、いかにすべきわざにかとも、問ひあはすべき人だになきを、忍びては参りたまひなむや。若宮のいとおぼつかなく、露けき中に過ぐしたまふも、心苦しう思さるるを、とく参りたまへ』など、はかばかしうものたまはせやらず、むせかへらせたまひつつ、かつは人も心弱く見たてまつるらむと、思しつつまぬにしもあらぬ御気色の心苦しさに、承り果てぬやうにてなむ、まかではべりぬる」
    139 
     140

    140 
     141 とて、御文奉る。
    141 
     142

    142 
     143 「目も見えはべらぬに、かくかしこき仰せ言を光にてなむ」とて、見たまふ。
    143 
     144

    144 
     145 「ほど経ばすこしうち紛るることもやと、待ち過ぐす月日に添へて、いと忍びがたきはわりなきわざになむ。いはけなき人をいかにと思ひやりつつ、もろともに育まぬおぼつかなさを。今は、なほ昔のかたみになずらへて、ものしたまへ」
    145 
     146

    146 
     147 など、こまやかに書かせたまへり。
    147 
     148

    148 
     149 「宮城野の露吹きむすぶ風の音に
    149 
     150  小萩がもとを思ひこそやれ」
    150 
     151

    151 
     152 とあれど、え見たまひ果てず。
    152 
     153

    153 
     154 「命長さの、いとつらう思ひたまへ知らるるに、松の思はむことだに、恥づかしう思ひたまへはべれば、百敷に行きかひはべらむことは、ましていと憚り多くなむ。かしこき仰せ言をたびたび承りながら、みづからはえなむ思ひたまへたつまじき。若宮は、いかに思ほし知るにか、参りたまはむことをのみなむ思し急ぐめれば、ことわりに悲しう見たてまつりはべるなど、うちうちに思ひたまふるさまを奏したまへ。ゆゆしき身にはべれば、かくておはしますも、忌ま忌ましうかたじけなくなむ」
    154 
     155

    155 
     156 とのたまふ。宮は大殿籠もりにけり。
    156 
     157

    157 
     158 「見たてまつりて、くはしう御ありさまも奏しはべらまほしきを、待ちおはしますらむに、夜更けはべりぬべし」とて急ぐ。
    158 
     159

    159 
     160 「暮れまどふ心の闇も堪へがたき片端をだに、はるくばかりに聞こえまほしうはべるを、私にも心のどかにまかでたまへ。年ごろ、うれしく面だたしきついでにて立ち寄りたまひしものを、かかる御消息にて見たてまつる、返す返すつれなき命にもはべるかな。
    160 
     161

    161 
     162 生まれし時より、思ふ心ありし人にて、故大納言、いまはとなるまで、『ただ、この人の宮仕への本意、かならず遂げさせたてまつれ。我れ亡くなりぬとて、口惜しう思ひくづほるな』と、返す返す諌めおかれはべりしかば、はかばかしう後見思ふ人もなき交じらひは、なかなかなるべきことと思ひたまへながら、ただかの遺言を違へじとばかりに、出だし立てはべりしを、身に余るまでの御心ざしの、よろづにかたじけなきに、人げなき恥を隠しつつ、交じらひたまふめりつるを、人の嫉み深く積もり、安からぬこと多くなり添ひはべりつるに、横様なるやうにて、つひにかくなりはべりぬれば、かへりてはつらくなむ、かしこき御心ざしを思ひたまへられはべる。これもわりなき心の闇になむ」
    162 
     163

    163 
     164 と、言ひもやらずむせかへりたまふほどに、夜も更けぬ。
    164 
     165

    165 
     166 「主上もしかなむ。『我が御心ながら、あながちに人目おどろくばかり思されしも、長かるまじきなりけりと、今はつらかりける人の契りになむ。世にいささかも人の心を曲げたることはあらじと思ふを、ただこの人のゆゑにて、あまたさるまじき人の恨みを負ひし果て果ては、かううち捨てられて、心をさめむ方なきに、いとど人悪ろうかたくなになり果つるも、前の世ゆかしうなむ』とうち返しつつ、御しほたれがちにのみおはします」と語りて尽きせず。泣く泣く、「夜いたう更けぬれば、今宵過ぐさず、御返り奏せむ」と急ぎ参る。
    166 
     167

    167 
     168 月は入り方の、空清う澄みわたれるに、風いと涼しくなりて、草むらの虫の声ごゑもよほし顔なるも、いと立ち離れにくき草のもとなり。
    168 
     169

    169 
     170 「鈴虫の声の限りを尽くしても
    170 
     171  長き夜あかずふる涙かな」
    171 
     172

    172 
     173 えも乗りやらず。
    173 
     174

    174 
     175 「いとどしく虫の音しげき浅茅生に
    175 
     176  露置き添ふる雲の上人
    176 
     177 かごとも聞こえつべくなむ」
    177 
     178

    178 
     179 と言はせたまふ。をかしき御贈り物などあるべき折にもあらねば、ただかの御形見にとて、かかる用もやと残したまへりける御装束一領、御髪上げの調度めく物添へたまふ。
    179 
     180

    180 
    c1181 若き人びと、悲しきことはさらにも言はず、内裏わたりを朝夕にならひて、いとさうざうしく、主上の御ありさまなど思ひ出できこゆれば、とく参りたまはむことをそそのかしきこゆれど、「かく忌ま忌ましき身の添ひたてまつらむも、いと人聞き憂かるべし、また、見たてまつらでしばしもあらむは、いとうしろめたう」思ひきこえたまひて、すがすがともえ参らせたてまつりたまはぬなりけり。<BR> 181 若き人びと、悲しきことはさらにも言はず、内裏わたりを朝夕にならひて、いとさうざうしく、主上の御ありさまなど思ひ出できこゆれば、とく参りたまはむことをそそのかしきこゆれど、「かく忌ま忌ましき身の添ひたてまつらむも、いと人聞き憂かるべし、また、見たてまつらでしばしもあらむは、いとうしろめたう」思ひきこえたまひて、すがすがともえ参らせたてまつりたまはぬなりけり。<BR>
     182

    182 
     183 [第三段 命婦帰参]
    183 
     184

    184 
     185 命婦は、「まだ大殿籠もらせたまはざりける」と、あはれに見たてまつる。御前の壺前栽のいとおもしろき盛りなるを御覧ずるやうにて、忍びやかに心にくき限りの女房四五人さぶらはせたまひて、御物語せさせたまふなりけり。このころ、明け暮れ御覧ずる長恨歌の御絵、亭子院の描かせたまひて、伊勢、貫之に詠ませたまへる、大和言の葉をも、唐土の詩をも、ただその筋をぞ、枕言にせさせたまふ。いとこまやかにありさま問はせたまふ。あはれなりつること忍びやかに奏す。御返り御覧ずれば、
    185 
     186

    186 
     187 「いともかしこきは置き所もはべらず。かかる仰せ言につけても、かきくらす乱り心地になむ。
    187 
     188

    188 
     189 荒き風ふせぎし蔭の枯れしより
    189 
     190 小萩がうへぞ静心なき」
    190 
     191

    191 
     192 などやうに乱りがはしきを、心をさめざりけるほどと御覧じ許すべし。いとかうしも見えじと、思し静むれど、さらにえ忍びあへさせたまはず、御覧じ初めし年月のことさへかき集め、よろづに思し続けられて、「時の間もおぼつかなかりしを、かくても月日は経にけり」と、あさましう思し召さる。
    192 
     193

    193 
     194 「故大納言の遺言あやまたず、宮仕への本意深くものしたりしよろこびは、かひあるさまにとこそ思ひわたりつれ。言ふかひなしや」とうちのたまはせて、いとあはれに思しやる。「かくても、おのづから若宮など生ひ出でたまはば、さるべきついでもありなむ。命長くとこそ思ひ念ぜめ」
    194 
     195

    195 
     196 などのたまはす。かの贈り物御覧ぜさす。「亡き人の住処尋ね出でたりけむしるしの釵ならましかば」と思ほすもいとかひなし。
    196 
     197

    197 
     198 「尋ねゆく幻もがなつてにても
    198 
     199  魂のありかをそこと知るべく」
    199 
     200

    200 
     201 絵に描ける楊貴妃の容貌は、いみじき絵師といへども、筆限りありければいとにほひ少なし。大液芙蓉未央柳も、げに通ひたりし容貌を、唐めいたる装ひはうるはしうこそありけめ、なつかしうらうたげなりしを思し出づるに、花鳥の色にも音にもよそふべき方ぞなき。朝夕の言種に、「翼をならべ、枝を交はさむ」と契らせたまひしに、かなはざりける命のほどぞ、尽きせず恨めしき。
    201 
     202

    202 
     203 風の音、虫の音につけて、もののみ悲しう思さるるに、弘徽殿には、久しく上の御局にも参う上りたまはず、月のおもしろきに、夜更くるまで遊びをぞしたまふなる。いとすさまじう、ものしと聞こし召す。このごろの御気色を見たてまつる上人、女房などは、かたはらいたしと聞きけり。いとおし立ちかどかどしきところものしたまふ御方にて、ことにもあらず思し消ちてもてなしたまふなるべし。月も入りぬ。
    203 
     204

    204 
     205 「雲の上も涙にくるる秋の月
    205 
     206  いかですむらむ浅茅生の宿」
    206 
     207

    207 
     208 思し召しやりつつ、灯火をかかげ尽くして起きおはします。右近の司の宿直奏の声聞こゆるは、丑になりぬるなるべし。人目を思して、夜の御殿に入らせたまひても、まどろませたまふことかたし。朝に起きさせたまふとても、「明くるも知らで」と思し出づるにも、なほ朝政は怠らせたまひぬべかめり。
    208 
     209

    209 
     210 ものなども聞こし召さず、朝餉のけしきばかり触れさせたまひて、大床子の御膳などは、いと遥かに思し召したれば、陪膳にさぶらふ限りは、心苦しき御気色を見たてまつり嘆く。すべて、近うさぶらふ限りは、男女、「いとわりなきわざかな」と言ひ合はせつつ嘆く。「さるべき契りこそはおはしましけめ。そこらの人の誹り、恨みをも憚らせたまはず、この御ことに触れたることをば、道理をも失はせたまひ、今はた、かく世の中のことをも、思ほし捨てたるやうになりゆくは、いとたいだいしきわざなり」と、人の朝廷の例まで引き出で、ささめき嘆きけり。
    210 
     211

    211 
     212 

    第三章 光る源氏の物語

    212 
     213 [第一段 若宮参内(四歳)]
    213 
     214

    214 
     215 月日経て、若宮参りたまひぬ。いとどこの世のものならず清らにおよすげたまへれば、いとゆゆしう思したり。
    215 
     216

    216 
     217 明くる年の春、坊定まりたまふにも、いと引き越さまほしう思せど、御後見すべき人もなく、また世のうけひくまじきことなりければ、なかなか危く思し憚りて、色にも出ださせたまはずなりぬるを、「さばかり思したれど、限りこそありけれ」と、世人も聞こえ、女御も御心落ちゐたまひぬ。
    217 
     218

    218 
     219 かの御祖母北の方、慰む方なく思し沈みて、おはすらむ所にだに尋ね行かむと願ひたまひししるしにや、つひに亡せたまひぬれば、またこれを悲しび思すこと限りなし。御子六つになりたまふ年なれば、このたびは思し知りて恋ひ泣きたふ。年ごろ馴れ睦びきこえたまひつるを、見たてまつり置く悲しびをなむ、返す返すのたまひける。
    219 
     220

    220 
     221 [第二段 読書始め(七歳)]
    221 
     222

    222 
     223 今は内裏にのみさぶらひたまふ。七つになりたまへば、読書始めなどせさせたまひて、世に知らず聡う賢くおはすれば、あまり恐ろしきまで御覧ず。
    223 
     224

    224 
     225 「今は誰れも誰れもえ憎みたまはじ。母君なくてだにらうたうしたまへ」とて、弘徽殿などにも渡らせたまふ御供には、やがて御簾の内に入れたてまつりたまふ。いみじき武士、仇敵なりとも、見てはうち笑まれぬべきさまのしたまへれば、えさし放ちたまはず。女皇女たち二ところ、この御腹におはしませど、なずらひたまふべきだにぞなかりける。御方々も隠れたまはず、今よりなまめかしう恥づかしげにおはすれば、いとをかしううちとけぬ遊び種に、誰れも誰れも思ひきこえたまへり。
    225 
     226

    226 
     227 わざとの御学問はさるものにて、琴笛の音にも雲居を響かし、すべて言ひ続けば、ことごとしう、うたてぞなりぬべき人の御さまなりける。
    227 
     228

    228 
     229 [第三段 高麗人の観相、源姓賜わる]
    229 
     230

    230 
     231 そのころ、高麗人の参れる中に、かしこき相人ありけるを聞こし召して、宮の内に召さむことは、宇多の帝の御誡めあれば、いみじう忍びて、この御子を鴻臚館に遣はしたり。御後見だちて仕うまつる右大弁の子のやうに思はせて率てたてまつるに、相人驚きて、あまたたび傾きあやしぶ。
    231 
     232

    232 
     233 「国の親となりて、帝王の上なき位に昇るべき相おはします人の、そなたにて見れば、乱れ憂ふることやあらむ。朝廷の重鎮となりて、天の下を輔くる方にて見れば、またその相違ふべし」と言ふ。
    233 
     234

    234 
     235 弁も、いと才かしこき博士にて、言ひ交はしたることどもなむ、いと興ありける。文など作り交はして、今日明日帰り去りなむとするに、かくありがたき人に対面したるよろこび、かへりては悲しかるべき心ばへをおもしろく作りたるに、御子もいとあはれなる句を作りたまへるを、限りなうめでたてまつりて、いみじき贈り物どもを捧げたてまつる。朝廷よりも多くの物賜はす。
    235 
     236

    236 
     237 おのづから事広ごりて、漏らさせたまはねど、春宮の祖父大臣など、いかなることにかと思し疑ひてなむありける。
    237 
     238

    238 
     239 帝、かしこき御心に、倭相を仰せて、思しよりにける筋なれば、今までこの君を親王にもなさせたまはざりけるを、「相人はまことにかしこかりけり」と思して、「無品の親王の外戚の寄せなきにては漂はさじ。わが御世もいと定めなきを、ただ人にて朝廷の御後見をするなむ、行く先も頼もしげなめること」と思し定めて、いよいよ道々の才を習はさせたまふ。
    239 
     240

    240 
     241 際ことに賢くて、ただ人にはいとあたらしけれど、親王となりたまひなば、世の疑ひ負ひたまひぬべくものしたまへば、宿曜の賢き道の人に勘へさせたまふにも、同じさまに申せば、源氏になしたてまつるべく思しきおきてたり。
    241 
     242

    242 
     243 [第四段 先代の四宮(藤壺)入内]
    243 
     244

    244 
     245 年月に添へて、御息所の御ことを思し忘るる折なし。「慰むや」と、さるべき人びと参らせたまへど、「なずらひに思さるるだにいとかたき世かな」と、疎ましうのみよろづに思しなりぬるに、先帝の四の宮の、御容貌すぐれたまへる聞こえ高くおはします、母后世になくかしづききこえたまふを、主上にさぶらふ典侍は、先帝の御時の人にて、かの宮にも親しう参り馴れたりければ、いはけなくおはしましし時より見たてまつり、今もほの見たてまつりて、「亡せたまひにしに御息所の御容貌に似たまへる人を、三代の宮仕へに伝はりぬるに、え見たてまつりつけぬを、后の宮の姫宮こそ、いとようおぼえて生ひ出でさせたまへりけれ。ありがたき御容貌人になむ」と奏しけるに、「まことにや」と、御心とまりて、ねむごろに聞こえさせたまひけり。
    245 
     246

    246 
     247 母后、「あな恐ろしや。春宮の女御のいとさがなくて、桐壺の更衣の、あらはにはかなくもてなされにし例もゆゆしう」と、思しつつみて、すがすがしうも思し立たざりけるほどに、后も亡せたまひぬ。
    247 
     248

    248 
     249 心細きさまにておはしますに、「ただ、わが女皇女たちの同じ列に思ひきこえむ」と、いとねむごろに聞こえさせたまふ。さぶらふ人びと、御後見たち、御兄の兵部卿の親王など、「かく心細くておはしまさむよりは、内裏住みせさせたまひて、御心も慰むべく」など思しなりて、参らせたてまつりたまへり。
    249 
     250

    250 
     251 藤壺と聞こゆ。げに、御容貌ありさま、あやしきまでぞおぼえたまへる。これは、人の御際まさりて、思ひなしめでたく、人もえおとしめきこえたまはねば、うけばりて飽かぬことなし。かれは、人の許しきこえざりしに、御心ざしあやにくなりしぞかし。思し紛るとはなけれど、おのづから御心移ろひて、こよなう思し慰むやうなるも、あはれなるわざなりけり。
    251 
     252

    252 
     253 [第五段 源氏、藤壺を思慕]
    253 
     254

    254 
     255 源氏の君は、御あたり去りたまはぬを、ましてしげく渡らせたまふ御方は、え恥ぢあへたまはず。いづれの御方も、われ人に劣らむと思いたるやはある、とりどりにいとめでたけれど、うち大人びたまへるに、いと若ううつくしげにて、切に隠れたまへど、おのづから漏り見たてまつる。
    255 
     256

    256 
     257 母御息所も、影だにおぼえたまはぬを、「いとよう似たまへり」と、典侍の聞こえけるを、若き御心地にいとあはれと思ひきこえたまひて、常に参らまほしく、「なづさひ見たてまつらばや」とおぼえたまふ。
    257 
     258

    258 
     259 主上も限りなき御思ひどちにて、「な疎みたまひそ。あやしくよそへきこえつべき心地なむする。なめしと思さで、らうたくしたまへ。つらつき、まみなどは、いとよう似たりしゆゑ、かよひて見えたまふも、似げなからずなむ」など聞こえつけたまへれば、幼心地にも、はかなき花紅葉につけても心ざしを見えたてまつる。こよなう心寄せきこえたまへれば、弘徽殿の女御、またこの宮とも御仲そばそばしきゆゑ、うち添へて、もとよりの憎さも立ち出でて、ものしと思したり。
    259 
     260

    260 
     261 世にたぐひなしと見たてまつりたまひ、名高うおはする宮の御容貌にも、なほ匂はしさはたとへむ方なく、うつくしげなるを、世の人、「光る君」と聞こゆ。藤壺ならびたまひて、御おぼえもとりどりなれば、「かかやく日の宮」と聞こゆ。
    261 
     262

    262 
     263 [第六段 源氏元服(十二歳)]
    263 
     264

    264 
     265 この君の御童姿、いと変へまうく思せど、十二にて御元服したまふ。居起ち思しいとなみて、限りある事に事を添えさせたまふ。
    265 
     266

    266 
     267 一年の春宮の御元服、南殿にてありし儀式、よそほしかりし御響きに落とさせたまはず。所々の饗など、内蔵寮、穀倉院など、公事に仕うまつれる、おろそかなることもぞと、とりわき仰せ言ありて、清らを尽くして仕うまつれり。
    267 
     268

    268 
     269 おはします殿の東の廂、東向きに椅子立てて、冠者の御座、引入の大臣の御座、御前にあり。申の時にて源氏参りたまふ。角髪結ひたまへるつらつき、顔のにほひ、さま変へたまはむこと惜しげなり。大蔵卿、蔵人仕うまつる。いと清らなる御髪を削ぐほど、心苦しげなるを、主上は、「御息所の見ましかば」と、思し出づるに、堪へがたきを、心強く念じかへさせたまふ。
    269 
     270

    270 
     271 かうぶりしたまひて、御休所にまかでたまひて、御衣奉り替へて、下りて拝したてまつりたまふさまに、皆人涙落としたまふ。帝はた、ましてえ忍びあへたまはず、思し紛るる折もありつる昔のこと、とりかへし悲しく思さる。いとかうきびはなるほどは、あげ劣りやと疑はしく思されつるを、あさましううつくしげさ添ひたまへり。
    271 
     272

    272 
     273 引入の大臣の皇女腹にただ一人かしづきたまふ御女、春宮よりも御けしきあるを、思しわづらふことありける、この君に奉らむの御心なりけり。内裏にも、御けしき賜はらせたまへりければ、「さらば、この折の後見なかめるを、添ひ臥しにも」ともよほさせたまひければ、さ思したり。
    273 
     274

    274 
     275 さぶらひにまかでたまひて、人びと大御酒など参るほど、親王たちの御座の末に源氏着きたまへり。大臣気色ばみきこえたまふことあれど、もののつつましきほどにて、ともかくもあへしらひきこえたまはず。
    275 
     276

    276 
     277 御前より、内侍、宣旨うけたまはり伝へて、大臣参りたまふべき召しあれば、参りたまふ。御禄の物、主上の命婦取りて賜ふ。白き大袿に御衣一領、例のことなり。
    277 
     278

    278 
     279 御盃のついでに、
    279 
     280

    280 
     281 「いときなき初元結ひに長き世を
    281 
     282  契る心は結びこめつや」
    282 
     283

    283 
     284 御心ばへありて、おどろかさせたまふ。
    284 
     285

    285 
     286 「結びつる心も深き元結ひに
    286 
     287  濃き紫の色し褪せずは」
    287 
     288

    288 
     289 と奏して、長橋より下りて舞踏したまふ。
    289 
     290

    290 
     291 左馬寮の御馬、蔵人所の鷹据ゑて賜はりたまふ。御階のもとに親王たち上達部つらねて、禄ども品々に賜はりたまふ。
    291 
     292

    292 
     293 その日の御前の折櫃物、籠物など、右大弁なむ承りて仕うまつらせける。屯食、禄の唐櫃どもなど、ところせきまで、春宮の御元服の折にも数まされり。なかなか限りもなくいかめしうなむ。
    293 
     294

    294 
     295 [第七段 源氏、左大臣家の娘(葵上)と結婚]
    295 
     296

    296 
     297 その夜、大臣の御里に源氏の君まかでさせたまふ。作法世にめづらしきまで、もてかしづききこえたまへり。いときびはにておはしたるを、ゆゆしううつくしと思ひきこえたまへり。女君はすこし過ぐしたまへるほどに、いと若うおはすれば、似げなく恥づかしと思いたり。
    297 
     298

    298 
     299 この大臣の御おぼえいとやむごとなきに、母宮、内裏の一つ后腹になむおはしければ、いづ方につけてもいとはなやかなるに、この君さへかくおはし添ひぬれば、春宮の御祖父にて、つひに世の中を知りたまふべき右大臣の御勢ひは、ものにもあらず圧されたまへり。
    299 
     300

    300 
     301 御子どもあまた腹々にものしたまふ。宮の御腹は、蔵人少将にていと若うをかしきを、右大臣の、御仲はいと好からねど、え見過ぐしたまはで、かしづきたまふ四の君にあはせたまへり。劣らずもてかしづきたるは、あらまほしき御あはひどもになむ。
    301 
     302

    302 
     303 源氏の君は、主上の常に召しまつはせば、心安く里住みもえしたまはず。心のうちには、ただ藤壺の御ありさまを、類なしと思ひきこえて、「さやうならむ人をこそ見め。似る人なくもおはしけるかな。大殿の君、いとをかしげにかしづかれたる人とは見ゆれど、心にもつかず」おぼえたまひて、幼きほどの心一つにかかりて、いと苦しきまでぞおはしける。
    303 
     304

    304 
     305 [第八段 源氏、成人の後]
    305 
     306

    306 
     307 大人になりたまひて後は、ありしやうに御簾の内にも入れたまはず。御遊びの折々、琴笛の音に聞こえかよひ、ほのかなる御声を慰めにて、内裏住みのみ好ましうおぼえたまふ。五六日さぶらひたまひて、大殿に二三日など、絶え絶えにまかでたまへど、ただ今は幼き御ほどに、罪なく思しなして、いとなみかしづききこえたまふ。
    307 
     308

    308 
     309 御方々の人びと、世の中におしなべたらぬを選りととのへすぐりてさぶらはせたまふ。御心につくべき御遊びをし、おほなおほな思しいたつく。
    309 
     310

    310 
     311 内裏には、もとの淑景舎を御曹司にて、母御息所の御方の人びとまかで散らずさぶらはせたまふ。
    311 
     312

    312 
     313 里の殿は、修理職、内匠寮に宣旨下りて、二なう改め造らせたまふ。もとの木立、山のたたずまひ、おもしろき所なりけるを、池の心広くしなして、めでたく造りののしる。
    313 
     314

    314 
     315 「かかる所に思ふやうならむ人を据ゑて住まばや」とのみ、嘆かしう思しわたる。
    315 
     316

    316 
     317 「光る君といふ名は、高麗人のめできこえてつけたてまつりける」とぞ、言ひ伝へたるとなむ。
    317 
     318

    318 
     319 【出典】
    319 
     320出典1 ある時はありのすさびに憎かりき亡くてぞ人は恋しかりける(源氏釈所引-出典未詳)(戻)
    320 
     321出典2 むば玉の闇の現は定かなる夢にいくらもまさらざりけり(古今集恋三-六四七 読人しらず)(戻)
    321 
     322出典3 訪ふ人もなき宿なれど来る春は八重葎にもさはらざりけり(古今六帖二-一三〇六 読人しらず)(戻)
    322 
     323出典4 いかでなほありと知らせじ高砂の松の思はむことも恥づかし(古今六帖五-三〇五七 読人しらず)(戻)
    323 
     324出典5 人の親の心は闇にあらねども子を思ふ道に惑ひぬるかな(後撰集雑一-一一〇二 藤原兼輔)(戻)
    324 
     325出典6 大液芙蓉未央柳 対此如何不涙垂(白氏文集巻十二 長恨歌)(戻)
    325 
     326出典7 在天願作比翼鳥 在地願為連理枝(白氏文集巻十二 長恨歌)(戻)
    326 
     327出典8 夕殿蛍飛思悄然 秋灯挑尽未能眠(白氏文集巻十二 長恨歌)(戻)
    327 
    c1328<A NAME="no9">出典9</A> 春宵苦短日高起 従此君王不早朝(白氏文集巻十二 長恨歌)</A>玉簾明くるも知らで寝しものを夢にも見じと思ひけるかな(伊勢集-五五)<A HREF="#te9">(戻)</A><BR>328<A NAME="no9">出典9</A> 春宵苦短日高起 従此君王不早朝(白氏文集巻十二 長恨歌)玉簾明くるも知らで寝しものを夢にも見じと思ひけるかな(伊勢集-五五)<A HREF="#te9">(戻)</A><BR>
     329

    329 
     330 【校訂】
    330 
     331備考--(/) ミセケチ--$ 抹消--# 補入--+ 傍書--= ナゾリ--& 独自異文--* 朱筆--<朱> 不明--△
    331 
     332校訂1 そしりをも--そしりをも(も/=も)(戻)
    332 
     333校訂2 後見思ふ人--後見思へき(へき/$)人(戻)
    333 
     334校訂3 思ひわたりつれ--思(思/+わたり)つれ(戻)
    334 
     335校訂4 ありけめ--ありけめありけめ(ありけめ<後出>/$)(戻)
    335 
     336

    336 
     337源氏物語の世界ヘ
    337 
     338ローマ字版
    338 
     339現代語訳
    339 
     340注釈
    340 
     341明融臨模本
    341 
     342大島本
    342 
     343自筆本奥入
    343 
     344344 
     345
    345 
     346346